STORYS.JP

大塚 雄介

coincheck Co-founder COO(最高執行責任者)
大塚雄介と学ぶブロックチェーン・ビットコイン研究所 https://goo.gl/2bcs4r

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大塚 雄介の人生のストーリー

私がSTORYS.JPに参加した理由

「世界を変える仲間」を求めて    今考えると私がSTORYS.JP参加したのは偶然の連続です。 当時私は、「世界を変えれるような仲間が欲しい。」と本気で望んでいました。仲間を探しに、興味のある勉強会、Tech系のイベント、スタートアップの集いなどに時間を創っては参加をしていました。しかし、私の心を動かすような、「世界を変える仲間」には出会う事ができませんでした。 全ての始まり  ある日、たまたま

私がSTORYS.JPへ参加した想いです。全ての始まりはここから。

素晴らしいサービスと素晴らしいチームとの出会い

今日とても素晴らしいサービスに出会った。 いや、正確にはサービスは知っていたんだ。 でも、サービスの背景にあるSTORYと出会えた。 そんな気がする。 僕は常々、素晴らしサービスは そのサービスを心底愛している人から生まれると思っている。 自分が心からサービスを愛していれば サービスを創っている時間なんて気にならないし 時間が気にならなければ、いつまでだって創っていられる。 そうすれば必ず素晴らしい

知識 と 知恵

今回は、知識 と 知恵 という話です。 少し先の未来が見える感覚 言葉で説明することは難しいのですが、 私は中学2年の秋の頃、こんな感覚を持つようになりした。 本を読んだり 映画を見たり 音楽の歌詞を読んだり ある程度 知識 が蓄積され その分野を極め始めると ほんの少し先の未来が見え始める。 例えば 数学の定理をある程度 知識 として蓄積すると、 既知の問題は問題を見た瞬間に答えがわかり、 後は、

ハヤトと。

プロボクサー ハヤト ハヤトとはもう15年の付き合いだな。 大学1年の頃から同じ仲間でつるんで バカなことばっかりやってた。 裸で大学の中庭で寝たり 真夏の屋上でフットサルしたり 理工学部の謎な実験実習に出たり。 そんな付き合いのハヤトが まさかプロボクサーになるなんて 夢にも思わなかった。 はじめての試合 初めての試合。 後楽園ホールに見に行った事を覚えているよ。 ヒメも一緒だったね。 ヒメとは

14歳の決意

幼い決断  私は14歳の時、それまで没頭していたテレビゲームを屋根裏部屋に自らしまいこんだ。「テレビゲームをしまいこむ」ということは、当時の私にとっては幼いながらの決意だった。 物事を学ぶコツを学ぶ  当時の私は学校の成績でいえば中の下、300人位の中で248番だったと思う。学校内で目立つ事もない普通の男の子であった。ある時、たまたま、友人のノートを真似して勉強するふりをしてみた。そうすると。次の

量子理論物理学の扉を開いて(大学院への進学)

量子理論物理学とは    私は大学院時代の2年間、量子理論力学という学問を専攻していました。  量子理論物理学とは、電子や光、原子や磁力の性質を理論的に理解し、これらの理解を通して  自然界を理解する。という学問です。有名なところでは、アルバート・アインシュタインがノーベル物理学賞を受賞した「光量子仮説」という考え方もこの分野に含まれています。 世界の全てを理解できる学問   私がこの学問を専攻し

ビジネス世界への挑戦(株式会社ネクスウェイ入社)

はじめの一歩  2006年、私はビジネスの世界の第一歩を踏み出します。歳既に26歳。 しかも、大学院2年間の生活は、現実世界とはかけ離れたそんな生活でした。人と話すことよりも文献を読んでいたい。食べることよりも数式を解いていたい。友人と遊ぶよりも得られた結果を考察していたい。そんな24歳、25歳でした。今思うとかなりクレイジーです。そのため、26歳から社会に適合するところから始めました。目上の人に

入社2年目の営業が奔走 三つの武器で経営陣に提案

700社への電話 と 300社への訪問 「ビジネス開発グループ」が発足して、1年目の秋頃、私は「店舗matc」という「チェーンストア向け本部-店舗間コミュニケーションツール」というサービスを営業する仕事をしていました。サービス立上げ2ヶ月位は、誰にアポイントをとるか?どうアポイントをとるか?も決まっていないので、全部自分で失敗しながら考えて試みる。その連続でした。合計700社位電話をして、300社

ビジネス開発グループ発足

ビジネスインキュベーション室!?    2007年、営業に少し慣れてきた頃、上司より突然の人事異動を伝えられます。 (上司)「ちょっといいか?」 (私)「はい。」 (上司)「56(私の会社でのあだ名)、来月から移動になったよ。」 (私)「はい。。」 (上司)「部署は正式名称は決まって無いけど、ビジネスインキュベーション室。新規ビジネスを立ち上げるネクスウェイで初めての部署だ。」 (私)「ビジネスイ

同期:西辻一真と共に過ごした社会人一年目

親友  私には親友と呼べる数少ない大切な友人がいます。彼彼女が困っている時、損得勘定なしで、そいつのために助けられる。僕の中では親友とはそんな存在です。そして、カズマは僕の中でそんな存在です。 ネクスウェイ同期入社  2006年、ネクスウェイに同期で入社しました。私とカズマは配属された部署も一緒で、お互いビジネスなんて全くわからずダメダメな1年目だったんじゃないかな?って思います。営業目標は達成でき

3.11の記憶。そしてこれから。

平凡な日常 あの日、私は東京の有楽町でお客様と商談をしていました。それまで何一つ特別な事のない日常でした。14時からお客様に自分の提案を説明し、今後のことを、ある程度予測出来る範囲で話していました。たぶん、今回の震災がなかったら、なにひとつない、普通の日常だったと思います。 説明も一通り終わり、具体的なサービスのデモに入った時でした、はじめの瞬間は、「お!大きい(地震)」位の感覚でした。しかし、次の

人生をロックンロールに生きる

20歳の時 下北沢の下宿先で 一人ベットに横になりながら考えた。 何不自由なく子供の頃から育って 別に裕福なわけじゃなかったけど 不自由なことはなかった。 この日本なら たぶん、それなりに幸せに 生活できるんじゃないかとも思った。 でも、本当にそれが幸せなのかも わからなかった。 少なくとも僕には 「それなり」は幸せには感じられなかった。 自分の心に素直になり 他人の評価に怯える事なく生きる それが

STORYS.JPの中心には、いつも人がいる。

なぜ、STORYS.JPなのか? FacebookやTwitterが私たちの生活に定着し、 有名人や著名人ではなくても、自分の人生を伝える事で、 大きな可能性が広がる時代になりました。 上っ面だけじゃない、普通の人の中に眠る、等身大の話。これこそが、最高のエンターテイメントですし、少し立ち止まってみると、映画やドラマ、マンガやドキュメンタリーなど、実は、普通の人の生活の一部からインスピレーションから

世界を少し先へ進めるには、いつから始めても遅い事なんてない。

33才になって 一昨日で33才になりました。 10代の頃想像していた33才ってもっと大人びていて 落ちつていると思ったのですが、そんなことないものですね。 33才が若いのかおじさんなのか微妙ですが、 ”これまでにない新しい物を創りだし、少しでも世界を先に進めたい” そんな気持ちだけは昔から変わっていないです。 それこそ20代の頃は志だけで、何一つ形にすることもできなかったのですが、 今は仲間がいるこ

Graph hackシードで最優秀賞を頂いたプレゼンが完成するまで

先日開催されましたGraph Hackシードにて最優秀賞を頂きました。 当日のプレゼンテーション(Ustream)は こちら 。 審査員の皆様、多くのコメントありがとうございました。 必ずサービスと事業を成長する形でお返し致します。 今後とも、ご声援宜しくお願い致します。 今回はプレゼンテーションまでの舞台裏を少し書いてみようと思います。 私はプレゼンテーションをする時、3ステップに分けて準備を行い

時の試練に耐え得る良いモノを創り出したい

良いモノを見て。 良いモノを聞いて。 良いモノに触れて。 良いモノを食べて 良いモノを感じ 自分が良いと思った断片をストックする。 結局、自分の経験した以上のモノは創れないんだと思う。 良いモノには、時間もお金も費やしたい。 時の試練に耐え得る良いモノを創り出したい

【語れば人はついてくる!】STORYS.JPで創業メンバーを採用した話

STORYS.JPを使って会社の採用が決まった! みなさんこんにちは。STORYS.JPの大塚です。 先日、STORYS.JPのユーザーであるKAIZEN PlatformのCEO須藤憲司さんより、 突然、嬉しいメッセージを頂きました。 はじめは目を疑い、3回ほど読み直してしまいました! なんと!? STORYS.JPを通じて、会社の採用が決まったというのです! こんな嬉しい一報を受け、須藤さんの

世界は全て数式で記述出来ると信じていた高校時代の話①

2006年 修士論文の一部を撮影。 こういう数式を解くのが、今でもこの上なく好きです。 まえがき もう18年も前の話か...  私も歳をとったものだ。 中学時代から大学院時代まで、約13年間(浪人1年含む) 自分は医者か科学者になると信じていました。 少なくとも今やっている、営業やマーケティング、 デザインをやるなんて夢にも思っていませんでした。 数式と科学の美しさに魅了され、そこにロマンを追い求め

サービスを創る上で1番大切なことは、ユーザーが教えてくれた

1年前の昨日、2013年12月27日、「 学年でビリだったギャルが、1年で偏差値を40あげて日本でトップの私立大学、慶應大学に現役で合格した話 (通称:ビリギャル)」が出版されました。 現在、合計60万冊売れ、来年5月には映画公開も決まりKADOKAWAきってのヒット作になりました。商業的に成功につながったわけですが、実は、そんなことよりも、もっと大切なことを、このストーリーは僕たちSTORYS.J

読んでよかったストーリー

寺澤 浩一
908
5

17年前にタイムトリップ。社員7名だった楽天の三木谷会長は当時、何を語っていたのか。(その1)

1990年代終わり頃に書いたベンチャー経営者へのインタビュー記事、 ガンホーの孫泰蔵会長 に続いて、もうお一人ご紹介します。楽天の三木谷会長です。 三木谷会長へのインタビューは、1997年7月と1998年3月の2回にわたって行われました。今から17〜18年前のことです。三木谷さんが楽天の前身である(株)エム・ディー・エムを設立したのが1997年2月ですから、その数ヵ月後のことになります。当時の社員は
明日の タケシ
1166
5

【第1話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。

ひとりで生きていくという本当の意味を、理解するのは難しい。 それは、誰もがひとりでは生きていけないと思っているからであり、誰もがひとりで生きているのだと、信じているからに違いない。 僕が父子家庭になったのは、平成17年冬のことだった。 父子家庭という生き方が世の中に認知されるずっとずっと前のことで、それは思いがけずある日突然に訪れた。 その年のクリスマスにサンタさんがやってこなかったのは、子供たちが
須田 仁之
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【2001年】孫さんとの思い出(YahooBB立ち上げ) 長編

僕の職場は「戦場」でした。 毎日毎日、朝から晩まで、社内は燃えたぎっていた。 その熱は元々一人の事業家の「情熱」から始まったものですが、現場としてはそんなに美しいものではなく、「混乱」「焦燥」「窮地」から滲み出る「人熱の集合」みたいなものでした。 現場は常にギリギリの戦いを強いられ、疲労困憊し、 「おい、この件、どうなってる?担当の●●どこいった?」 「さすがに倒れてしまって病院いってるみたいです。
小松 麗奈
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初めての同棲生活

少々長くなります。単なる独り言ぐらいのストーリーだと思ってください。彼と出会ったのは歌舞伎町。面白いことに飲んだくれてるキャバ嬢だった私はあるホストクラブに行った。彼に出会った時は全く興味もなく普通のホスト。連絡を取らなきゃいけない仕事だから普通に連絡先を教えて連絡し始めました。淡白な私は別に教えたところで興味がなくなったらブロックするのを当たり前だぐらいに思ってました。ただ彼は店にも行かず外で一緒
菅野 流飛
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(思想の話4)寂しくなって別れた彼女に電話したらその日のうちに引っ越してきた話

「映画みたいな人生を送ってやる。」 というキャッチを昔どこかで見て気に入っていた。 会う時間がないという理由で別れる S社に入社した年の12月だったと思う。 仕事が忙しくて全く会う時間がないし仕事に集中したかったので、僕は彼女と別れた。もともとベンチャーに入社する時にちょっと不安がっていたのが気に食わなかったのもあった。俺に付いて来ないの?的な感じだ。(自分の)バカめ。 さすがのベンチャー企業も年末
菅野 流飛
264

(思想の話1)「社会にインパクトを与える」に飽きた話

プロローグ ~社会というシステムの中で重要なことは、所属した企業を通していかに大きなインパクトを社会に与えるかだと思う~ 2009年にネットベンチャーの採用試験で社長に語った僕の思想だ。 「そうなんですよ、菅野さん!」 と言われ入社して以来、4年半の間に転職を2回し、彼女と別れ、復縁し、結婚し、子供ができたりする中で変わってきた思想について順序立てて話してみたいと思う。 話が長くて飽きられないように
Sodebayashi Costa Santos Yuko
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リリー・マルレーン

♪vorder Kaserne      夜霧深く     or dem grossen Tor     たちこめて  stand eine Laterne     灯りのともる街角に  Und steht sie noch davor  やさしくたたずむ恋人の姿   do wolle´n wir uns da wieder seh´n     Bei der Laterune wollen wir
清瀬 史
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はじめての下北暮らし

   上京して、3年がたった。 渋谷での仕事が終わって10時すぎ、雑踏を抜けて井の頭線に乗る。 ずっといい町だなあと思っていた、下北沢で降りて、 おんぼろの一軒家に帰る。最近越してきたシェアハウス、日本人は僕しかいない。 停電を気にして真っ暗なリビングと、あまり片付けられてない台所。 やれやれと思いながらまあいいかと、夜遅いご飯をさっと作って、食った食ったと階段を上がり部屋に入る。 リュックを下ろし
照井 窓日
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28歳 大好きだった会社を飛び出し、人生を見つめる旅に

前日までいつものと仕事をし、最後まで気がかりなものを残したまま、ざわついたオフィスで仕事を終えた。今思うと、それまで見慣れた景色をもう見れないと寂しくなるのは分かっていることだから、無理矢理にでも見えている景色が変わったことは良かったのかもしれない。 お疲れさま、行ってらっしゃい!と飲んで送り出してもらった翌日、急いで荷造りをしてその足で空港に向かった。 まるで実感が無いまま、皆に行ってくるね!と連
緑川 岳志
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3

自ら機会を作り、機会によって自らを変えよ

「自ら機会を作り、機会によって自らを変えよ」 江副浩正さんが伝えてたこのワード、リクルートに入社してから知って、10年くらい普通に意識するコトバとして身に付いているんだけど、転職してみると、このコトバが通用しない人が多いことに気がつく。 ・機会をつくったら仕事が増える ・機会をつくっても給与は増えない ・そもそも自分を変えるつもりなんてない と考えている人が多すぎる。 原因を考えてみたんだけど、これ

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