花王の化粧品研究者がみつけた「蚊に刺されない」ヒント ~世界の人々を、蚊によってかかる感染症から守る技術開発の舞台裏~
蚊は、感染症を媒介することによって、地球上で最も人類を殺している生き物。蚊に刺されたら痒くて嫌、虫刺されのあとが残るのは嫌という感覚とは別次元で、「蚊に刺されることが生命にかかわる」、そんな危険に1年中さらされている人たちが世界にはたくさんいる。
そんな人々を蚊から守りたい。
花王は、2020年12月、新しい発想の蚊よけ技術を開発したと発表した。それは、「肌の表面」を蚊の嫌う状態に整えることで、肌に蚊をとまらせず、蚊に刺されないようにするという独創的なアプローチ。
発想は、日やけ止めの技術開発からだったという。日やけ止めというスキンケアの技術がどうして蚊よけに?!
参考)花王株式会社 12月9日 ニュースリリース
蚊の嫌う肌表面をつくり、蚊に刺されることを防ぐ技術を開発 ~蚊を媒介とする感染症から守る~
https://www.kao.com/jp/corporate/news/rd/2020/20201209-003/
■蚊の研究のはじまり
花王がこの課題に立ち向かうきっかけは、一人の研究者との出会いだった。
2011年2月、ニューヨーク。現在は花王のパーソナルヘルスケア研究所の研究員・仲川喬雄は、大学で、蚊やハエなどの昆虫の触角に電極を通し、昆虫がどのような嗅覚を持っているかの研究に没頭していた。当時、蚊の小さな触角上の微細な繊毛に電極を入れて測定することができる研究者は数えるほどしかいなかった。
その技術の教えを乞うために、仲川が在籍していたロックフェラー大学を訪ねたのが、花王の基盤技術研究室長。このとき、仲川の専門分野(昆虫の感覚受容)に対する深い知識、ひょうひょうとして飾らない人柄に惚れ込んだ研究室長が、一緒に研究しないかと持ち掛けたという。
帰国した仲川は花王に入社。以降、黙々と蚊の感覚受容に関する基礎研究を続けていた。
蚊が嫌うニオイとは?
蚊はニオイをどんな風に察知している?
蚊に刺されやすい人とはどんな人?
そのうちに、花王の数ある研究所の垣根を越えて、仲川と組むとなにか新しいことができそうという機運が、社内で盛り上がってくる。なにしろ、それまでの花王には、蚊を扱える研究者はいなかったし、そもそも蚊に刺されにくい、という価値を提供しようとは考えてもいなかったのだ。
仲川のもとには、「柔軟剤に蚊が嫌う香りを忍ばせたら、蚊が寄ってこなくなるのではないか?」など、さまざまな研究の相談が寄せられるようになった。
一方仲川には、一歩先の課題がみえていた。「東南アジアで感染症を媒介している蚊は、日本の蚊よりも、どう猛で強力。この蚊をもっと深く知りたい」。仲川はタイの大学に飛び、研究を開始した。
■蚊をすべらせてとまれなくする?
時を同じくして、化粧品開発を担当するスキンケア研究所。ここでは、瀧澤浩之(現花王パーソナルヘルス研究所タイ駐在)が日やけ止めの付加価値を高める商品開発を進めていた。
東南アジアでは、強い紫外線とともに、大気汚染物質が肌にダメージを与えているのではないかと考える人が多い。そこで、日やけ止めの機能として、紫外線を防ぐだけでなく、肌にほこりやPM2.5などもつきにくいものがつくれたら、喜んでもらえるのではないか、と考えたのだ。
その後、瀧澤は、素材開発を専門とする研究所(和歌山)に異動。“モノが付着する”という現象を突き詰める中、解決のヒントを、物質と物質が引き寄せあう引力(ファンデルワールス力)に求めた。微細な大気汚染物質を肌につきにくくさせるためには、肌とモノとの間の距離が離れればよい。つまり、肌の上にものすごく細かな凹凸をつくったらよいのでは?と考えたのである。
理論計算の結果、その凹凸は1ミクロン以下であることが判明。瀧澤は性質の異なる粉をつくり、来る日も来る日も試し続けた。
そうして、肌の上に、見た目にも触っても全く気付かないほどの細かな凹凸をつくる方法が完成。当初の、日やけ止め商品開発のミッションも順調に動き出した。
モノが付着する現象の本質を理解し始めたとき、ふと気づいた。
この技術の応用範囲は広い。微粒子がつきにくいなら、昆虫もとまれない!?蚊がとまれなかったらおもしろい!
瀧澤は、まず微細な凹凸のある斜面をつくり、裏山から捕まえてきた蟻にその斜面を登らせる実験を始めた。
なぜ、蟻だったのか?
単純に、そこには、蚊を扱える人も実験設備もなかったから。蟻の脚と蚊の脚が似ていることに着目した、好奇心からのスタートだった。
そうこうするうちに、蟻がすべって登れない表面ができてきた。瀧澤は、この様子を撮影し、当時会ったこともなかったタイ駐在の仲川に送りつける。
蚊がすべってとまれないような肌の表面をつくれるのか、どうしても確かめたかったのだ。
興味を持った仲川が、研究に参画。確かに、ヒト肌を模倣した人工皮革の表面に微細な凹凸を加工すると、蚊は脚の爪をひっかけることができずに斜面をすべり落ちてしまうことがわかった。
しかし、ヒトの肌に微細な凹凸をつくっても蚊はすべり落ちなかった…。
蚊はヒトの肌のキメ(大きな凹凸)に爪をひっかけることができるため、せっかくつくった1ミクロン以下の凹凸が機能しなかったのである。
■蚊が嫌がる表面を肌の上につくる、という発想
頭を抱える瀧澤の部署に、都内の研究所でスキンケアの研究をしていた飯倉寛晃(現花王メイクアップ研究所)が異動してきた。
彼の専門は高分子の界面科学。専門分野の論文で出会った、固体表面で球体を維持し続ける1枚の水滴の写真が、彼を花王へと導いたという。
飯倉と瀧澤はチームで議論を重ね、「滑らせるなら、油がよいのでは?油を塗ったら、つるっとすべるのではないか」と単純に考え、実験を始めた。
研究所内に蚊を飼育する設備を立ち上げ、さまざまな油を塗った表面に蚊をとまらせてみると、意外な様子がみえてきた。
水となじまないオイルを塗った表面では、蚊はとまった瞬間次々と逃げていく・・・。
どうみてもすべっているようにはみえない。でも、蚊は肌にとまり続けようとしないし、吸血もしない。なぜか??
2017年。
社内には、帰国した仲川をリーダーとする蚊の忌避技術開発に向けたプロジェクトが立ち上がり、いよいよ本格的にこの技術を完成させようという士気も高まってきた。
そして、飯倉の専門性が活きる。
蚊の脚の表面は、微細な凹凸構造をしているが、その構造とはまさに、飯倉の入社のきっかけとなった“球体を維持し続ける水滴”をつくる条件と似ていると気づいたのだ。
表面に微細な凹凸がある蚊の脚は、だから、強く水をはじく半面、ある種の油には非常になじみやすい。そして油に触れると、その多数の微細な隙間に吸い上げられるようにして、油は瞬く間に脚の表面に濡れ広がっていく。
それは、蚊の側からすると、脚が油に引き込まれるような感覚となる。
「毛管力は人間にとっては感知しにくいほどの些細なもの。しかし、蚊のような体の小さい生物にとっては、無視することができない大きな力となる。蚊は、油の塗られた肌表面に触れた瞬間、体ごとその油にからめとられるような危険を感じるはず。だから、あわてて飛び去るのではないか?」。(飯倉)
逃げた蚊は、そのあと、安全なところでしきりに針や脚をこすりあわせて、ついてしまった油を落とそうとグルーミングをする。よっぽどこの油が嫌いなようだ。
というわけで、意外な3人のコラボレーションにより、これまでの虫よけとは全く違うメカニズムで蚊に刺されなくなるという基礎技術が完成した。
ちなみに、カバの“赤い汗”も、肌表面を同じ性質に変化させていることが確認された。これも、大発見だという。
これまで、多くの昆虫の忌避技術をウォッチしてきた仲川も、「今回開発した技術は、蚊を殺すわけでなく、かく乱するわけでもなく、ただ、油によって肌の表面を蚊の嫌う性質に変化させただけ。こういう物理的なメカニズムで虫よけをするというのは、大変珍しい」と話す。
この油は、化粧品にもよく用いられるもので、使用制限があるような扱いが難しい薬品とは違う。ということは、スキンケアをする感覚で、蚊を避けられる可能性がでてきたといえる。
東南アジアで猛威を振るう、デング熱などの感染症は、赤ちゃんや子供にこそ、その被害が大きい。だから、誰でも負担なく使える虫よけがあったら、というのは現地の悲願。
一日も早くこの技術を、本当に困っている人に届けられるよう、研究と仕組みづくりが始まっている。
花王株式会社広報部
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