大工職人がゼロから住宅会社を創った「本当の理由」
株式会社ネオ・クラフト 代表取締役 新原貴之といいます。
情熱、熱意を持つ起業志望者、建設業界で活躍する若年層の方に伝えたいと思います。
私、新原は住空間をサポートする株式会社ネオ・クラフトを2015年に立ち上げました。個人事業主(工務店)として創業20年目となり、独立起業して10年目となります。起業して10年目ですが大工職人だった自分にとって、経営者を目指すのは想像もしていない事でした。それでも起業し住宅会社を創った一番の理由は『建設業界を自分で変えてみたい』と心の底から思ったからです。
25歳から大工となり最も稼いでいた35歳で引退。回りの誰もが反対、それでも起業し現在に至るまでの真意をここに記します。
まずは現在の建設業界の現実を知っていただく必要があります。大手ハウスメーカーの大工見習いとなった23歳、すでに業界では「技術、想い」をお客様に売るのではなく住宅という商品を如何に製品化し短期間で完成させるか、という流れになっていました。25歳となった時、他ハウスメーカーからの引き抜きで専属大工として10年間新築住宅を作ってきました。
移籍したハウスメーカーも時代の流れに合わせ職人技術から『スピード』を求めるようになり技術と想いを持った職人はプライドを捨て志事から「作業」へと変わって行きました。思い描いてきた「お客様のために誠心誠意を込めて家を作る」という理想は儚くも散っていったわけです。
既に建設業界に嫌気がさしていた30代、転職先を探そうと動き始めたとき2011年3月11日 東日本大震災が発生。奇しくもその日は自分の35歳の誕生日でした・・
それから数か月後、ボランティアで岩手県大船渡市へ入り被災地の現実を目の当たりにします。この日、ボランティアに参加していなかったら間違いなく今の自分は無く、志も生まれてはいなかったはずです。人生の目標と教訓を与えてくれた被災地、今でも毎年足を運んでいます。
それまでの人生、全ては「自分の為」にどう生きるか?を考えていました。自己中心的とはまさにその通りで敵を作ることに抵抗すらありませんでしたが、ボランティアで大船渡の港へ行き辺り一面が瓦礫で覆いつくされた環境に投げ出されます。
台風が迫る大雨の中、山となった瓦礫をスコップですくい一輪車で運ぶという単純作業。僕は瓦礫の中に沢山の「家族の想い出」を目にし被災された人の無念の想いと、自分の無力さを痛感しました。
ただその時、自分の身体全身に体感したことのない想いがこみ上げます。
「目の前の瓦礫、これは今の自分にしか拾うことが出来ないのではないか?」そう感じたとき、こんな自分でも誰かの為に何か出来るかもしれない。帰路のバスの中でただただそう考えました。
それから数週間後、自分が出来るとすれば家づくりに関わること以外は無いと気が付き「不透明」な住宅リフォームをクリアなものに変えて行こうと起業を決意。ほとんど触ったことのないパソコンを購入し始めたのがブログでした(現在も365日更新中)。
ほとんど不眠不休で2週間、パソコン向かい続け両手の平は腱鞘炎となり完成したブログとポスティングチラシ。チラシとは呼べないWordで作成した15行ほどの文章でした。
期待を胸に、市内全域を3カ月ほど掛けて自転車でポスティングし初めて受注したのが500万円のリフォーム工事です。
「ポストのチラシを見てブログを読みました。ぜひお願いしたい」と。それ以降、ブログでリフォーム、注文住宅を集客し、現在はSNSに移行しつつあります。そう書けばカッコいいかもしれないですが、起業した当時、資金も無く資本はゼロ。下請けを辞めて仕事が無い状態でスタートしたのは情熱以外の何ものでもなく、今でもポリシーである『やるやならいより、どうやるか』だけを今以上に考えていたから出来たのだと思います。
自分で毎日発信し、チラシも自分で作る。それがいつからかオリジナルのマーケティングへと変わり、会社は他社と比較されても明確に打ち出せる要素を持つようになりました。
現在、「日本一海沿い平屋モデルハウス」を千葉県大網白里市にて展開、当社が誇る「腐らない天然木」で仕上げたウッドデッキ&小屋キットTINY展示場を展開しています。
この仕組みで全国FC化計画を進めています。
(6月末にオープンとなります)
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