QB HOUSE誕生秘話。「ヘアカット専門店」という新ジャンルを切り開いた創業期の裏側。
7月3日は、今や国内外700店舗以上を展開するヘアカット専門店「QB HOUSE」の創業者、故・小西國義氏の命日です。1号店オープンから25年目を迎えた創業者の命日というタイミングで、独特の千里眼ともいうべきセンス・視点と誰も発想しない独創的なアイデアによって、この日本に「ヘアカット専門店」という新しいジャンルを切り開いた創業者の言葉や当時のエピソードを織り交ぜながら、QB HOUSE誕生から創業初期の頃のお話を広報担当の私、平山がお伝えします。
創業者 小西國義氏
QB HOUSE構想のきっかけ
もともと小西氏は、歯科医院の賃貸物件の斡旋やそこで使用される機器類のリース事業を経営していました。大事な商談前にはゲン担ぎに高級床屋を利用しており、ある日「今日は急いでいるので30分でなんとか頼む」とお願いしたところ、いつも1時間以上かけていたサービスが30分で終わり普段と変わらない見た目に。その際、ふといくつかの疑問が溢れ出てきました。
いつも倍以上の時間がかかるのはなぜだろう。同時にカットを頼むと髭剃りやシャンプー、マッサージがついてくるのはなぜだろう。そもそも田舎でも東京のど真ん中でも床屋の料金が同じなのはなぜだろう。
「顧客のために」と提供されているサービスや心配りは、人によって、もしくは場合によっては有難迷惑であったり、「不要なサービス料金分が顧客負担となっているのはいかがなものか」と思うようになりました。しばらくして、その高級床屋で寝てしまい商談に間に合わず、なぜ起こしてくれなかったのかともめたことをキッカケに、その店に足を運ばなくなったそうですが、この経験から「カットに特化した店を開こう」と決意、「一般的な床屋のサービス料金と男性のカットだけなら10分位で済むだろう」ということで「10分1,000円のヘアカット専門店」というコンセプトを思いついたと聞いています。
一方で、理美容業界は素人でしたので色々と調査をしていくわけですが、業界では後継者が少なく待遇も良くはないということが分かり、「ならば逆のことをすればかなりのビジネスチャンスになるのでは」と考えたようです。創業者らしい発想の転換です。ただ、流石のアイデアマンであっても、本当に〝10分1,000円のヘアカットのみ〟というサービスが人々に受け入れられるのか不安だったようで、数字での確証を得るために繁華街の難波、ビジネス街の梅田、住宅街の千里ニュータウンという関西エリアでマーケティング調査を行ないました。
すると「従来の店舗に行く」が35%、「どちらとも言えない」が同じく35%程度となり、「利用してみたい」が、想定していた5%の6倍、30%という想像以上の結果に。あえて選んだ、お金にシビアかつ商人の町と思われるこの関西エリアでこの数字ならば、東京も成功すると踏み事業立上げを決意しました。このマーケティング調査の結果が悪ければ、この世にQB HOUSEは生まれていなかったかも知れませんし、また、東京在住ながらもあえて関西の地域特性の異なる3地点を選ぶセンスが小西氏らしいところです。
調査と検証から生まれた“ないない尽くし”の店舗
“らしい”と言えば、1号店オープンまでに3年間を準備期間に充てる周到さもそのひとつ。アイデアとひらめきだけでなく、この世に存在しないビジネスモデルである「ヘアカット専門店」をゼロから創り上げるわけですから、関西でのマーケティング調査のように数字や人の意見を元にしっかりと肉付けをするための検証期間を設けたのです。まず手掛けたのは、店舗のミニチュア作り。当時は、「ヘアカット専門店」という概念すらありませんでしたので、店舗の賃貸借契約を締結してくれる家主を探すにも一苦労だったと私も聞いており、当時、どういった店なのかを取引業者に説明し、「ヘアカット専門店」のイメージをきちんと持っていただくことは重要なプロセスであったようです。
ミニチュア作りがアイデアの宝庫に
また、ミニチュア作りは徹底したコスト削減を実現するための発想の場でもありました。顧客単価1,000円(現1,200円)のビジネスモデルのため、高い回転率と徹底したコスト削減がカギとなるわけですが、そこでも創業者らしさが際立ちます。
まず、店内を最小限の広さにすることを決めました。専有面積を減らして家賃を抑えることを考え、スタッフの作業域とお客さまの誘導動線が重なる部分を多くする工夫をし、結果的にカットブースを斜めに配置したことが、お客さま同士がカット中に鏡越しに目を合わさないで済むという顧客メリットにも繋がり、割と早期に家具類の配置は決まりました。
徹底したコスト削減は働く人の仕事内容も確定付けていきました。スタッフはカットに専念してもらい余計な業務負担が発生しないようにしました。例えば、当時どこの理美容店でも実施していなかった業界初の券売機による先払い方式を採用し、お会計という業務を減らしたわけです。
いまでこそ業種問わず券売機による先払い対応は一般化していますが、有史以来、お客さまも「この髪型、とても気に入りました、ありがとう」「気に入っていただけて良かったです」などと言いながら、ヘアカットの対価としてお会計をしていたところ、ヘアカットをしないうちからお会計をすることになるわけですから、お客さまとスタッフ双方に全く抵抗感、違和感がなかったといったら嘘になるでしょう。そして、あれこれと検討した結果、電話も雑誌もテレビも傘立てもないお店となりました。電話を置かないので予約もとらない、という本当にないない尽くしのお店です。凡人の私には到底、思いつかない発想です。
コストに対する考え方は、単なる業務効率化ではなく、全ての作業工程をコストとして数値化して計算していくというのが創業者流。電話で予約や道案内をするために2分かかったとしたら200円のコストが発生する、傘を取り違えたというお客さまの対応に5分かかったとしたら500円のコストが発生する、という考え方なのです。一方で、当然その対応策も考えており、予約を取らずにお客さまの隙間時間にご来店いただけるよう、店頭に「QBシグナル」と呼ばれる信号機をつけ、その色で混雑状況を知らせるようにしました。
当時、看板に設置されていたQBシグナル(現在は店舗入口付近に設置)
また、お客さまのコートや傘をお預かりした際に双方の思い違いによるトラブルを防ぐため、カット中はお客さまの目の前にある鏡の裏のクローゼットに、お客さまご自身で出し入れをしていただく流れもこの創業時に生まれました。
さらに創業当初から変わっていないのが、シャンプーをせずに「エアウォッシャー」という掃除機のような機械で髪の毛を吸い上げることです。いまやQB HOUSEの代名詞ともいうべき特長を持つこの「エアウォッシャー」の発想は、経費のかさむ水道設備を必要以上に作らないことに端を発します。色々な検証と失敗を重ねた結果、一般的な理美容店の3分の1程度のコストで店舗を作ることを可能にしました。
初期の頃のQB HOUSE店内
時代の後押しもあり1年前倒しで1号店オープン
後述の店舗システムなどの特許申請、お客さま用クローゼットやエアウォッシャーなどを一体化させたユニット家具などの意匠登録、ロゴマークなどの商標登録も済ませ、会社も設立し準備をすすめていた1995年末、追い風のようなニュースが飛び込んできます。終戦間もない頃から過当競争防止の名目で例外的に認められていた業界カルテル(各都道府県の地域別に休日や営業時間、料金などを業界内で統一する制約)が、1996年4月より規制緩和の一環で撤廃されるというのです。
これを知った小西氏は予定していた準備期間を1年早めることを決め、1996年11月の1号店オープンにこぎつけました。しかし最後の最後まで決まらなかったのがシャンプーの変わりに髪の毛を吸い上げる「エアウォッシャー」のスタイルでした。髪の毛を掃除機のように吸うというまだ誰も見たことがない装置をいかに稼働している店内に見栄え良くかつ効率よく配置するか、開発メーカーやQB初期メンバーの議論は紛糾するばかり。
結果、小西氏がガソリンスタンドの給油ホースからヒントを得た、エアウォッシャーのホースが上から降りてくるスタイルに決着するまで1年半を要しました。そしてついにJR神田駅から7~8分ほど歩いた雑居ビルが立ち並ぶエリアの一角にQB HOUSE 神田美土代店がオープンします。
QB HOUSE1号店「神田美土代店」(東京都千代田区)
QB HOUSE1号店オープン初日はあいにくの雨。にも関わらず、途切れないお客さまの中に紛れて、新聞や雑誌のほか5社のテレビ局が取材のため来店、規制緩和の象徴店として広く報道されました。
肝心な1号店の作りは創業者が明るくお客さまを出迎えたいと拘った全面ガラス張りの店構え。あの「QBシグナル」を点灯させるしくみは、来店すると自動ドアにあるセンサーが反応、券売機でチケットを購入したお客さまが座られる待合席にもセンサーがついており、来店客数と待合席の着席数の差によってQBシグナルの色を自動的に点灯させていました。
さらに10分間のカウントはカットブースに10分間の砂時計を置いて対応していました。このQBシグナルを点灯させるしくみや10分間のカウント方法は、今でこそDX化されて変わってはいますが、全面ガラス張り、QBシグナル、10分間カウントという点は創業から25年経った今も変わっていません。
当時の社会の反応とその後
「短い時間で仕上がるのが最高」「今行っている店と使い分けていきたい」「システムに関心しました」「月に2回来ても2000円でベストの状態でいられる」とオープン直後に聞かれたお客様の声は現在と変わらない一方で、「いろんな店があっていい」「こうした店と高級店の2極化がすすむのでは」「他店より自店の切り盛りで精一杯」という当時の同業他社の声はまちまちでした。そのため、「お客さまは好意的に捉え、創業前のマーケティング調査の30%を加味すると当時14万件あった理容店のうち4万軒強が消滅する計算となるが、このカットのみという新業態の出現を理容店側は脅威とは受けとめてはいないようだ」とメディアからは評されました。
好評を受け、1996年11月1日の1号店オープンの翌1997年末までには12店舗がオープンするのですが、この時点までにはさらなる改善が続いていました。まず、最後までもめていたあのエアウォッシャー。当初はカット席とカット席の間に設置し二人のスタイリストで“共有”していましたが、時間効率が悪く、カット席毎にエアウォッシャーを設置することに変更。また、コスト削減のためにカット席のイスを量産されるパチンコ屋のイスに変更していた一方で、1店舗あたり1台設置していた券売機を1店舗あたり2台に増台していました。
券売機を2台設置するとコスト増になり、一見、相反することに見えますが、ここにも創業者の勘が働きます。ある日、小西氏が何げなく入った立ち食い蕎麦屋さんの券売機が故障しており「もしもQB HOUSEで券売機が故障したら復活するまで売上がなくなり、それをスタッフに対応させたらコストがさらにかかってしまうぞ」ということに気付かされ、急いで不測の事態用に1店舗あたり2台用意したようです。効率、コスト、リスク管理の絶妙なバランスでの経営判断だったと思います。
2台設置された券売機(のちに片方に扉を取付)
創業から10年目の2006年、小西氏は代表職を退きました。
しかし、常に綿密な調査と試験的導入を繰り返しながら、改善・進化をさせていくという“創業者イズム”の社風は今にも継承されており、店舗システムのバージョンアップやスマホアプリ開発、さらには過去2回の価格改定時に業績への影響を最小限にとどめる価格設定手法などに活かされていきます。
2022年夏。コロナ禍の暗いトンネル出口がうっすらと見えてきた今、さらなるお客さまの利便性やスタッフの働きやすい環境づくりといったことを視野に、新たな進化を遂げるべく準備をすすめています。
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