組織開発専門家・勅使川原真衣さんが、「能力社会」を自己批判する本を命がけで書いた理由
(撮影:竹田俊吾)
組織開発の専門家として、有名企業のコンサルティングを多数手がけ、陰で支えてきた勅使川原真衣さん。ガン闘病をきっかけに、自身の専門性がはらむ問題に気づき、書籍を執筆したという。勅使川原さんが仕事として手がけるのは、企業の人材採用・評価・育成の支援。でも、当たり前のように行われる能力評価や能力開発を謳う商品が、実は個人を生かすどころか、追い詰めている——。そんな気づきをもとに、著書『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)を2022年12月25日に上梓。能力開発の泥沼に人々が陥ってしまう社会背景を紐解きながら、他者とよりよく生きるための方法を記している。
勅使川原さんは、二児の母でもある。幼い子どもが大人になった頃を想像し、母子の対話のかたちで本をまとめた。この記事では、勅使川原さんに、書籍の内容や、執筆の経緯を振り返りながら、綴ってもらった。
組織開発とは、人と人の関係性をより良くすること
「生きる力」「コミュ力」「リーダーシップ」「美意識」……。社会人として生活していると、こうした特定の「能力」が欠けていることが、物事がうまくいかないことや、幸せになれないことの原因だと主張されることがよくありませんか? でも、本当に「能力」が低いから、うまくいかないのでしょうか? これらを鍛えれば、生きづらさは消え去るのでしょうか? 「幸せ」になれる? 「成功」する?
……私はこうした個人の能力に責任を負わせる「能力主義」の主張にある違和感をどうもぬぐえません。
“目的に向かって活動する二人以上の人間の集まり”を「組織(チーム)」と捉える私は、組織開発の専門家です。企業はもちろん、病院、学校、スポーツチーム、時には親子や夫婦に寄り添いながら、人と人の関係性をより良くする方法を考え、実践しています。
能力主義の広がりを批判してきた教育社会学を大学院で学び、人材開発業界という「能力社会」どっぷりの業界で働き、さらには予期せずガン闘病をしているからこそ、見出し、確信した生きづらさを生み出す社会構造があると考えています。このたび、その分析内容を、たとえ自分が死んでしまっても、子どもたちに伝わるように、大人になった彼らとの対話形式で1冊の本にまとめました。
▲『「能力」の生きづらさをほぐす』(勅使川原真衣著、どく社)定価:本体2,200円(税込)、体裁:四六判・並製・264頁、ISBN:978-4-910534-02-2
個人が「能力」を開発しても、他者との関係性の問題は解決しない
「どうしてうまくいかないんだろう......。これって、自分のせい?」
職場や学校などで物事がうまくいかないとき、私たちは原因を自分のダメさ加減に求めてしまいがちです。言動はもちろん、考え方、習慣、果ては性格までが反省対象となります。でも、その一方で、「本当に自分だけが問題なの?」とモヤモヤすることはないですか?
その違和感、大切にしてください。結論をすこ~しだけ先取りしますが、“問題”は個人の内面にある「能力」にではなく、人と人、あるいは人とタスク(仕事)との関係性のなかにあります。誰かひとりだけが悪者なんてことはそうそうない。周囲との相性が悪い、会社の仕事の与え方が悪い。にもかかわらず、うまくいかないことがあると、「あいつは『能力』が低すぎる!」「お前は『メンタル』が弱すぎなんだよ!」と、とらえどころのない個人の内面を持ち出して犯人さがしがはじまります。
その挙句に、です。ある特定の「能力」を持つことが正しく、それを獲得することが人を幸せや成功に導く――なんて主張をする本やセミナーなどが支持され、日々追い立てられている。
でも、これってどこか、おかしくないでしょうか?
繰り返しますが、人と人がともに生きる場で生じる不安や違和感の多くは、他者との「関係性」の問題。あなただけが「能力」を開発したところで、問題は解決しないのです。
生きづらさの最初の難所は、社会人2年目
では、なぜ、こうした主張や能力開発を謳う商品・サービスが影響力をもつのでしょうか? この本では、「能力」を巡る生きづらさが生み出される、社会の構造的な背景を示しながら、 その泥沼から抜け出す方法を模索しています。
ちなみに、「能力」の生きづらさは学生時代から感じられると思いますが、その最初の難所は、社会人生活に慣れきらない、新卒2年目くらいだと現場や自身の経験から感じます。そのため、この本の設定は、今は小学生の息子が社会人2年目になるであろう約15年後としました。私はそのときにはゆうれいとなっていて、あの世からやってくる。娘はその頃、高校生で、社会の様子を敏感に感じ取る時期を迎えている。ゆうれいになった母さんと議論する絶好のタイミングだと考えました。
今はまだ幼い子どもたちですが、大人になる頃、「母さん」がもしいなくても、希望をもって生きてほしい。そんな想いを込めつつ、我が子のみならず次世代のすべての方を思い浮かべて話しています。では、具体的にどんな本なのかをご紹介します。
▲物語は筆者の体験や知見に基づき、15 年後の勅使川原家を舞台に設定
『「能力」の生きづらさをほぐす』は、どんな本?
話は、プロローグからはじまります。ときは2037年。「仕事のできないダメなやつ」と上司に酷評され、午後休を取得する未来の息子。母の仏壇を前に「なにをどう改善したら、みんなは認めてくれますか?」と泣き崩れるように心境を吐露すると、ゆうれいになった母さんが下界に現れます。
母さんは、いわば、「能力オタク」。大学院で「能力」について研究し、「能力」にまつわる採用、評価、育成に関わってきた。にもかかわらず、息子がまさに「能力」で悩んでいる。うなだれる息子に、「今日はじっくり『能力』の実態について、話していこうよ!」と対話をスタート。第1話「能力の乱高下」では耳慣れた「能力」が、実は幻のように実態のないものであることを現場の実例をもとに明らかにします。
第2話「能力の化けの皮剝がし―教育社会学ことはじめ」では、母さんが大学院時代に学んでいた、教育社会学についてざっと解説していきます。出自の違いが、社会に格差を生み出す、「親ガチャ」を実証した学問として知られますが、社会が「求める能力」は「学力」にとどまらず、今や「人間力」「生きる力」など知的側面以外にまで広がり、複雑性と影響力を増していることを批判的に捉えてきた学問でもあります。その足跡を駆け足でたどります。
社会が「求める能力」の影響力の大きさを示すのが、第3話「不穏な『求める能力』―尖るのを止めた大学」。母さんのほこりをかぶった修士論文を紐解きながら、企業が学生に「求める能力」が、大学のカリキュラムまで変えてしまった実例を紹介します。
第4話「能力の泥沼―誰も知らない本当の私」は学校から帰宅した娘も会話に加わり、なぜ能力が影響力をもつのか、どのような社会構造に支えられているのかを議論していきます。まずは、 学校教育段階での能力評価の見落とされがちなおかしさについて考えます。
第5話「求ム、能力屋さん―人材開発業界の価値」からが、母さんの議論の真骨頂。学校教育段階をへて社会に出た後に、能力主義を支えるのは誰? そこに登場するのが、個人の能力評価を客観的なデータとして売る人材開発業界です。
人材開発業界が成功した「能力」の商品化。第6話「爆売れ・リーダーシップ―『能力』が売れるカラクリ①」、第7話「止まらぬ進化と深化―『能力』が売れるカラクリ②」では、身につけるべき「能力」が果てしなく量産されていく、巧みな商品化や販促の方法を見ていきます。そこから生まれる社会構造は、本当により良い社会への足がかりになっているのでしょうか?
第8話「問題はあなたのメンタル―能力開発の行き着く先」のテーマは、能力開発と手を結ぶメンタルヘルス。より良い人生のために「能力」を磨き、走り続けても、思うようにいかないのもまた人生。心身のバランスを崩すことも。そんなとき、救済の1つとなっているのがメンタルヘルス。でも、そのマーケットは急拡大中。危うい点はないでしょうか? 親子はますます白熱の議論を進めます。
第9話「葛藤をなくさない―母から子へ」では、「〇〇力」を高めろというような安直な能力論ではなく、他者とより良く生きるために、真に必要な視点は何かを考えます。母さんが闘病エピソードを交えて子どもたちと語り合い、娘のエピローグで幕を閉じます。
「能力」への関心から、人材開発業界へ
「能力オタク」の母さん。その「能力」への懐疑は小学生時代に、自分の“リーダーシップ”について、担任によって評価が真逆に変わったことが発端です。「おかしいなぁ」「なんで私ひとりが悩まなければいけないんだろう?」と思いながらも、やり過ごしてきました。
▲小学生の頃
大学卒業後に、一時、海外の学校で日本語教師をしていたのですが、そのときにも、「マイのリーダーシップは弱すぎる」と叱咤を受け、モヤモヤは募るばかりでした。
私は心のモヤを晴らすときは、いつも読書で息抜きをします。そのときに出会ったのが、教育社会学の本でした。当時東京大学で教鞭をとられていた苅谷剛彦先生(現オックスフォード大学教授)の本に出会い、こんな学問があるんだと。能力を個人の責任にせず、関係性のなかで考える視点を知り、これだと考えたんです。
その後、2006年に23歳で東大の大学院に進み、苅谷先生や本田由紀先生のもとで「能力」について探究を深め、「労働の現場でどう能力が扱われているのかをこの目で見てみたい」と、民間調査会社に就職。「敵地視察のための就職」と言われました。外資経営戦略コンサルティングファームなどをへて、「人の『能力』とは?」をもっと突き詰めてみたくなり、31歳のときに人材開発に特化した専門コンサルティングファームで働くようになりました。
独立と、闘病生活のはじまり
しかし、私は、しだいに自分の仕事に疑問を抱くようになっていきます。適性検査などの能力診断や、リーダーシップ研修などを売るわけですが、売って終わりの仕事。本当にそれでいいのか、という疑念が心の奥底にありました。小さいながらも会社を経営する父親に育てられた私は、「この商品を父親の会社に売る気はしないなぁ……」と思わずにはいられず、胸が痛んだのです。
そのうえ、土日もほぼ休みなく働いていて、当時2歳だった息子が、靴ひもを自分で結ぶのも待ってあげられない状態。自分で仕事に裁量が持てるよう1年後の2017年には独立しました。
▲クライアントのもとで研修を行う筆者
それから、職場の人と人との関係性の調整まで踏み込んで行う「組織開発」を実践しはじめました。組織開発のコンサルタントは「プロセスコンサルタント」と呼ばれ、クライアントの事業展開の道中に張りつく仕事。仕事に際限がなく、さらに忙しくなり、家庭はより犠牲に……。それでも今が頑張り時と必死でした。
▲多忙を極める仕事のかたわら、二児を育てる
企業では上場企業から、社員数名のスタートアップまで、ほかにもクリニックなどで私の組織開発の手法は順調に広がっていきました。ですが、新型コロナウイルスの影響で、2020年春に予定されていた新人研修の仕事がまさかの全キャンセル。急に時間ができて、「ずっと胸のしこりが気になっていたから」と気楽に、病院に行ったのが6月末でした。
医者が「なぜこんなになるまで……」と驚き、私も驚愕。進行がんでした。帰りに病院の駐車場から車を出すとき、ポールにガリガリとこすってしまいました……。看護師さんが慌てて飛び出してきて、「ほんとに大丈夫?」と声をかけてくれましたが、大丈夫じゃなかったです。自分の話ではないような変な感覚でした。
そこからあれよあれよと治療がスタートし、これまでとはまったく別の意味で目まぐるしい日常がスタートしました。子どもを遺して死ぬわけには絶対に行きませんから、とにかくやれる標準治療は何でもする。24時間ずっと船酔いのような状態。女性ホルモンを急に止めた影響で、超急速にひどい更年期にもなり、38歳の1年は記憶がないです。それでも、娘の保育園の送迎は行かねばならないし、息子の算数の宿題には丸つけをせねばならない、そんな日々でした。
▲抗がん剤治療中も3人で力を合わせた
人類学者・磯野真穂さんが執筆に伴走
抗がん剤治療×会社経営×子育ての日々にさすがに滅入って、塞ぎこんだ時期がありました。精神科医の知人に「絵に描いたような不幸だね」と言われて落ち込んだり、同業者が「勅使川原はもう終わった」と話していると耳にしたこともありました。
いわば、世間の評価が病を機に真逆に一転したのです。しかし、とにかく私はしぶといので、あきらめません。
「これは私だけの問題なのだろうか? 社会の構造的な問題が潜んでいないだろうか?」
若かりし頃に教育社会学で学んだ視点で自己と周囲の状況を俯瞰してみると、そう思えてなりませんでした。そして、問いを誰かにぶつけて検証してみたかった。
誰ならやり場のない気持ちに寄り添ってくれつつ、鋭い示唆をくれそうか。真っ先に顔が浮かんだのが磯野真穂さんでした。医療人類学者としていろんな人の生に寄り添い、新型コロナについても鋭い発言を行っていた磯野さんであれば、「絵に描いたような不幸」と言われる私の状況にも、先入観なく寄り添ってくださるのでは?と。その年のクリスマスの日に、カフェで3時間近く話し込みました。それから、毎月のようにお話をするなかで、自分の仕事の意味を批判的に検証しなおし、子どもたちに継ぐべき他者と生きる知恵の思索を深めていきました。そのプロセスが、結果として1冊の本になったのです。
母子の対話形式も、磯野さんとのやりとりから生まれました。最初は頭でロジックを組み立てて構成をしようとして、怒られたりもしたのですが、磯野さんのアドバイスのとおり、とにかく原稿に向かいあって何万字と書きなおしてみる。「こんなとき、あの子ならなんていうかなぁ?」と、思うままに筆を走らせていく。すると、自然と、物語が展開していきました。
▲磯野さんから出版記念にもらった万年筆を愛用(撮影:竹田俊吾)
そろそろ一元的な正しさを卒業しよう
この本が主に扱ったのは「能力」ですが、社会に生きづらさを生み出しているものは、一言で言えば、「一元的な正しさ」ではないでしょうか。「客観性」「エビデンス」「効果」「効率」「効用」も、ないとダメかのように語られる言葉です。「健康」「しあわせ」「美しさ」なども、そうあるべきと信じて疑われません。ですが、本当にそうでしょうか。どこかの誰かが決めた基準で、評価されないと、私たちは落ち込まないといけないのでしょうか?
そんなことはないはずです。誰かが決めたものさしでは、むくわれない。私たちは雨を避けて、晴天のなかだけを生きていくことはできません。だから、今日も目の前の感情や状況と向き合い、それぞれの人が「主観」や「主体」を大切に慈しんでいく。そうすれば、生はまっとうされると、いま私は考えています。
一元的な正しさを卒業する社会は訪れるでしょうか。その日が来るのを子どもたちとともに見届けたい。まだまだ死にません。「母さん」は本当にしぶといのですから。
【関連プレスリリース】
「能力評価」が生きづらさを生み出す。ガン闘病中の組織開発専門家・勅使川原真衣氏が、他者と生きる知恵を示す『「能力」の生きづらさをほぐす』を出版
【書籍情報】
書名:『能力』の生きづらさをほぐす
著者:勅使川原真衣
発行:どく社
発売:2022年12月25日
本体価格:2200円(税込)
判型:四六判・並製
ページ数:264
ISBN:978-4-910534-02-2
【販売サイト】
版元ドットコム:https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784910534022
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Amazon:https://www.amazon.co.jp/dp/4910534024
【著者紹介】
勅使川原真衣(てしがわら・まい)
1982年横浜生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業、東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。BCG、ヘイ グループなど外資コンサルティングファーム勤務を経て独立。2017年に組織開発を専門とする、おのみず株式会社を設立し、企業はもちろん、病院、学校などの組織開発を支援する。二児の母。2020年から乳ガン闘病中。
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