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「一度死にかけた魂」創業の原点、出版事業への信念と想い。

著者: 株式会社ブックダム

 

『振り返ると、私は27歳(会社員時代・入社5年目)を節目に一度生まれ変わることができたような気持ちでいます。その節目に起こった出来事こそ「起業理由」そして「ブックダムのミッションやビジョン」にもつながる原体験でした・・・』


 2019年12月、株式会社ブックダムを創業。代表取締役 菊池大幹、38歳。

立ち上げ当初に手掛けたのは、書籍PR・プロモーション事業。2022年には、出版という手段を通じて経営者や企業が抱える課題解決、ビジョン実現の支援を目的とした「出版プロデュース事業」をはじめた。そして今年6月、念願だった「出版事業」をスタートさせた。菊池が、なぜ人生を懸けてまで「本」「読者」「出版事業」にこだわるのか、その原点となった過去について赤裸々に語っていただいた。


会社員時代のどん底経験


 出版という仕事に携われたのは「たまたま」の縁でした。大好きなスポーツに関わる仕事に憧れがありましたが、就職活動で本命だったスポーツ新聞社にはすべて書類選考で落ち、早々にその道をあきらめました。

一方で、漠然と「営業の仕事をしたいな」という考えがありました。様々な業界・業種の会社に応募する中で、とある出版社からのDMに目が留まりました。その会社こそ、新卒で入社した出版社・高橋書店でした。


 当時から高橋書店は、出版社の中でも特に書店営業に注力しており、出版×営業という掛け合わせも魅力に感じたので実際に応募したところ、これも縁なのか運よく入社に至りました。配属は販売部。担当書店に訪問し、自社商品を中心とした売場の提案を行い、商品を仕入れていただき展開していただいた上で、自社商品の売上を伸ばしながら書店の売上に貢献していくことが主な仕事内容です。期待と不安が入り混じりつつ、出版営業人としてのキャリアをスタートさせたのですが、1年目から大きく躓いてしまいました。営業成績はずっと低空飛行。最下位であることもしばしば。成績のみならず業務上でも失態を連発し、上司からは怒られるどころかすっかりあきれられてしまい、信頼も信用もそこにはありませんでした。自信の無さを社内はおろか営業現場でも隠し切れていなかったはずですから、成果も出るはずがありません。それから、2年目、3年目と時が経ちましたが、状況は大きく改善せず、むしろ悪化していきました。



「お前さえいなければ会社はもっと良くなるのに」

「お前がいると足を引っ張られて迷惑なんだよ」


そんな空気が充満しているような空間の中で、息が詰まりそうでした。

ただ息をひそめながら、こうも思っていました。


「自分はこんなはずじゃない」

「自分はもっとできるはずだ」

「このまま終わるわけにはいかない」


心の声がいつもそうこだましていました。

無駄に自尊心が高いというか、心だけは折れなかったのですが、その気持ちがあろうことかよからぬ方向に働いてしまいました。


社会人として、いや、人としての真っ当さを失ってまでも、自分を良く見せよう、自分の居場所をつくって評価してもらおうという思考に完全に囚われてしまったのです。いわゆる「判断能力の欠如」です。呼吸するように毎日嘘をついていました。訪問していない書店に訪問したという報告。受注していないのに受注したという報告。禁止事項と知りながら、どうにか営業成績を上げたくて、書店員さんに頼りにされたくて、休日に何度もお忍びで書店に訪問していたこと。それが一度バレて今後二度と繰り返さないようにと釘を刺されても、翌週以降には病気のようにまた再発していたこと。肝心の平日は心身しんどくて、朝は起きれなかったこと。それを会社に内緒にしていたこと。元々効率も悪い人間だったので、毎晩21時や22時まで書店を回り続け、翌朝始発で出勤し、上手く取り繕うための日報作成に2時間も3時間も費やしていたこと。どうにか営業成績を上げるために自社の商品を担当書店でまとめて購入したこと。もはや何をしたいのかがわからない。他に挙げればキリがないのですが、こういった行為の数々はいずれ白日の下に晒されるのだと、身をもって知ることになります。




魂は死んでいたも同然だった


 結局、4年目の秋に直属の上司に数々の所業がバレ(虚偽の注文書を作成し、社内処理に回したのが明るみになったことが最後の引き金)、解雇寸前に追いやられました。

言うまでもなく、自らの手で自分を解雇寸前に追いやってしまったのです。嘘にまみれた報告書が上司の手によってビリビリに破られ、白い雪のように目の前で宙を舞う光景は一生忘れることはないでしょう。


「どうしてこんなことになってしまったんだ。自分はどこで間違ってしまったんだ。」

ただただその場で泣き崩れることしかできませんでした。


もう死のう。消えたい。

自分は存在しても人に迷惑をかけるだけだ。誰も喜んでくれない。

なんで生まれてしまったんだ。そもそもなんで親は俺なんかを産んだんだ。俺はこの世に生まれてくることを望んだ記憶はない!(今は感謝しかありません。私を産んでくれてどうもありがとう。) 


振り返ると、自己本位な己の未熟さに苦笑いするしかできません。すべて自分で蒔いた種なのに。それでも当時は「この会社で何かを成し得なければどの世界に行っても一生通用しない」という謎の強迫観念があり、この世の終わりを感じていたのだと思います。結果を自分の蒔いた種ではなく、周囲のせいにしていたに過ぎませんが、自分を俯瞰視する余裕などなく、もう会社という場所はおろかこの世に自分の居場所を感じられませんでした。


それから自殺志願者が集まる掲示板サイトを訪問することが日課になりました。首吊り・・苦しそうだ。電車に飛び込む・・・遺族に迷惑がかかる。飛び降り・・・怖すぎる。そうこうして怖気づく臆病者は「練炭」という選択肢であれば・・・という結論に至りました。苦しいのは大差ないだろうけど、これで逝こう。あともう1回引き金になるような決定的な事象が起きたら、死のう。毎晩布団に身をくるめ、掲示板に張り付き過ごしながらも、結局その年に決定的な事象は起きませんでした。


誰からも期待されず、信用もされていませんから、もはや何か起きるはずもなかったのです。私の一挙手一投足に価値はありません。その時期の記憶は思い出そうとしても思い出せません。魂は死んでいたも同然でした。死ぬ勇気もない臆病者として・・・。


この本ならいけるかもしれない


 人生をあきらめていた高橋書店入社5年目。冒頭に触れた転機はこの年(2012年)に起こりました。それまで担当していた首都圏エリアを離れて中四国エリアの配属となりました。もはや社内で疫病神だった自分が新エリアのメンバーに歓迎されるわけがないという恐怖を感じながら、人事配置表が張り出された直後、メンバーへ挨拶に行きました。そのとき新しい直属の上司が「よし、これで俺たちに必要なピースが揃ったぞ!」とかけてくれた言葉が今でも記憶に残っています。上司にとっては中四国エリアの人員が前年比で純増したことに対する言葉だったのですが、私にとっては藁にも縋るような気持ちになる言葉でした。


しかし、中四国エリアに配属してからの数か月間は、それまでの負のスパイラルを脱せないままでした。上司のどこか疑心暗鬼で接しているような雰囲気が私にも伝わっていましたし、「菊池は平気で嘘をつくので信じないほうがいい」と経営層・幹部社員には共有情報として出回っていたらしいので、新エリアでの挙動を監視されていた格好でした。その時点では私自身に大きな成長や変化がなかったのでしょう。


「このまま何も変わらないのか・・・俺はやっぱりダメなのか・・・」

成績も思うように上がらず、縋っていた藁もその手の中で無くなりかけていました。


そんな私を見かねてか、夏頃に上司が実験を施してきました。その施しとは「日報には思ったことを全部書け。思っていないことを書くのは厳禁。責任は俺がとる。」どうせダメなら試してみようの精神で施した、と数年経って上司が語ってくれましたが、失うものが何一つなかった私は、言われるがままに思ったことを毎日毎日書き続けました。

会社への批判、営業方針に対する改善案をはじめ、クビ寸前だった一社員が好き放題思うがままに書く内容です。社会人の良識として度を越していました。日報は社長はじめ経営陣も毎日目を通すものだったので、経営層から雷が落ちるのも時間の問題でした。


これもしばらくして後から聞いた話ですが、本来私に落ちるはずの雷を、上司が避雷針のごとく守ってくれていたそうです。とにもかくにも、回数を重ねるごとに内容もエスカレートしていき、次第に「日刊菊池」として販売部内で話題になっていきました。でもそんなことはどうでも良くて、いつも「日刊菊池」を読みながら爆笑してくれる上司はじめエリアメンバーの姿を見るだけで喜びを感じていました。と同時に、知らず知らずのうちに副次的な効果が発揮されていったようです。まさに自我の開放とでもいうのでしょうか。営業現場でも「書店のために何ができるだろうか?」というその目的にフォーカスして、自分の思うがままの考えをストレートに伝え、売場の提案ができるようになっていきました。


そして、図らずして奇跡は突然、天から降り注ぎました。場所は岡山県にあった弘栄堂書店岡山店という岡山駅の商業施設に入っていた小さな書店。(※残念ながら2013年1月に閉店) そして奇跡を起こした本とは『料理のきほん練習帳』という1冊のレシピ本。発売はその年の春でしたが、全国的に初動が今ひとつで、突き抜けた実績が出ていませんでした。弘栄堂書店はもともと女性の客層も強く、女性誌やレシピ系の本が売れるお店だったので、料理書コーナーの棚に1冊差しで置かれている『料理のきほん練習帳』を眺めながら「この本なら行けるかもしれない」とピンときた瞬間を今でも覚えています。


当時の売場担当者の近藤さんに相談して、もし可能であればお店の一等地で仕掛けませんか?と、仮説ながら売れる根拠を示しつつ、勇気を出して提案してみました。近藤さんは熱意を受け取ってくれて快諾してくださり、ここから一等地での仕掛け販売がスタートしたのです。近藤さんは私にとって幸運の女神であり、今でも連絡を取り合う大切な恩人の一人でもあります。


ここからはロジックでは解明できない現象が続きます。あれよあれよという間に売れ行きに火が付き始め、週売が10から20、20から30と週を追うごとに上がっていきました。気付けば1か月の実売数が100を超えるようになり、書籍総合ランキングでも1位に君臨し続けるようになりました。



「すげえ・・・なんだよこれ!すげえぞ!!!」



時には店頭在庫が僅少状態になることもあり、近藤さんから「菊池さん!在庫が切れそうです!なんとか商品を直送していただくことはできますか?すごいです!」と急ぎの電話をいただくこともありました。本の売行き自体もそうですが、お店の売上に少しでも貢献できていること、少しでも必要とされていることがただただ嬉しかった。生きてて良かった。生きてた意味があったのかな、と。


 そうこうしている間に、近隣書店にも『料理のきほん練習帳』ヒットの波が拡がっていきました。あのとき私の提案に耳を傾けてくれて、全力で仕掛けてくださった書店員の方々にも本当に感謝しています。そして当時の中四国エリアのメンバーもこぞってエリア全体へ精力的に拡販してくれて、みるみるその波は全国へと拡がっていきました。何度も何度も書店を訪問し、読者の心の琴線に響くコピーは何だろうと考え、編集担当者にも相談し、様々な販促物を製作していただき、あの手この手で売場の鮮度を落とさないよう試行錯誤し、その結果あれよあれよと、5万、10万、15万、20万・・・と部数が右肩上がりに伸びていきました。第2弾も発売となり、今ではシリーズ累計で70万部を超えるベストセラーシリーズになったようです。当時、上司と私は業界紙の取材も受け、「料理レシピ本大賞in Japan 2014」では入賞作品にも選ばれ、会社の売上を牽引するヒット商品となりました。関わってくださったすべての人に感謝の気持ちで一杯とはまさにこのことで。ただただありがとう、しかありません。高橋書店という出版社に拾っていただけたことにも心から感謝しています。


 この一件を機に、私の人生は文字通り180度変わりました。あのクビ寸前だった社員が、です。死にたい。消えたい。何で産まれてきたんだと宿命を恨んでいた人間がです。現金なやつです。幸運にもヒットの火付け役になれて、居場所も生まれたのですから、人生何が起こるか分かりません。





自問自答して見えてきたもの


 真の火付け役である弘栄堂書店岡山店は、残念ながら2013年1月末をもって閉店が決まりました。閉店する最後のその日まで『料理のきほん練習帳』は半年以上総合ランキング1位を譲りませんでした。まさに人生を救ってくれた書店。閉店日はどうしてもお店の皆さんに感謝を伝えたくて、その日に立ち会いたくて、本来であれば禁止される日程にも関わらず、日帰り・自腹で岡山に行くことを会社が認めてくれました。過去、あれほど息を潜めるように無断出勤を繰り返し信用を失墜していた人間が、堂々とスケジュール度外視で出張を認めてもらえるなんて、まるで夢のようでした。でも社内の評価や立場など、もはや私にとっては何ら気に留めるものではありませんでした。


入社して以来、もがきつづけていた深海の中に、一筋の光が差し込んだ感覚だったのですが、その光の先にそれまでの経験や学びが一つの線になって繋がった世界が拡がっていたのです。その世界の中で、自ずとこのような問いが聴こえてきました。



  • 私は何のためにこの仕事をしているのか?
  • 私にとって何が営業としての喜びなのか?
  • 営業としてどのような貢献をしたいのか?
  • 営業として「売場をつくる」とはどういうものなのか?



さらに内省は深まっていきました。


  • この事象は私に何を教えてくれたのだろうか?
  • なぜこれほど多くの方たちがこの本を手に取ってくれたのだろうか?

※老若男女問わずこの本を購入されていたと近藤さんからお話を伺っていました。

それは予想外のことでした。



  • この本を手に取ってくれた読者の日常にどんな幸福があるのだろうか?
  • そもそも本の持つ意義は何だろうか?
  • 私が生きている意味は何だろうか?何に生きる意味を見い出したいのだろうか?


この問いに対して、できる限り想像し続けて、自己問答を続けて、明確に見えてきたものがありました。それは、、、


『私は自分の仕事を通じて、自分の行為を通じて、

ささやかでもいいから 自分以外の誰かの

日常の喜びや幸せにつながる何かを届けたい。』



そこに私という人間が介在する意味がある。

私だからこそできることがある!


一度死にかけた魂。

今こうして「本に」「書店に」そして「読者という存在に」救われた。新しい人生を歩ませてもらえるチャンスを得た。これが私の天命なのだとしたら、この命を使って、今度は私が恩を返していきたい。この天命を信じて進もう。そう、決めた私は独立を決意。



2019年12月、株式会社ブックダムを創業しました。





_______________



長くなりましたが、この想いこそが冒頭に申し上げた起業理由、そしてブックダムのミッション・ビジョンにもつながる原体験に他なりません。


ブックダムのミッションは「本を通してプラスのエネルギーを循環させ続ける」です。

会社員時代のあの苦しかった辛かった経験があり、どん底まで落ちたからこそ見えてきたこと、気づけたこと。そこから、深く内省して見い出した答えが、より光を帯びて、ミッションになっています。




 ミッションは、会社の存在意義・存在価値という意味に置き換えられますが、ミッションの通りの意義や価値を多くの人に感じてもらえるのであれば、命を全うできたと胸を張って天に還れる。そう思いながら、今日も動きつづけています。
















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