創業60周年。感謝と挑戦を胸に、持続可能な街づくりへの取り組み。商品ブランドをパナホームとした年に始めた街づくり。枚方パナタウンから未来へ①
“住まいの器”だけでなく“住まい手の心豊かな暮らし”を商品開発で実現する、という創業当時の松下幸之助社主の家づくりに対する想いは、そのまま街づくりにも引き継がれました。そこに暮らす人々の安心・安全、快適・利便性、豊かなコミュニティを実現し、その街で生活することを誇りに感じるシビックプライドを醸成するトータルな提案は、現在の街づくりにおいてさらに磨き上げられています。
「街づくり」編全5回のうち1回目は、現在の街づくりにつながる源流をさかのぼるべく、1977年に開発された街づくり第1号案件である大阪府枚方市の「枚方パナタウン」に込められた思想と、その後の街づくりにどのように受け継がれていったのかを探ります。
街づくりから46年、現在の「枚方パナタウン」は…
1977年の街びらきから46年を経た現在、街は、家はどのように変化しているのかを探るため、パナソニック ホームズの街づくりに長年携わってきた、街づくり事業開発部 総括主幹の上田 眞と共に、現地を訪ねました。
上田 眞
社史に記録された写真を頼りに、京都府境に近い大阪府枚方市北部の杉山手地区へ歩みを進めるとまず目に入ってきたのが、「松陽台自治会館」の看板のかかった建物です。
「私の推測ですが、自治会館に使用されている松陽台の名は、当時、松下グループが陽の当たる高台に開発した街、という想いが込められているのでしょう。地名を使用せず、あえて松陽台としたところからも、街づくりに懸けた強い意気込みが伝わってきます」。
そこから高台の方向へ目を転じると、住宅群が整然と立ち並んでいます。「あそこに見えるのが当社の住宅商品ですね。その隣も」。上田は次々に当時のナショナル住宅を特定していきます。「窓の上に四角い換気ガラリ(通気口)があること、そして換気用の煙突があるのが当時の商品の特徴です。換気ガラリだけでなく煙突までしつらえているのは、当時から空気の質にこだわってきた証です」。同じデザインの擁壁が続いていることでおおよそ計71戸が整備された当時の枚方パナタウンの区画が浮かび上がってきました。
左:松陽台自治会館
景観、コミュニティを大切にした設計思想
1977年といえば、原油価格の高騰を皮切りに諸物価が高騰した第1次石油ショックの影響に伴う不況で住宅販売も低迷していた時期と重なります。そこで、単体としての住宅だけでなく、住宅の良さを引き立たせるよう周囲の環境を整え、街全体の魅力を向上させることで、そこで暮らすことに価値を感じていただく、街づくりの発想が生まれました。そして「人々のふるさとになるような街」のコンセプトで第1期29戸が整備され、1977年10月12日に初のパナタウンとして街びらきが行われました。翌1978年には第2期の42戸も販売され、計71戸の街が完成をみます。
坂の下から区画一帯を見渡すと、各戸の軒や窓の位置がきれいに配置されているだけでなく、外構、植栽、配光にいたるまで配慮が行き届いていることが見て取れます。また、テレビアンテナは自治会館のある場所に共同アンテナを置くことで、各戸の屋根にはアンテナの設置を不要としました。「屋根にアンテナを置かないことで景観が良くなるだけでなく、メンテナンスをする手間も省けます。これが50年近く前にできたことを考えると画期的なことです」と上田。
また、自治会館を建てたことからも街づくりの中で住民同士のコミュニティを大切にしていたことがうかがえます。一方で、住戸同士の窓を対面させない工夫を取り入れるなど、つながりを重視しながらもプライバシーにも配慮した設計がなされていたことも伝わってきます。
さらに、区画一帯の道路はゆったりと幅広くとられ、高台に上ると南西方向の谷を隔てた向こうに枚方国際GC がある山を一望することができます。「街づくりで常に意識しておかなければならないことは、可変と不変です。仮に眼前に空き地が広がっていたとするといつマンションが建つか分からず環境が変わる可能性があります。これに対し遮るもののない山などの景色は将来にわたりなくなることのない不変の財産です。こうした不変の財産をいかに街にあらかじめ取り込むことができるか、によって街の価値は決まってくるのです」。
シビックプライドを醸成する街づくり
歩いている途中に、ご自宅から出てこられた住民の方とお話しすることができました。西山 宗尚さん(85)です。幅の広い階段がカーブしながら門扉まで続くアプローチの向こうに瓦葺きの和風2階建ての住宅が建っています。見晴らしの良い高台に建つ家ですが「ほとんどひずみがないんです」とのこと。土台となる住宅基礎に全くひびがはいっていないことからもそれは一目瞭然です。松下電工(当時)に勤務していたという西山さんは同僚に頼んで当時としては珍しい床暖房を居間に取り入れたそうです。庭木も丁寧に手入れされ、大切に住まわれてきたことが伝わってきました。
別の区画でも住人の男性とお話することができました。「この開発地は松下グループの方が多く買われて、それ以外の方は5世帯位だったと思うのですが、わたしはその1人です。当時はちょうど2人目の子どもが生まれた頃で、育てやすい環境を求めてここを選びました。当時、これだけ大きな分譲地はそうありませんでしたから。競争倍率も高かったんですけど、運良く抽選に当たりましてね」と当時を振り返り語ってくださいました。住宅もほぼ当時のままで、外壁を塗装し直した程度だと言います。「街が完成した時は松下幸之助さんが視察に来られましてね。2階の窓から拝見しました。各戸に鉢花を配っていただいたのも良い思い出です」。
1977年10月に行われた街びらき
街びらきが開催された通りに面する西山さんのお住まい
上田は「人々のふるさとになるような街」という当時のコンセプトに、現在の街づくりにも欠かせないシビックプライド醸成の萌芽が感じられると言います。「自分たちの暮らす街に誇りを持つことができれば、家を、街をきれいに保ち続けようという気持ちになります。大切に手入れをし続けることで街に愛着が生まれ、ふるさと意識が育ち、次の世代もまたここに戻ってこようと思えるような街になっていきます。街づくりから50年近く経ったこの地を訪ね、そしてオーナー様にお話を聞くことで改めてそのことを感じました」。
松下社主は、最初に手掛けた松陽台の街づくりについて「立派な街をつくることによって人心を一新する、ということはまさに救国であり、商売を通じて国家に奉仕し、日本人を向上発展させることに結びつく。見事に調和した枚方パナタウンを見て、パナタウンを各地につくっていくことは救国の仕事であり、『この仕事をおいてなんの仕事をするか、これしかない』と思いました」と語っています。
その言葉通り、パナタウン枚方の街づくりをきっかけに、そこに暮らす人々の気持ちを豊かにする街づくりは全国へと広がっていくことになります。
視察に訪れた松下社主(1978年5月)
住民の皆様とともに100年続く街づくりを
「枚方パナタウン」を皮切りに始まったパナソニック ホームズの街づくりは進化を遂げてきました。なかでも、2011年に参画を公表した「Fujisawa SST」(サスティナブル・スマートタウン)では、街づくり組織が住民と関わりながら街をアップデートしていく仕組みが導入され、以降、地域住民のQOL(生活の質)を向上しながら街に持続的に価値を生み出す取り組みが進められています。当社の街づくりの歴史を知る街づくり事業開発部総括主幹の上田 眞と、これからの街づくりを担う同部部長の武塙 森がパナソニック ホームズの街づくりの今までとこれからを語ります。
左:武塙 森 右:上田 眞
上田:今回、わたしが入社する9年前に開発された「枚方パナタウン」を訪ね、シビックプライドが醸成される街づくりがここから始まったことをあらためて確認できました。その後、全国で街づくりを進めていきましたが、節目となったプロジェクトが、パナソニックが主体になって取り組んだ「Fujisawa SST」(神奈川県藤沢市)です。とりわけ新しかったのは、それまでは開発主体が住宅メーカーもしくはその連合体だったのですが、通信会社、ガス会社、警備会社など異業種のグループが一体となってFujisawa SSTマネジメント株式会社(街づくり会社)を組織し、長期的なビジョンに立って街づくりを行うという発想です。
武塙:分譲住宅の販売を担当していた私が初めて街づくりプロジェクトに携わった案件が「Fujisawa SST」です。2014年の街びらきまで2年弱かけて、Fujisawa SSTマネジメント社に参加する事業者間で100年続く街のビジョンとコンセプトを固めていきました。そのビジョンに沿ってコミュニティや防災の拠点となる自治会館を整備し、カーシェアなどの先進的な実証実験も行い、全戸へ太陽光発電や蓄電池導入を行いました。責任を持って街をアップデートしていく対価として住民の皆さまから管理費をいただく手法について理解をいただくのには苦労しましたが、100年を見据え持続的な街づくりをしていく理念に共感、納得いただくことができました。
上田:パナソニック ホームズでは、「Fujisawa SST」で培ったノウハウをベースに、地域の事業者を巻き込んだ街づくり組織が、地域の特性に合わせて、街の環境負荷低減、住民の方々の健康、コミュニティの醸成といった価値を提供する、持続性ある街づくりプロジェクトを全国で手掛けていきました。街びらきからほぼ10年が経過した「Fujisawa SST」ですが、最近では、街に関わる皆さんが街を育てる“まち親”として出したアイデアをFujisawa SSTマネジメント社が実現する「まち親プロジェクト」が動き出しています。街づくりの成果の尺度を何で測るかは難しいのですが、「Fujisawa SST」の地価は周辺の住宅地と比べて高く評価されています。
武塙:2023年6月、「Fujisawa SST」のFujisawa SSTマネジメント社の取締役に就任し、あらためて感じたことは、住民の皆さんが街に誇りを持っておられるということでした。実は、「Fujisawa SST」の販売センターがオープンしたのが10年前の2013年11月23日で、この日をなぜ覚えているかというと翌日に娘が生まれたからです。「Fujisawa SST」は娘と“同級生”であり、娘が100歳になるまでこの街が続くんだと考えると非常に感慨深いです。現在10歳になった娘に対するケアと大人になって年齢を重ねていった時に必要なケアは変わります。街の生涯にしっかりと関わっていかなければという想いを新たにしているところです。
上田:時間の経過とともに、住む人が年を重ね、世代も入れ替わり、社会から求められる課題も変化していきます。その変化に合わせて、どのタイミングでどのようなケアが必要なのかを考え、サービスやテクノロジー施設を提供していくことが街づくりを管理する私たちの重要な使命だと思っています。
武塙:今後は、PLTグループの住宅会社3社(トヨタホーム、ミサワホーム、パナソニック ホームズ)の強みを生かすことで街づくりの提案の幅がさらに広がっていくことを期待しています。これからも、真新しい土地にグループの知見を注ぎ込むことによって、地域住民のQOLを追求し、100年続く街の価値を生み出していきたいと考えています。
パナソニックグループで取り組むスマートタウン
○ Fujisawa SST(神奈川県藤沢市)https://fujisawasst.com/JP/
「100年先も生きるエネルギーが生まれるまち」をコンセプトに官民合同プロジェクト。パナソニックの前身、松下電器産業の藤沢工場跡地を再開発し、2014年にグランドオープンしました。約19ヘクタールの敷地面積に、戸建分譲建物600区画(内、約半分がパナソニック ホームズの戸建分譲区画)を販売。2024年秋に、アクティブシニアレジデンス(地上14階566室)がオープン予定。
○ Tsunashima SST(神奈川県横浜市)https://tsunashimasst.com/JP/
「この街が、未来をつくっていく。Innovating the Future Together.」をコンセプトにパナソニックが進めるCRE戦略に基づく工場跡地等の企業不動産を活用したプロジェクト。異業種の複数事業者が共創し、横浜市等の行政の協力を得ながら、タウン内のみならず、地域と繋がる次世代都市型スマートシティ。商業施設や集合住宅、慶応義塾大学国際学生寮などの施設を有し、2018年にグランドオープン。
○ Suita SST(大阪府吹田市)https://suitasst.com/JP/
「Suitable Town for Fine Tomorrows」のコンセプトのもと、カーボンニュートラルが当たり前の社会、誰もが幸せに生きられるウェルビーイング社会に向けて、多世代居住、健康、地域共生をテーマに、未来のまちづくりにとって当たり前となっているようなソリューション・サービスを提案。
若者からファミリー、シニアまで、多世代が住まい集い交流する街区。住宅総数362戸の他に、ウエルネス複合施設、複合商業施設、交流公園を備えたスマートタウン。2022年4月にグランドオープン。
パナソニック ホームズは、住宅施設や商業施設を組み合わせた複合開発と、まちづくり構想を実現した空間設計とタウンマネジメント組織の構築運営を担っている。
次号は、地方創生型の新しい街づくりをご紹介します。(11月3日公開予定)
◎パナソニック ホームズ株式会社について
パナソニック ホームズ 創業60周年特設サイト:https://homes.panasonic.com/60th/
商品ページ:https://homes.panasonic.com/
企業情報ページ:https://homes.panasonic.com/company/
公式Twitter:https://twitter.com/panasonic_homes
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