お客様に信頼していただき、心から喜んでいただくために “探偵は天職”を自負する、「アイ・アイ・エスグループ」創業者の想いとこれまでの軌跡
桜色の文字と優しそうな女性の笑顔が印象に残る、「さくら幸子探偵事務所」の看板やポスター。街なかや幹線道路沿いで「よく目にするので知っている」という人は多いかもしれませんが、その“探偵事務所”が全国に支社・支店を持つ“会社”であることや、北海道発祥であることを知る人は、そう多くはないと思います。
株式会社アイ・アイ・エスは、北のまち札幌で、“探偵は天職”を自負する1人の青年の信念から生まれた小さな調査会社でした。
その信念を原動力に成長を続けた結果、今ではアイ・アイ・エスグループとして「さくら幸子探偵事務所」はじめ「さくら幸子探偵学校」など、複数の関連会社を有するまでになり、本社を札幌、本部を東京(丸の内)と横浜に置くほか、全国主要都市と韓国ソウルに合計27もの拠点を構え、さらに欧米・東南アジア各国に提携企業を持つ規模となりました。
2007年9月に誕生して間もなく20周年を迎えようとしている株式会社アイ・アイ・エスは、いったいどんな企業なのか。いえ、そもそも、探偵会社とはどんなものなのか。代表取締役社長・山田 聡(56歳)がたどってきた歩みを通して、そのお話を、語らせていただきます。
「人に喜んでもらいたい」幼少からの願いが叶う"天職"に出会えたという実感。
探偵業をのちに“天職”と言い切る山田 聡が、全国主要都市に営業所を構える業界最大手(当時)の某探偵事務所に新人採用され、探偵になれたのは二十歳のときでした。
世にさまざまな職業あれど、「これほど仕事と私生活の境界線がない職業はない」と言われるのが探偵の仕事。人が遊ぶ時にこそ働き、就労が長時間に及ぶことや、昼夜が逆転することもしばしば。簡単なように見えて実は相当の技術が要る尾行や張り込み、怪しまれずに人から話を聞き出すテクニック、証拠写真を撮る技術、盗聴盗撮をあばき出す機器やノウハウなど、身につけることもたくさんあり、決して楽な職業ではありません。
しかし、幼い頃から人の行動に興味があり、「調べること」が大好きで得意、勤めてからは探偵が用いる特殊な電子機器類にも好奇心いっぱいの山田にとって、むしろ公私の境目などなく溶け合った日々こそ好環境でした。札幌の街を舞台に駆け回り、調査のイロハを学びながら誇りを持って修行に励み、1つ1つの調査に興味津々で臨み、充実した日々を過ごす中で得た経験やアイデアから、仕事に活かせるヒントや工夫を得て、それが調査上の問題解決に役立ったケースも数えきれないほどあったといいます。
山田----変人だと言われそうですが、“こんな面白い毎日を過ごさせてもらっているのだから、お金をもらっては申し訳ない!”と、会社に日当や月給を返却しようとしたんです(笑)
もちろん、仕事がおもしろ楽しいというだけで軽々しく“天職”を語るわけはなく、そこには、山田のもう1つの性分が大きく関わっていました。それは、子供の頃からの「人の役に立つ仕事に就きたい、人に喜ばれることがしたい」という強い願いです。
今、山田は社員たちに、「探偵の仕事は、人がもう一度、幸せになることのお手伝いだ」と語ります。自分が充実して取り組んだ仕事が、ご依頼者の満足と幸福にも繋がる。それが「とても魅力的」であり、さらに、ご依頼者からの感謝の手紙や、「頼んで良かった」の言葉を頂けることが何よりの喜び。そう思えるからこそ「天職だ」と感じているのです。
「さくら幸子」という屋号に込めた想い。人生の再出発を幸せに歩んでもらいたい
バブル崩壊からリーマンショックなどを経て、世の中が経済的な陰りを濃くしてきたころ、不況に強いと言われていた探偵業界にも黒い影が忍び寄り、勤めていた探偵事務所にもついにその時がやってきます。主業を調査業からコンサルタント業に転身するとの発表があり、それは事実上の廃業宣言でした。既に家庭を持っていた山田は、別の生きる道を探る必要に迫られますが、どうしても、探偵以外に職業は考えられず……。
勤め先の業務が日に日に縮小していく中で、退職か、転職か、苦渋の決断を迫られつつあったとき、車のラジオから流れてきた曲は、当時ヒットしていた、コブクロの「桜」でした。
打ちひしがれても起き上がろうとする決意や、決してなくならない強い想いを歌うその曲は、デフレ不況の日本を勇気づけるような内容であり、かつ、山田の心にも火を灯しました。
当時36歳。為せば成る。勤め先で同じ釜の飯を食い、気心の知れた仲間8名を創業メンバーとして、独立を決意したのです。
屋号に定めた“さくら幸子”には、出会いや別れなど人生の再出発の節目に咲く桜のイメージと、「どんなことがあったとしても、もう一度、幸せに歩んでもらいたい」との想いを込めて、ご依頼者を救い応援する“幸子”という女性像を創りあげました。当時はご依頼者の大半が女性だったため、親しみを感じ、安心して相談に来やすいイメージ戦略が必要だと考えたのです。これは、業界では先駆的な取り組みでした。そのイメージにぴったりと直感し、独立前から面識のあったフリーアナウンサー・橋本登代子さんにイメージキャラクターに就任していただき、もう他の人は考えられないアイデンティティを以て、現在に至っています。
札幌の場末の古びたビルの一角、10坪ほどの空き部屋を借り、リサイクルセンターで安く仕入れて買い揃えた机や椅子・応接セットなどを運び入れて、「さくら幸子探偵事務所」は誕生しました。
調査力に関してはどこにも負けないと自信を持ち、挑戦心も旺盛な8人は、独立開業の新スタートに高揚し、まるで当時大ヒットしていた探偵ドラマ「俺たちは天使だ!」の主人公にでもなった気分で、自分たちを彼らに重ねていたといいます。沖雅也、柴田恭兵、神田正輝ら若き貧乏探偵たちが、数々の依頼を通して一攫千金を目論む痛快なストーリーのアクションコメディです。
しかし、ご依頼者が次々と押しかけるわけではありません。そこで山田は、「広告」戦略をおこないます。当時の定番であった電話帳広告とインターネットのリスティング広告に、まだわずかな稼ぎしかない中から多額の費用を投入し、とにかく「さくら幸子探偵事務所」を知ってほしいと願い知恵を絞ってPR効果を狙いました。ところが思うように効果が得られず、道路沿いの大型看板広告なども始めますが、それらの捻出のため資金繰りに詰まり、その年は社員に賞与を出せない事態に。
不甲斐なさが山田の心に深い悔いとなって刻まれ、それをきっかけに、転機が訪れます。
相談員(カウンセラー)の存在が信用と信頼を築く。ワンストップでのフォローにより、業績が上向きに
山田----ご依頼者の信用・信頼を勝ち取るには、広告以外に何が必要なのだろうかと考えました。それまで、自分も“調査の職人”であった観点から、完璧な調査報告を出せる最新の技術を持つ探偵たちを必死で育て、それが評判となれば、広告効果と相まって結果が出るものだと信じていたんです。でも、ご依頼者と直接お会いする相談員の存在が、それ以上に重要だと気づきました。
探偵事務所に依頼をする際、相談員(カウンセラー)と呼ばれるスタッフ(多くは女性)が担当者となり、ご依頼者の事情を傾聴することから始まり、適切な調査方法の提案、現場・調査員との情報の橋渡し、結果報告まで、ご依頼者に最初から最後まで寄り添う役目を担います。
そのカウンセリング業務こそ、ご依頼者の心をほぐして信用と信頼を勝ち取り、不安を取り除き安心してもらうために重要なのではないか。そう思い至った結果、何よりも“お客さまファースト”で寄り添える人材の採用・育成に力を入れることに重点を置き始め、実際、相談員が力を発揮すればする程に、依頼数や業績が伸び始めたのです。
山田----こう言っては何ですが、かつての探偵業者は、調査が終わると結果を報告するだけで、ご依頼者のことはあまり考えていない職人集団でした。つまり、ご依頼者のケアをする者がいなかった。親身になって、的確なカウンセリングを行い、調査報告後のアフターフォローにいたるまでをワンストップで担当する相談員の役割こそ、これからの探偵事務所にとって重要だと実感しました。
現在、「さくら幸子探偵事務所」はじめグループ各社では、多くの女性スタッフが相談員として活躍して います。皆「お客さまには、出会いや別れなど、どんなことがあったにしても、もう一度幸せに歩んでもらいたい」というグループの信念に共感し、真心を込めて対応ができる人生経験豊かな女性たちであり、悩み事にさいなまれ、不安を抱えて探偵事務所に連絡してくるご依頼者に寄り添う姿勢が、信用と満足、そしてその後の口コミ評価というかたちになって現れています。
人材教育を最重要と考え、研修を徹底。社長自ら学び続ける姿勢も社員に伝わり成果に
山田----ご依頼者に「選んでもらえる」会社でなくてはならない。質を変え、物を変え、本物の会社だけが最終的に生き残るからです。感謝の心を忘れてはならない。どんなに不景気でも社員の人材育成教育をおろそかにしてはならない。
調査員・相談員の人材教育に力を注ぐと共に、社長の山田自身もいまだ尽きることのない好奇心と努力で学びを重ねており、その姿勢が社員にフィードバックされていきます。
裸一貫で独立した当初には、都内の経営者たちが集まる異業種交流会に参加して、あるメンタルトレー ナー氏と出会い、その方から、松下幸之助氏・本田総一郎氏・豊田喜一郎氏ら先人の考えを享受し、目からうろこが落ちると共に、経営者としての覚悟を肝に銘じました。
重要であると認識したことの筆頭が、人材(人財)教育です。アイ・アイ・エスグループは、依頼内容の“半分以上が素行(浮気)調査”と言われる探偵業界内において、 素行調査・内偵調査・企業調査・特別調査(盗聴盗撮発見、指紋鑑定ほか)など扱うジャンルが広く、他社では扱えない難易度の高い興信探偵業務全般に対応できる力がありますが、これは創業以来17年間、専門的知識を有する人材を育成する研修を継続して続けてきた成果だと山田は語ります。
山田----人材育成研修の回を重ねるごとに社員全員の考えが1つになり、おかげさまで、ご依頼者の信用と信頼をいただくことになったと自負しております。
お客様から信頼され満足いただける“真の探偵事務所”であり続けることを目指す
山田----現在までにアイ・アイ・エスグループは、お客さまから寄せられる、さまざまなジャンルのお悩みごとを解決してきました。その結果、今では個人のみならず企業・弁護士・行政機関などからもご相談・ご依頼が寄せられています。おかげさまで昨年、営業成績“業界ナンバーワン”ではと評されるまでになりました。でも、これで満足だとは思ってはいません。
常に価値ある時間と未来を創造し、それぞれの専門性を磨くと共に、時代を先取して調査業務の改善に努力し続けなければならないこと。また、常に信用される人間力を高め、お客さまの身になって心からご満足いただけるサービスを提供し続けること。そして、あらゆる調査と業務活動において、お客さま・社員・取引先・行政・地域社会に対する企業として、果たさなければいけない基本的な義務と責任を自覚し続けること。
それら山田の想いは、グループの基本理念:Creation(創造)、Credit(信用)、Responsibility(責任)という3つの核として、社員全員に共有されています。さらに今後、人権尊重やコンプライアンス(法令遵守)を一層徹底し、社会のグローバル化・デジタル化に対応すべく研鑽し、国内はもとより国際ネットワークの強化にも注力していくとの方針を掲げていますが、根底にある信念は、やはり変わりはありません。
山田----全てのお客さまに信用・信頼していただき、満足していただき、全ての不安を取り除く。それができる、“真の探偵事務所”であり続けることがゴール。そう胸に秘めつつ、未来を切り開いて参ります。
創業者
山田 聡(やまだ・さとし) 株式会社アイ・アイ・エス代表取締役社長。1968年、北海道石狩管内当別町生まれ。1988年より調査業に携わり、数多くの依頼者の悩みを解決に導く。2004年「さくら幸子探偵事務所」を屋号に独立。2007年にアイ・アイ・エス設立。2016年に全日本総合調査業協会副会長、2018年に北海道総合調査業協会会長、2021年に全国調査業協会連合会副会長に就任。一社)全日本総合調査業協会、NPO全国調査業協会連合会、一社)日本失踪者捜索協力機構【MPSジャパン】、児童虐待防止全国ネットワーク倫理法人、全国防犯協会連合会、商工会議所、暴力追放センター等の団体に加盟し、協賛協力を実施。
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