おじいさんとの対話3 現代医学では絶対解けなかったインフルエンザ(風邪)の解剖

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対話3 風邪とインフルエンザは同じ

 現代医学では解けない感冒を解剖すると

himaari:いまインフルエンザが大流行しているそうですよ。

学級閉鎖とか増えているようですが、おじいさんの時代はインフルエンザというものが無かったのでしょうか?

おじいさん:昔からだれでも風邪を引くと言っていたじゃろうが。そんな横文字にしなくったって昔から感冒というものが立派にあったぞ。

himaari:そう言えばそうですね。「風邪が大流行するからインフルエンザ」などと、ややっこしい名前つけたんでしょうかね。

おじいさん:そんな名前にこだわってばかり居るから、本質が分からないのじゃよ。どこまでいっても風邪は風邪じゃ。君たちはどこで風邪とそのインフルエンザの線引きをしておるんじゃね。まったく医学という学問は分別作業はうまいが、まったく枝葉のことにばかりこだわりおって、しょうが無いのう。まあ、対症療法的医学だから無理もないのじゃが。

himaari:そうですか、インフルエンザの風邪の内ですか。今はウイルスの種類で分別するそうですよ。だから風邪とインフルエンザは違うと言っていますね。

おじいさん:だから言ったじゃろうが、本質を知らない医学がむやみやたらに分類癖でややっこしくしているだけじゃ。

himaari:え、分類癖? 癖ですか。医学は病気をものすごく細分化して研究するのですが、それを癖にしちゃうとはね。

おじいさん:そうじゃよ。感冒という「人類にとって自然から与えられた最高の恩恵」を悪いものと錯覚したときから、その様な癖が始まったんじゃろう。そこからあらゆる病気を悪いものとして観る癖が始まったのじゃ。

himaari:そうなんですか、人類は感冒から医学が始まったのですかねえ。たしかに世界中どこでも誰でも風邪だけは共通してかかりますからね。猫や犬も風邪を引くみたいだし。

おじいさん:君ね、そんなことより、風邪の効用を知らない人類が「出発点を間違って今の医学を作り上げた」としたら、まずこの「浄化作用の大基本である風邪の原理」を知ることじゃよ。

himaari:なるほど、人類共通であり、大昔からあったと思われる風邪にこそ、医学の基本中の基本が含まれているというわけですね。風邪こそ病気の基本原理を含んでいる、「風邪を知らずして医学を語るなかれ」か・・。

おじいさん:ところが人間は風邪を無暗に恐れ、風邪を引いたが最後、余計な金を使い仕事もできずさんざん苦しんだあげく、結核などになるのだから、「憐れなる者よ汝の名は人間也」と言いたい位じゃ。

himaari:たくさんのお金と時間をかけて、風邪どころか肺炎や結核になったんじゃ割に合わないですね。

おじいさん:そればかりではない。ここに問題なのは薬なのじゃ。先に述べたように、「感冒という体内の清潔法」を「逆解して停めようとするのが医学」であるから、その為に用いるのが「薬と称する毒物」じゃ。

himaari:「薬(クスリ)」と称する「毒物(どくぶつ)」ですか。薬はたしかに副作用があると言うのは専門家も言っていますが、おじいさんの言い方はまったく毒物そのもののように聞こえますね。薬とは体を楽にする、つまり体を健康にするというのが世界の常識ですよね。だから病気の時に薬を飲むわけでしょう?

おじいさん:およそこの世の中に.本当の薬というものは一つもないだろうね。あらゆる薬は毒で作られているからじゃ。本当に薬にと言うのなら、強いて言えばじゃが米の飯くらいじゃろう。

himaari:西洋では麦でしょうかね。これは人間が生きている以上毎日食べているものですし。まあトウモロコシや芋の地域もあるようですよ。毎日食べるものが本当の意味で身体にとっての薬なんですね。

おじいさん:「薬」といって有難がっているものはことごとくが毒であって、「毒の力で治るのを邪魔する」のだからこれ程間違った話はあるまいだじゃろう。

himaari:びっくりな話ですよね。「毒の力で、治るのを邪魔する」と言うのは「薬が病気を治るのを邪魔する」っていう意味になりますよね。人類が古来から「薬で病気が治ると思ってきたことが実は大間違いだった」と言うんですか?

おじいさん:これが医学の根本となる大間違いだったというわけじゃ。これまで人類は「薬で病気が治ると錯覚して来た」から、現代の薬治療主導の医学になった理由でもあるがね。 ではどうしてそんなに間違ったかというと、「清潔作用の苦しみが薬で一時でも楽になる」からじゃ。それを治るものと錯覚してしまったのだよ。その錯覚をずっと根本において進歩してきたのが薬の進歩という歴史なのじゃ。

himaari:それが本当ならものすごい錯覚ですね。しかも人類のほとんどが錯覚して来たとはね。「薬が病を治し、薬がひとを健康にするという常識が錯覚だ」とは、重大な問題発言ですね。

おじいさん:そうじゃよ、薬というものが毒であるにかかわらず、なぜ病気を治せるのかという最大の矛盾点を誰も明らかにしなかった。いや、誰かが説いていたとしても誰も信じなかったのじゃろうな。それは「毒が良く効いた」からじゃ。その奥の原因と原理を「夜昼転換論」で話すがもう少し薬という毒と病気の関係を話さなければならないじゃろう。

himaari:今では薬学上でも「薬は毒」であるのは常識でしょうけど。でも毒(薬)を体に入れるとなぜ病気が治るのか、なぜ毒(薬)を飲み続けることで健康が保たれるのかは誰も説明できないですね。

おじいさん:そうじゃろう。今では誰でも薬は毒だということは知れ渡っているじゃろうが、依然として病気治療に使われているではないかね。誰でも毒とは知りながら使っているわけだが、その原理とか理由をよく知らない。ただ「効く」からという理由だけでね。わしはこの「薬という毒がどうして病気治療に使われてきたのか」を説明するわけじゃ。

himaari:それですよね、謎はそこにあります。どうして、薬は毒なのに病を癒やし、健康を保てるのか、不思議ですよね。毒とは言っても使えば苦痛が楽になるからでしょうね。楽になればそれで良いという事かな?

おじいさん:ここで重要な点は、「薬による苦痛緩和が病の根治では無い」ということじゃ。

himaari:え、苦痛が治まるから病気が治るんでしょう。だったら、病気の苦痛はどうするんですか? 苦痛があるから病気なのに。その苦痛を取らなければ病気は治りませんよ。

おじいさん:「薬が苦痛を緩和させる」「症状を緩和させる」これが使われる要因じゃな。実はその一点が医学の勘違いを持続させているものじゃね。まず、薬と言うが実はあらゆる種類の毒を使うのは分かるじゃろう。その多種多様に用いる毒の調合やさじ加減で病気を治すのが医学治療の柱となっているじゃろう。

himaari:そうですね。世界には何万種あるか知りませんが、それこそ病気によって多種多様の薬がありますからね。でも「苦痛の緩和」がなぜ勘違いに繋がるのか疑問です。

おじいさん:何万、何十万種あろうと基本は同じことじゃよ。薬の本質とは「体内浄化作用を抑える毒物」ということじゃね。

himaari:え、「薬が浄化作用を抑える」のですか? 

おじいさん:詳しくは後にして、「体内浄化作用とは体内清潔作用、体内掃除作用」とも言える。要するに身体の中の異物や毒素を排泄する「排毒作用の働き」じゃ。

himaari:そうですか、あらゆる薬が毒であって、体内の毒素を掃除する働きを「抑える」のが薬だというのですか。

おじいさん:そうじゃよ。毒の力を持って浄化作用を抑えるのじゃ。結果として苦痛が緩和する。だから治ったと錯覚するが、これは真からの治癒では無い。なにしろ「排毒作用」を中止させるのだからだ。「毒を出さないように毒で止める」というわけじゃ。

himaari:本当に治ったのでは無いわけか。それで毒(薬)を体に入れて、どうして病気が治ったりするのか、ちょっと理解できましたね。本当は原因を治しているんじゃ無くて、一時的結果だけ症状が楽になったということでしょうか?

おじいさん:だから医学でも言うじゃろうが、対症療法だとね。本当の治癒ではないという事じゃ。とりあえず出てきた症状を抑えて苦痛を緩和する。それを毒の力で抑えつけるのが薬物による治療法じゃ。

himaari:なんと、治していないのか。でも抑えつけるから楽になる訳ですね。それに薬飲んで治っている人も居るようだし・・

おじいさん:ただ抑えつけるだけで済めばそれはそれで良いじゃろうが、そうは行かないのじゃ。いずれ再発の火種は残っているわけじゃ。人間の身体は常に綺麗に保とうと常に働いている自然良能力が備わっているからね。もし薬を飲んで治っているとしても、それは一時抑えが効いたからか、その薬毒を跳ね返すほどの丈夫なひとが自分で治っているだけじゃ。

himaari:自然良能力ですか? 自然治癒力のことですね。薬で治るのでは無く自分の力で治るということですね。

おじいさん:いや、君は病気を治す過程だけを見て自然治癒力があると言っているのだろうが、わしの言うのは「病気を起こす力」も含めているのじゃよ。

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