「夢」か「安定」か? 〜超就職氷河期に二度内定を捨てた話し PART6 〜

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唯一息子さんだけがそんな現状を打開しようと頑張っていましたが、一人ではどうにもならない状態でした。


そんな息子さんの話しを聞くたびに僕は心が痛くなり、彼の必死な想いになんとか答えたいと思っていました。


どうにかしてでも医院長と話すことは出来ないか?と考えた末に、僕は毎朝その病院に訪れて窓拭きをすることにしたんです。


朝、医院長が来る前に病院の窓拭きをしながら挨拶をしようと決めたんですね。

変でしょ?笑 でも当時の僕からすればそれぐらいしか思いつかなかったし出来なかった。


だから来る日も来る日も窓拭きをしては笑顔で医院長に挨拶してました。


しかも時期は12月だったので、真冬の窓拭きは死ぬほど嫌でしたけどね。笑


そんな努力が実ったのか、ある日医院長から「お前と10分だけなら話してやる!」と言ってくれたんです。


話ができるだけでしたが僕は本当に嬉しかった。あの頑固な医院長が初めて認めてくれたような気がしたんです。


ただ、話しが出来ると言っても10分しか無いのでコンサルなんて出来ない。


結局僕は自分の自己紹介と医院長の話しを少し聞いただけでその日は終わりました。


でも不思議だったのが、それから医院長のほうからお呼びが掛かるようになったんですね。


っと言っても毎日通っているのに週に1回くらいでしたが…


それでも僕は「あの医院長が変わった!」と思うと素直に嬉しかった。これでやっと本格的にコンサルが始められると思いましたからね。


でも本当の戦いはそこからでした。


医院長と話しが出来る機会があっても、もちろん僕の話しなんてまったく聞いてくれない。


医院長がずっと話していて、息子や病院で働いている人たちに対しての不満や自分の自慢話しか出てきませんでした。「これじゃあ一向にらちがあかない…」と悩んでいましたが、医院長のマシンガントークにまったく隙はありませんでした。笑


結局そうこうしている間に3ヶ月が過ぎて、さすがに僕もヤバいなと焦っていました。仕事で来ている以上、何かしらの結果は出さないといけない。でも医院長との話しは一向に進まない…


そこで僕は覚悟して医院長にすべてを話そうと思ったんです。

病院で起こっている問題や医院長自身についてありのままに話そうと。


「これはもしかしたら最後になるかもしれない。」と僕は覚悟していたので、息子さんに一度相談してみることにしました。


「このままでは改善しないので医院長にありのまま話してみようと思います。」と僕が息子さんに相談すると、彼のほうからも「ぜひ、それでお願いします。」と言ってくれたんですね。


だったらもうあの医院長とちゃんと向き合うしかない!と思い、僕は怖がりながらも医院長にすべてを話しました。


すると案の定、医院長は激怒して「お前は一体何様のつもりじゃ!部外者のくせに口を挟むな!出て行け!!」って大声で怒鳴られました。


僕は「あ〜やっぱりこうなったか…」と思うと、そのまま部屋を出て息子さんに一部始終を報告しました。


息子さんもそうなるだろうと思っていたので「杉村さん、嫌な役を押し付けてしまって本当にすいませんでした。」と謝られたのが逆に辛かった。


僕も毎日この病院には通っていたので、いつの間にか息子さんやそこで働く人たちのことが好きになってたんですね。


「僕のほうこそ何も力になれず本当にすみませんでした。」と言って僕は病院を後にしました。もうこれでここに来ることもないのかと思うと、心にぽっかり穴が空いたような感じになりました。


でもその3日後に息子さんから嬉しい連絡がありました。


僕が医院長にすべてを話した後、病院の会議でなんとあの医院長がみんなの意見を嫌々ながらも聞いてくれたと連絡があったんですね!しかも「あいつはどうした?」と言って、また僕と話しをする機会を作ってくれたんです。


僕はいてもたってもいられず、そのまま病院へと向かいました。もう夜だったのですが病院に着くと息子さんが笑顔で迎えてくれました。


それから僕は医院長と話すことになり、また病院に通うことになったんですね。


もちろん人はすぐに変わりませんから医院長と会ってもケンカすることのほうが多かったんですが、それでも確実に僕と医院長の関係は変わっていきました。


それと同時に医院長の態度も少しずつ変わっていき、会議でもみんなの意見を聞いたり、通路ですれ違うときに挨拶するようになったんですね。前は挨拶なんて絶対しませんでしたから大進歩です。笑


その変化に息子さんも大満足で、半年契約だったのを1年契約に切り替えてくれたんですね。僕もやっとこさ医院長や病院の雰囲気も変わってきたところだったので、中途半端な形で終わりたくは無かったので嬉しかった。


そうこうしてる間に月日は経ち、赤字だった経営も黒字に戻り、病院で働く人も誰も文句は言わないようになってたんです。


医院長は相変わらず頑固な口調でしたが、それでもみんなのために意見を聞いたり病院の環境を整えたりしてくれました。


そしてとうとう1年の契約が終わり、僕は最終日を迎えることになりました。


その頃になると僕も立派に病院の一員になっていたので、正直コンサルが終わってしまうのは悲しかった。でもそれは病院の経営が立ち直ったということなので、僕にとっては望むべきことでした。


色んなことを思い出しながら僕は医院長室を目指しました。そしてドアをノックして入ると、相変わらず険しい顔をした医院長の姿がそこにはありました。


いつもは部屋に入るなり色々と話しかけてくる医院長でしたがその日は珍しく何も話さず、少し間を置いてから「今日で最後なんか?」とだけ言いました。


「はい、今まで本当にお世話になりました。医院長から色んなことを教えて頂き本当に感謝しています。」


僕はそう言って部屋を出ようとしたとき、なんと医院長のほうから握手をしてくれたんです。


そして「今まで本当にありがとう。」と涙を流しながら医院長は言ってくれました。


その瞬間、僕も恥ずかしながら大泣きをしてしまって何度も何度も「ありがとうございました!」って感謝の言葉を伝えていました。



そして医院長は最後に「またいつでも来いよ。」と言って病院の出口までお見送りをしてくれて、僕の大きな初仕事は無事に終わることができたんです。


ちょっと話しが長くなってしまいましたが、みなさん「コンサル」という仕事にどんなイメージをお持ちですか?


頭が良くて、データを見ながら問題を解決していくというイメージがありますが、実際はそうではありません。


この仕事ほど人間臭くて泥臭い仕事は無いなっと僕はこの体験で学びました。だからもしコンサルを本気で志す人がいるなら、とてつもなく人間臭い仕事だということは覚悟して下さいね。


それが僕からみなさんに一番伝えたかったことです。」


杉村さんの話しが終わった時、なんだか胸がジーンと熱くなっていることに気づいた。


会社の資料や本では学べないリアルな体験談に、僕はいつの間にか我を忘れて聞き入っていた。


杉村さんの話しは就活という枠を越えて、もっと大切なことを僕に教えてくれたのであった。

(続く)


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「夢」か「安定」か? 〜超就職氷河期に二度内定を捨てた話し PART7 〜

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