ITバブル体験記

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受付のセキュリティチェックを受けサーバーセンターに入る。

メインルームに行くためにあるフロアに行き、メインルームのカードキーを借りる。無論借りる際も厳しい審査がある。

カードキーを借りたら、あるフロアに移動する。

一見壁のようになっている部分が自動ドアになっている。

壁にカードキーをかざすと隠し扉のような自動ドアが開く。

自動ドアを入り、またあるフロアに行くとそこがサーバーのメインルームとなっている。

カードキーをかざすと、メインルームにようやく入れる。


メインルームはミサイルの襲撃を受けても大丈夫なような設計になっているそうだ。


体育館何個分かぐらいの巨大なフロアだ。

空調はコンピュータに最適に設定されていて、肌寒くとても乾燥している。


壁には赤いラッパのようなものが設置されている。

消化設備らしい。


火災の場合、コンピューターに影響がすくない消化ガスが出るらしい。人間には有害とのうわさも。。


なんとなく、作業をしていると、「そのとなりにあるの、全国の天気出しているサーバーだから気をつけてくださいね。今夜のニュースの天気予報でなくなるので」とさらっと言われる。


巨大な汎用機やスパコンがズラーっとならんでいるのは爽快だ。

床下には無数の配線がとおっていて、1m近く床上げされている。


当時Yahooのサーバーセンターに行ったことのある人に聞いた話だと、Yahooのコアサーバーはメインルーム中の鉄格子のような金網の中にあったらしい。


もうひとつのヘッドハンティング話



Amazonが出始めのころ、本のショッピングサイトが乱立した。

乱立するサイトの一つを担当していたことがあった。


当時の流行だったのかわからないが開発はアメリカでして、それを日本に輸入してローカライズ(日本向けに改良)するといったものだった。


そのアメリカの開発会社がFineComというマイクロソフトの子会社だった。

この会社からお誘いがあった。というか日本の大手商社の人がプッシュしてくれた。


日本を離れるのがイヤでこのお話しはお断りさせていただいたのだが、あの頃思い切った行動を取っていたら自分の人生は違ったものだったかもしれないとたまに思う。


会社にインテルが出資?




僕の所属していた弱小ベンチャーには多くの味方がいた。

アメリカの有名な資産家(当時資産1000億超)がちょくちょく20平米の事務所に来日の度に遊びに来ていた。


その方が、インテル本社の出資の話を持ってきた。

将来のビジョンを示す事業計画を出してくれ。10億出資したいというものだった。


当時の社長の判断でこの話は流れた。


今では想像もつかない。


バブルは崩壊へ



こんないい時代もいつまで続かない。

ITバブルは崩壊した。


制作単価は激減し、一般の方でも簡単にホームページが作れる時代になった。

無料で使えるサービスが現れ、今では多くのサービスを無料で利用できる。


単価の下落と共に品質も下落した。


時代の波に乗れた人は多くのキャッシュを手にし、散在して破産する人もいればひっそり業界から足を洗って、あら稼ぎしたお金でゆったりと余生を楽しむ人も居た。


昭和のバブルのころ、タクシーを拾うのに一万円札を振りかざした話や、小銭が邪魔だといって捨てていたという話も聞く。


これはどう考えてもおかしい。


ITバブルも同じだった。


表だって出てない面白話はいっぱいあるのだろう。

今、わかることは当時IT業界に従事していた人の大半が別の業種の仕事をしているということだ。


今の時代は今の時代でIT業界はイビツだ


車だったら、軽自動車がいくらぐらい、セダンがいくらぐらいと相場がある。

ITのように形無いサービス業でも美容室で髪を切るならいくらぐらいと相場がある。


IT業界にはそれが無い。

相場が無いから価値が際限なく高まり、際限なく縮小する。


さんざん膨れた風船はあとかたも無くはじけ飛んだ。


当時はバブルという認識は無かった。

そこにバブルの怖さがあると思う。


ITバブルを経験できたのは人生の糧になったと思う。


今後またバブルは起きると思う。


その時は、客観視できる目を養っておきたいと思う。





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