おじいさんとの対話 4    薬の対症療法の限界と手術の進歩は医学の退歩

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おじいさんとの対話 4  

 薬の対症療法の限界と手術の進歩は医学の退歩

      根本原理は「夜昼転換」

現代医学は対症療法

himaari:現代医学は対症療法と言われていますね。症状を治せば病気は治るということでしょうね。

おじいさん:これ程間違った話しはないであろう。すなわち熱が出たから氷で冷す、痛いからと神経を麻痺させて苦痛を免れるというやり方は、ホンの上面に現われた症状、いわば病気の結果を対象とするのであるから真に治す方法ではないじゃろう。

himaari:でも「治る筈はない」というのも少し極論に思えますが。みんなが病気をすれば病院に行きお医者さんからお薬を処方して貰いますよ。そして病気が治っているのですよ。治らない人も居るでしょうけど。

おじいさん:本当に治るのなら世の中はもう医学の進歩で病気は漸減しているはずじゃ。しかしドンドン重度な病気が増え、難病も増えている。しかも風邪ごときで大騒ぎしているのはなぜか。君は考えたことがあるのかね?

himaari:と言うことは医学の進歩では無かったということですか。たしかに何十年も驚異的に進歩した医学と言うのなら、軽い病気ばかりになっているはずですね。

その原因が対象療法だからと言うのですか?

おじいさん:あらゆる病気が症状として現われるには、その原因がどこかに潜んでいるはずじゃ。ゆえに顕れた症状は結果であって、原因は違っているとしたら解決しないじゃろう。

himaari:医学では、その原因を分かっているから治療するのではないでしょうか?

原因も分からないとしたら、どうして治療することが出来るのでしょうか?

対症療法とは病気の原因の治療ではない

おじいさん:はじめにそのことの意味を君が言ったことじゃろうが?

「現代医学は対症療法」とね。

対症療法とは病気の原因の治療ではない、病気症状の治療というわけじゃ。

himaari:そういえば、医学では原因療法とはあまり言いませんね。症状を抑えるとは言いますが。治っても「寛解」とか言うそうですし。

しかし、症状を抑えるといっても結局は苦痛症状が楽になれば治ったと思いますね。

おじいさん:そうじゃよ。それで根本的に治ったものなら、それでも良いんだがね。だが、それが一時的である場合もある。

個々で言えば、真に病気が治るという事は、原因が除去されて元の健康体に戻り余病や再発が無いということじゃ。全体に大きく見ると、「医学で病気が治る」となれば、世の中から重難病が次第に減って行き軽い病気ばかりになってくる。その結果、病院やお医者さんが暇になって来る。インフルエンザごときで毎年大騒ぎするなんてこともなくなるじゃろうよ。

himaari:そうですね、あたりまえの事でしょうが、何十年か過ぎて行くに連れて、世の中から病気が減って行きますね。病気が全然無くなるとは思いませんが、大きな病気は減って軽い病気ばかりになって行くのが自然ですね。

病院は暇になるから医師不足どころか余ってくるはずだし・・

おじいさん:それが本当の「医学の進歩」の結果というものじゃ。世の中に病気の人が年々少なくなるとすれば、お医者さんも当然ひまになる。

そうなると全国の病院も仕事が無くなるから廃業する所が続出するだろうね。実際そうなっているのかね?

himaari:残念ながら逆になっていますよ。そう言えば、僕が小さい頃には「医学の進歩によって癌などの難病は21世紀には解決するであろう」とか、新聞に書いてありましたね。

その時はきっとそうなるものと思っていましたが、もう21世紀に入ったのに全然そうなっていませんね。いえ、むしろ逆になっているくらいですよ。かえって重い病気が増えたりして、癌の撲滅どころか死因のトップになってしまいました。

日本人は医療に対して心底安心できないのですよ。その証拠にテレビの健康番組や健康雑誌が人気ですからね。わざわざサプリメントや健康食品などを買っている人も多いです。

おじいさん:それは「医学が結果を出していない」という証拠じゃろう。もし病気になっても心配のない世の中になっていれば、それほど意識してまで健康に気を使うことも無くなるはずじゃ。

それなのに「医学が進歩した」と言いながらも、実際には次第に重度の病気が増え続け、ごく軽度の風邪程度でも心配するようになってしまったということは変だと思わないのかね。

himaari:単純に考えるとそうですね。しかし、世の中のひと、みんなが言っていますよ。

「じつにありがたいものだ、医学が進歩したお陰で・・」とね。

医学の進歩」ではなく、「医学の退歩」

おじいさん:実際は「医学の進歩」ではなく、「医学の退歩」であったと言っても反論できないじゃろうが?

事実として見ると結果が逆になっているではないかね。いままでの医学は根本的治療法ではなく、「症状のみを停止するための対症療法」だったということが事実として現れただけじゃ。

himaari:長い目で見ると原因治療でなかったという事がよくみえてくるんですね。「医学は進歩している」と思い込んでいるだけだったのでしょうか。

おじいさん:事実として見ればそうなるじゃろう。この理によって本当に病気を治すには、症状などは末梢的なものであって、どうしてもその根本原因を探り当て、それを除去しなければならない事は余りにも当然であろう。

himaari:症状は結果であって、原因を探るですか?病気の根本とは何でしょうね。

おじいさん:表面的に見ればひとつの症状でも原因が異なる場合があるのじゃ。例えば、頭痛にしても脳貧血の為と発熱の為と両方ある。前者は頸の周囲に固結があり、それが血管を圧迫して貧血する。後者はその固結の溶解の為に発熱する。それが頭脳へ影響して痛むのである。

himaari:なるほど、現れた症状は同じ「頭痛」でも、その原因が違うということがあるんですね。症状を止める為に頭痛薬を飲んでも解決しないという事でしょうか。

盲腸の原因

おじいさん:いくら対症療法を施しても原因が解決されない限り、いつか再発するじゃろうし、別の病気に転化する。薬というものが病気の原因を除去してくれるのなら、そこで解決するはずじゃ。だが、治せないから慢性になってしまうものが多いから、薬を飲み続けなければならないのじゃ。

例えば、盲腸炎の原因は右側背面腎臓部に必ず固結がある。それが長い間に少しづつ溶解し、いったん盲腸部に滞溜し固結していたものが急に発熱によって液体となり、下痢によって排泄されようとするその痛みである。

himaari:へえー、盲腸とは、何か果物の種が入ってしまうからと思っていました。このあいだ、知り合いのおばさんはぶどうの種を飲むと盲腸になると言っていましたが、僕はスイカや瓜の種かなんて思っていたものです。

おじいさん:わしに言わせると医学の進歩などとは戯言に思えるくらい幼稚に思えるじゃがね。表面の現象だけで裏の原因をまったく無視しているのだから、何十年経っても一向に解決できないわけじゃ。

himaari:でも医学でハッキリとした原因が分からないのも不思議ですね。どうして原因を探れないのでしょうね。盲腸にしても、おじいさんの話とは全然違うようですよ。薬で散らすとか手術で切り取るとか。昔は「盲腸なんて元々不要なものだから切って取ってしまえ」とか聞きました。

おじいさん:医学では盲腸の役割を知らないからね。「何かの役割があるだろうが、今は不明だ」というのに、「要らないものだから切り取ってしまえ」とは愚かな事じゃ。「分からないから要らない」というのは幼児のような考えだろうが。

そんな事をするから、将来いろんな不具合が出てくるわけじゃ。そのとき限りの苦痛除去がいかに体全体に悪影響を与えるか、人間を人形のごとく見ているから局所だけの解決すれば、すべてが解決すると思いこんでいるのじゃろう。

himaari:そうなると医学の基本が初めから根本じゃなくて枝葉を研究してきたのでしょうか。実際の医療はほとんど対症療法になっていますものね。

おじいさん:医療現場の治療法は、学者の研究が土台になっているからだろうが、その学者自身がまったく自然の摂理を知らない、理解していないのだからね。現れた現象だけを研究するのが根本となっているのじゃ。

himaari:病気の根本原因を知らないと、治療も的外れだという事ですね。そうなると盲腸も必要あるから備わっているわけですね。それを不必要なものとして切り取るわけか。

本当のことが分からないから手術で切り取ってしまうとは幼稚で野蛮な方法なんですね。

おじいさん:いずれ手術の話でも解説するが、人間の体に不必要なものが備わっていると思うのは、人間がまだ未熟ゆえ、その機能を理解できないだけの事じゃ。

君も幼稚園、小学校のころはまだまだ未熟な考え方で幼稚だったろう。それが現代医学の現実だと言ってもそうは思わないところに大きな問題があるのじゃね。

himaari:そりゃそうですね、現代医学と言えば最新科学の粋を集めた、世界最高の頭脳と技術の集大成だと思っていましたから。まさか幼稚園や小学校程度のレベルだとは、誰も思いませんよ。

おじいさん:確かに診断機器や手術道具の飛躍的進歩は否定できない。体内の仕組みも詳細に研究されて診断技術の進歩も事実だ。だが、それらはあくまで診断技術や機器の進歩に過ぎない。病気の根本が解っていないから、本当の治癒に繋がっていないのじゃよ。

himaari:薬では治癒に繋がらないのですか。でも「薬で治療」と言うのも変ですね。ちょっと調べてみたら医学用語では「寛解」と言って「とりあえず症状が治まった事」を言うらしいのですね。本当に治ったのか、また再発するのかは不明でも寛解というのは、やはり対症療法だからでしょうね。

おじいさん:病気の根本原理が理解できないと、医学がいくら進歩してもそれは退歩となってしまうのじゃよ。土台が狂っている建築は高くなるほど傾きが大きくなってくるのと似ているがね。

「治癒」でなく「寛解」

himaari:治療していると思っていたのですが、それが違っているとは、そう簡単には納得できませんよね。でもやっぱり、医療では「寛解」と言うから「治癒では無い」のですね。

では、痛みについてですが、痛みを止めることはどうなんでしょうか。痛みが無くなれば治ったという事じゃないのですか。なかなか痛みは我慢出来ないものですよ。激痛だったらもう耐えられないですしね。

おじいさん:病気とは苦痛症状が伴うからじゃが。その苦痛から逃れようとして試行錯誤して薬というものが出来たんじゃ。大昔からそれもやむを得ない手段だったのじゃ。とりあえず症状は収まるし、楽になれば治ったと思うわけじゃ。だが、それで済んでしまえば終わりだが、使った薬がまた次の別の苦痛を産むとしたらどうなるかね。一時的症状停止だけではいつまで経っても人間は病気の苦痛から逃れられないだろう。

himaari:薬では必ずしもそこで解決しないというわけですか。薬が次の病気を生むとは誰も考えたことが無かったのですね。

おじいさん:一時的とはいえ、長期間保てればそれでよかったのじゃ。しかし病気の苦痛の真の理由が分かればその苦痛もある程度なら我慢できるはずじゃ。

たとえば、手指に出来るひょう疽は、左右何れかの頸部リンパ腺に固結した猛毒が指の先から排泄されようとして、いったん指頭に溜まり、皮膚を破って出ようとし腫れるための激痛である。

himaari:そんな猛毒が体の中にあるのですか?突然激痛が走るとか言いますよね。あれって元々体の中にあったのですか?

おじいさん:その猛毒の元は何かというと、過去に入れた薬毒だと知ったらどうするね?

himaari:え、過去に入れた薬? そのような猛毒を入れた覚えなど無いと思いますよ、普通。細菌などが原因だと思っていましたけど、薬が原因だとすると、結局は自分の内にあった毒素が原因という事ですか? でも、それがどの薬でいつ入れたものかも分かりませんよね。

おじいさん:そうじゃろう、昔入れた毒などとは考え付かない。まさか薬が毒の元になるとは考えもしない、自然に無くなってしまうと思っているからじゃ。そうしていろんな毒素の排泄には楽に出るのと、そうでないものがある。

たとえば胃痙攣の痛みは、背中にある毒結(どっけつ)が溶けて胃へ集り、腸へ下降しようとするその痛みである。これは古くなった薬毒が毒素となって排泄される過程じゃ。

himaari:胃の激痛というのは、人の話で聞いたことがありますね。その元が胃の裏側にあったとは知りませんでした。薬は古くなると毒性が強くなってしまうのでしょうか?

それにしてもいつ飲んだか分からない忘れたような薬が残っているとは信じられませんよ。

おじいさん:君が信じられないのは承知だが、わしは原理を話しているだけじゃ。その様に現われた症状には、奥に本当の原因と場所があるのじゃよ。しかも薬毒が古くなって猛毒化した毒素があるときに激痛が発生する。

したがって大抵の場合は、いま症状として現われている箇所だけを病んでいると思うのだろうが、実はその原因となるものが奥にあるのじゃ。

医学ではそれを知らないので、とりあえず見えている箇所だけを対象にして、そこだけを治そうとしているのじゃ。だからこそ対症療法と言うのじゃろうがね。

himaari:そうか、根本を治すのではなく、現われて見える所だけを修理しようとしているのか。そうなるとあまり知恵のないやり方ですね。奥に原因が潜んでいるのに結果だけを修繕しようとするという事なのかな。

おじいさん:真の原因は目に見えないものだからね。毒素など言っても目に見えないし、取り出せもしないからね。そこで人間は「見えないから無い」とするのは智慧がないからだ。人間のもっている知識をいくら集めてみても、それが見える部分だけのものだから、限られた知識に過ぎない。なにしろ見えない原因を見える結果ではなかなか探り得ないからね。

それが医学の正体だとしたら、いくら「医学が進歩してみても真の病気の解決ができない」という理由が分かったかな。

himaari:なるほどね、医学は確かに長年積み重ねてきた実験や研究で、その知識は膨大なものになっていますよね。もう「ひとりの医師が医学の知識を全部把握できない」ほどですよね。だから学者さん達がいろんな分野に分れて研究したり、医療現場でも専門が細分化してしまったんですね。

おじいさん:そうじゃろう。古来、人類が作りあげた医学というものは、英知の総決算でもあるじゃろう。確かにそれなりの成果を集めただろうし、一時的とはいえどもかなりの実績はあったじゃろう。だが、肝心要である病の根本原理を知ることが出来なかった。それが一大欠陥となっているのじゃ。つまり土台が間違っているから、それが大きく高くなるほど歪みも大きくなってしまう。それが「医学の進歩で病気が増える」理由じゃ。

himaari:絢爛豪華な大病院に行くと素晴らしい経歴の医師達を揃えて、近代的な施設や医療器具、診断機器などを見ているとそうは思えませんね。しかも、世界中の医学者が日々刻々と研究成果を発表していると言うし、その医学の研究成果は膨大なものになっているのでしょうね。

だからトップクラスの医学研究者は自分の専門以外は分からないと言いますし。あまりにも膨大な知識に個人ではもう全体を把握する事は不可能になったんでしょうね。

おじいさんの話によると、それは表面に現われたものだけを分析して研究したものだから、いくら集めてみても個別の知識の寄せ集めでしかないのですね。

おじいさん:そうじゃな。断片の知識を集めれば集めるほど全体が見えてこないという矛盾に突き当たるのじゃが、今の医学はその頂点に近づいたということじゃろう。

群盲が巨像を触ってそれぞれ各自が触った所だけで「像とはこういうものだ」と報告するのと似ているね。そしてその報告を集めてまとめたもの現代医学の経典じゃろう。

個々の研究は真実でも全体としてみると全然的外れになるという事じゃ。

himaari:なるほど、医学大全が経典か。 個は正しくても全体は間違ってしまうとは。

そうか、個では全体像が見えないわけですね。あまりにも各専門分野に細かく分れて、その分野でもさらに微細に深く研究を重ねているわけか。だから専門分野に分かれた一流の学者にはかえって全体象が見えなくなるから「私の専門外は分からない」と一流の学者さんが言う。

個の真実が全体の虚像

おじいさん:個別の真実は集めても全体の真実とはならない事はよくある事じゃ。それぞれの分野で研究者がいくら微細に調べて研究しつくしても、「群盲、象をなでる」ごとしで、全体を知ることは出来ない。

himaari:それで各分野の研究結果を集めた医学知識を実際に治療する医療に応用してみると不具合が出てくるわけか。知識は膨大なんだけど実際には当てはまらない。だから治せない、治らない・・か。

「治せると思っている」のと「実際には治らない」という、そのギャップはすごく大きくなっていると思いますね。

一流の医学研究者がひとつの分野ではすごく深い知識があるのに、他の分野のことはまったく知らないという意味は、人間の全体像がまったく見えていないという事ですよね。

おじいさん:細かい研究が一概に悪いというわけではないがね。

しかし、それを全体に当てはめてしまうというのが勘違じゃ。それが個々の真実が全体の真実とはならないという意味じゃ。

人間という生物は全体でひとつという総合体だからじゃ。

それなのに、個々に細分化した研究結果を全体に当てはめてしまおうとする。それでは人間の体という総合的働きとは違ってくる。

例えば、眼の治療にしても、眼科は眼だけを対象にするじゃろう。鼻は耳鼻科というようにたったひとつの頭に関してさえもそれぞれ細分化して見ているわけじゃ。実際は頭も心臓や胃腸などの臓器と密接不利な関係にあるのだからね。

himaari:実際にそうなっていますね。町の医院にしても胃腸科とか眼科とか区分化していますし、大病院でもたくさんの科がありますし、それは大体は症状別に別けてあるようですね。またそれが当たり前のように思っていましたけど。

人形医学

おじいさん:それほど区分化しているという事は、医学研究が細分化しているから医療でもそうなってしまうんじゃろう。それでは人間医学では無く、人形医学じゃ。人形なら個々の部品だけ替えたりすればよいからね。

先ほどの眼病にしても症状が目に出ているだけの事で眼科が目だけを対象にして診る。

しかし全体として見ると、それは頭脳に滞っている毒素が眼から出ようとして、いったん眼に集まる。それから涙や膿などになって排泄される。その時の症状を見て医学は眼病と診断するのだが、お節介なことにその毒素排泄作用として現われた症状を・・・

himaari:やっぱり止めるんでしょうね、医学は対症療法だから当たり前だけど。

膿が出るときは腫れ物になって出るのですね。それを悪くなって行く一方だと考えるのが医学なんですね。そこで薬という毒で抑止する。すると一時的でも抑え込んでしまえば治ったように見えるわけか。「寛解」という事でしょうが。

おじいさん:君もそこまではよく理解できて来たようだね。

「対症療法とは排毒作用を停止すること」が本筋なのじゃ。だが、人によってはその停止療法をはね返してしまい、自分自身の本当の治癒力で治ることも大いにあるのじゃ。人間の治癒の力は偉大なものがあるからじゃ。

himaari:すると薬を使っても治るように見えるわけですね。病気になれば大抵の人は薬を飲むし、それで収まるのがほとんどですからね。薬の毒で抑止されて一時的に収まったのか、それとも薬毒を排して治ったのかは分かりませんが、表面的は「病気が治った」と見ます。そして「薬を飲んだ」ので「病気が治った」と一緒にしてしまうわけでしょうね。

もともと薬で治るわけじゃないのに、そう見えるわけですよね。

おじいさん:薬は毒なんだから、毒で健康になれるはずは無いというのが自然じゃが、普通はそうは見ないだろうがね。薬を使ったから治ったと思い込んでしまうじゃろう。

それによってまた「薬信仰」を益々強くするというものじゃ。だが、それとは違う意味では、昔から薬が効かなかったという訳じゃ無い。確かに薬は効いてきたんじゃな。

himaari:え?薬はやっぱり効いていたんですか? 治していないのにですか?

おじいさん:そうじゃ、症状停止療法としてじゃ。そういう意味で薬は立派に効いていたという事になる。その期間があまりにmの長かったゆえに「薬信仰」が人類に根付いてしまったんじゃがね。

himaari:それじゃ、長い期間薬が効いているならそれでも良いじゃないですか。

たとえ一時停止方法であっても、相当長い期間、効いているとすれば良いじゃありませんか。人間の一生もそのうち終わってしまうでしょうから、害作用も出てこないうちに死んで逝けるし。

おじいさん:今までの長い期間はそれでも良かった。というか、必要悪としての薬の必要性はあったのじゃろう。しかし、これからはそうは行かなくなったという事じゃ。

たとえ毒である薬でも効けば一応症状停止は持続する。本当の健康体では無い状態だがね。人によっては自分の代には再び溶けることが無い事もある。だとすれば有り難いことだろう。

himaari:はい、それでも構わないと思いますよ。なんとか長持ちさせてくれればですね。すべての薬が毒であったとしても、その毒が抑え込んでいてくれれば良いわけですから。

そうなれば、やはり薬は有り難いものですよ。

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