おじいさんとの対話5
天然痘と浄化作用 バイ菌の役割
それでは久しぶりに「おじいさん」の所へお尋ねすることにしました。
伝染病とか感染症とか言われる病気のルーツ的存在である天然痘を解説していただきました。
himaari: 今日は前にもお尋ねしたことのある天然痘についてお話を伺いに来ました。よろしくお願いします。
現代医学が感染症では唯一の金字塔として「天然痘撲滅」という成果があります。後はまったく全敗中ですけど。そこで、人類が唯一の感染症への勝利であると宣言された天然痘についてお願いします。
おじいさん: ひさしぶりじゃなのう。それでは始めようか。
人類は天然痘を撲滅したと言って大喜びしているようだが、天然痘の正体とは何かを知らないとタダの糠喜びになるから。そこで、天然痘とはいったい何かじゃ。実は体内の古い毒素が皮膚を通して出てくるわけじゃから、これも浄化作用の一種じゃね。
ところが医学ではそれを外に出さないようにしようとしたのじゃ。それが種痘法という予防接種だろうね。
しかもじゃ。もしも医学が撲滅したという種痘が功を奏したのなら、それは大成功とは言えないのじゃ。
himaari:え、成功じゃないのですか。種痘で天然痘が撲滅できたとしてもですか?
おじいさん: それは古い毒素を押し込めただけなんだからね。その毒素が体内に残っている限りはまたその形を変えて出てくるわけじゃな。
モグラの頭たたきゲームのようにあちらをたたけばこちらから頭を出すというようにな。
そこで近年になって増えた疥癬と言うのは種痘によって作られたというのが結果なのじゃ。
「天然痘」と言うモグラの頭をたたいて引っ込めたまではよいが、今度は別の穴から疥癬と言うモグラが頭を出す、というようなもので、病気というのは頭をたたいていたのでは永久に解決されないんじゃ。
himaari:疥癬? 僕らの時代にはあまり聞きませんけど。
おじいさん: 最近ではその疥癬とは違った形でいろんな病気(浄化作用)が出て来ているようじゃな。結核を筆頭にね。その結核を叩くと今度はガンというようにだんだん悪質化する。
himaari: そう言えば、その結核も今じゃ廃れて癌に主役を譲りましたね。
病名は変わっても、体の中の毒素がある内は別の形で出てくるということでしょうか。
そう言えば「危ないぞ予防接種」と本にも、種痘をした為に、それ以降になってから、悪性の疾病が増えて来たと書いてありましたよ。
おじいさん: いま盛んに用いられている予防接種という方法などは、この種痘がきっかけになったのだろうね。しかし予防と言っても原因の毒素が消滅したわけで無いから本当の予防とならないのじゃ。
himaari: 「病気を予防する」という名目で盛んに予防接種が奨励されて来たのですが、最近では予防効果の疑問性とその副反応の危険性が噴出して来たので、「強制」から個人の「選択制」へと替ってきましたけど。
おじいさん: そうじゃろう。どんな予防接種であろうと、それ自体は「毒性」のある物質なんだからね。人体にとっては異物になり、ついには身体の中で一種の毒素となってしまうからじゃ。人間の体の中に溜まった毒素ーーこれが血液を汚す原因材料ということになる。(毒素が集溜して体の局所に固結しているということ)
これこそが、将来にわたってあらゆる病気の源となってしまうんじゃ。
himaari: ということは、予防接種で病気を予防することはいけないのでしょうか?
予防で無く、毒素を固めて出さないようにするのですか。
本当の予防にならない予防接種
おじいさん: 病気を予防すること自体が悪い訳ではない。しかしこの予防接種というものが、実際には病気の予防ではなく、将来に渡ってもっと悪性な病気を引き起こす元になるとしたら、意味がまったく違うものになるだろう?
himaari: 実際は病気を予防するのではなく、「病気の予約」をするのですね?
その予防する病気の予約か? もしくは新たな病気の予約ですか・・・?
それで予防接種後に長期間過ぎてから原因不明と言われる様な突然、重度の病気などが現れるわけでしょうか?
それにしても、ちょっとした接種が将来には影響を与えるとしたら恐ろしい話ですね。
おじいさん: 医学では単に病気を予防すると言うのだろうが、本当の予防とは体内がきれいになっている状態じゃ。もともと多くの人の体内には種々の毒素が潜んでいるのじゃな。
それは毒素の集まった状態、つまり局所に毒素の固まり状態で体内に潜んでいるのだが、それを「毒結」と呼ぶ。この毒結が増えるに従い、人間の本来の機能が正常に働かなくなるのじゃ。そして、本当の健康ではないから元気溌剌とは行かない。また次第に人間の寿命も短縮してくるというわけじゃ。この意味から言うと、この様な不要な毒素は早く体外に出さなければならないというわけじゃ。
そこでありがたいことに自然は、人体に素晴らしい機能を産まれながらに備えてくれたんじゃね。
himaari:素晴らしい機能ですか? 溜まった毒素を外へ出してくれるのですね。
おじいさん:その与えられた機能により、毒素の排除作用を起こしてくれるという訳じゃな。これを「自然浄化作用」と呼ぶ。別名では「病気症状」と呼ぶ。
himaari: 天然痘もその自然浄化作用の一種だというわけですね?
私たちには産まれながらにして、そのような活動をおこす力が備わっているという意味ですね。では、その自然の機能が毒素排泄の為の浄化作用としても、実際には病気症状として悪く見えるわけですね。
おじいさん: そうじゃ。人類が永いあいだ「病気」と称して恐れていたものの正体とは、この「浄化作用」のことだったんじゃ。毒素の浄化として現れた現象を病気症状と解釈したということじゃ。その浄化の過程で具合が悪くなる、つまり苦痛が伴うために「悪化作用」だと誤解したのが始まりじゃ。
himaari:「誤解から始まった」のが医学ですか? 病気の苦痛症状だけを見ていると当然そう思いますよね。
おじいさん:人間は誰でも産まれながらにしてこの働き機能を備えているのじゃ。
それを「自然良能力」と呼ぶ。
本来、にんげんの体の活動をできるだけ正常に機能させ、長持ちさせるためには、いつも自然良能力が働いているというわけじゃ。その「自然良能力」の働きとして。日常少しづつ溜まってくる異物、毒物などを掃除してくれるというわけじゃな。
himaari:要らないものを掃除してくれるんですね。
おじいさん:それを「排毒作用」というのじゃが、まずは体のなかの毒素を集めて、最終的には外に出してくれる働きを常にしてくれているのじゃ。
この働きがなかったとしたら体内の異物や毒素は排泄されずに蓄積し続けることになるだろう。そうしたらどうなるじゃろうか?
himaari:当然、溜まりっぱなしになりますよね、一生終えるまで出なければ。
おじいさん:ところが自分の体で終わってくれれば良いが、次世代に遺伝毒素として受け継がれて行くじゃろう。
himaari: それで産まれたばかりの赤ちゃんやまだ小さい子供たちがいろんな病気にかかることがあるんですね。産まれてから入った毒素だけならたかが知れてますものね。
おじいさん:親の親、またその親と先祖から受け継いできたものを今度は自分の子供に受け渡すこともあるわけじゃな。それが天然痘のように古い毒素が排泄される症状となって出てくるのじゃ。
人間体内の状態が汚れきっていると、どこかでそれを解消しないと世代間に渡って重大な悪影響を及ぼすことになるからね。そのままの状況が続いたとしたら、結果として人類は出産力の低下や胎児の奇形なども増え続けて、究極の果てに「人類という種」の滅亡にまで行き着くことになるじゃろうな。
himaari:すると、私たちにはその「自然良能力」が備わっているから「病気」と呼ばれてきた「浄化作用」というものが起こるわけですね。溜まったゴミを掃除しないと段々とその負の遺産を次の世代に受け継がせることになる。と言うことは、病気というものがなかったら人類は滅亡しちゃう!?
おじいさん:究極になるとそういうことじゃ。だが、「人間には病気は必要」だということの根本原理が解ると、こんどは病気を無くすこともできるのじゃ。
himaari: 変ですね、病気は必要だけど、しかし病気は無くせるって言うのも。
おじいさん: 病気を排毒作用として捉えれば、病気とはまさに天の恵み「天恵の浄化作用」という意味が分かるはずじゃがね。 その意味で言うと「病気にかからなくするには病気をすること」じゃ。相反する様に聞こえるだろうが、これが究極の健康法なのじゃよ。
himaari: なんだか変な話ですね。「体のなかの毒素を掃除するのが病気」だとすれば分かるのかな? 掃除をすればきれいになるから、その後は病気にかかる必要が無いってことかな。
浄化装置が働くと病気というものが発生するとして、その浄化装置が働く必要のない体になればいい訳か? 話は単純ですけど実際はそうは簡単には行かないですねえ。
おじいさん: 確かに今まで人間はかなり長い期間、この病気というものを悪いものとして解釈して来たからね。したがってなるべく毒素を出さないようにしてきたからじゃが。 しかし、人類はこの「浄化作用」の働きが備わっていたからこそ今まで生存出来てきたのじゃよ。自然の仕組み、働きとしては感染症の形で浄化させる。その大きな掃除それが世界的に大流行した感染症じゃろう。
この一見大不幸に見える伝染病大感染とても「人類全体」からみつめてみると、まあ「人類存続のためのガス抜き」じゃろうな。
himaari:なるほど、どこかでガス抜き作用が起こるわけですね。人類全員がひどい汚れになっていないので、全滅はしないけどかなり多数の死者が出るのかな?
おじいさん:それは対処方法が間違っているのが死者多数の一番の原因じゃろう。
人間の日々の生活で種々な形で毒素が体の中に入ってくるわけじゃが、常に自然良能力が働いていて、毒素の掃除をしていてくれるのじゃ。それでも微量ずつでも蓄積された毒素が多くなってくるとしたら、時には一時に大量に排毒作用を必要となる。
himaari: 小出しにしてたんじゃもう間に合わないので一度に大出しにするわけですかね。
たまっていたエネルギーを解消する火山の噴火のようですね。それも小噴火じゃ間に合わないので大噴火となって・・・。
おじいさん:病気を体内毒素の浄化作用としてみれば、風邪などが小出し作用であり、大出し作用の方はもっと重い重難病と言われるものじゃね。もう小出しくらいでは間に合わないほど、体内には大量の毒素が蓄積されている場合じゃがね。そのような時、自然良能力の働きは毒素を排泄しやすくするため、局所に集溜した毒結に高熱を発生し液体化しようとする。液体にして薄めて排泄しやすくするためじゃ。
himaari: それはどんな人でも同じように起こるのですか?
おじいさん: もちろん人によって千差万別じゃが基本はおなじこと。
誰でも同じ様な毒素があるときには、ある条件によっては同時期に起こることもあるし、それが集団発生に見えることもあるだろうな。
himaari: 天然痘は罹ると大変な症状だと聞いていますが、それを防止することは自然に反していると言うのでしょうか? どうみても天然痘には罹らない方が良いと思いますが。
おじいさん: 病気に罹らない方が良いというのは一面的には真っ当な考えじゃね。だが、もっと大きな視点で見ると、それではいつまでも解決していない。原因が潜んだままじゃ。
それが将来に渡ってずっと毒素を保有している状態だとしたら、いつかはその浄化(病気)をしなければならない。人間がその原料を持っているというものじゃからね。いつかは返さなきゃならない借金だとすれば、利子まで増え続けて、君はついには破産するまで待つのかな?
himaari:まあ借金なら命に別状は無いんでしょうけど・・・、でもやっぱり破産は嫌ですね。それが人間の命に関わるとしたら早く返した方が得策なのでしょうね。理屈ではわかりますけど、いざとなると長い苦痛ががまんできるかなあ・・・
しかも、その借金が先祖伝来となるといささかややっこしいですけね。自分のせいだけじゃないとするとね。
おじいさん: 君の思い通りに催促する方は待ってくれないからね。いつまでも返さないとか、最後まで返さないという事は、個人で言えば大浄化(大きな病気)が待っているだろうし、人間という種族として見れば「破産」とは「人間という種の滅亡」じゃろうなな。
himaari: まるで宮崎監督のアニメ映画のようですね。
おじいさん:自然は君の思い通りには待っていてくれないのじゃな。だから「病気(浄化)をするのがイヤだから毒素をいつまでも溜め込んで生きて行こう。」というそんな都合のよい選択は出来ないのじゃね。」
途中で何度か催促されるわけじゃが、最初は軽い催促も断っている内に借金は増えてしまい、ついには返すにも返せないという「破産」という選択の余地も無くなるわけじゃ。
himaari: なるほどね・・・嫌ですねえ・・・、どちらもですが。病気にかかるのはイヤだ。し、その病気を止めようとすれば生存できなくなる。これはまさにジレンマですねえ。
おじいさん:そういうことじゃな。病気が体の内側をきれいにする為の掃除だとすれば、この掃除をイヤだと言うのと同じようなものじゃからな。そうなればゴミは溜まりっぱなし、究極はゴミ一杯の人間は滅亡するしかないことになる。そこに向かうかどうかは自由なる君の選択次第じゃが自然は待ってはくれないじゃろう。何時かどこかで一挙に借金の返済を迫られるかも知れんのう。
himaari: それにしても嫌な選択ですねえ。
浄化はありがたいけど、病気は嫌だ。同じ事なのでしょうけど・・・
おじいさん:ところで『疥癬』という病気があるが、これも結局は天然痘を止めたために起こる浄化作用なのじゃよ。つまり先祖さんが天然痘で精算しなければならなかったゴミ(毒素)を持ち越したんじゃな。
先祖さんたちが残してくれた負の遺産じゃが、古くなった毒素、濁った血液の遺伝毒素とでも言おうか。
himaari:嫌な遺産ですねえ。そういえば結核なども天然痘の予防接種が行われてから増えたのな?
おじいさん: ひとつの浄化(天然痘)を止めると別の浄化(結核や疥癬など)が起こるわけじゃが、負債つまり、毒素の遺産があるうちは病気は無くならないわけじゃ。昔は天然痘という形で浄化作用を起こした、つまり古くなった毒血であり、子孫がその浄化をするわけじゃな。
古くなった遺伝毒素とは然毒と言うが、それは薬毒が何代かの人体を経て、一種の毒素と変化した ものじゃ。
himaari: 人類の遺産ですか・・・。あまりありがたくない遺産ですね。しかしこの遺産は遅かれ早かれ、どうしても処分してしまわないといけないわけなのですかね。
病気と呼ぶ、あまり有難くも無い浄化作用によって・・。いや、本当は有難いのか。
おじいさん: まあ君の思うように、表面的にみれが病気は有難くはないじゃろうよ。医学の解釈で言うように「病気は悪化作用」となるじゃろう。しかしそうは言うけれど本質から言えば「病気は有難いもの」なんじゃ。心情的に言えば病気は苦痛だし、人生の試練にもなるからじゃ。それに時にはそのまま逝く場合もあるからね。
himaari: 結局は人間がその「死」というものが一番怖いわけでしょうね? 病気は死に向かうとして。だから嫌うのでしょうね。長引いたりすれば、このまま死んでしまうという恐怖感というか、病気とは恐ろしい死の病にかかると言うし。
おじいさん: 人間は誰しも死を忌み嫌うものじゃ。そこで死に近づくと思われる病気を嫌うのも無理は無いのじゃな。
死に対する恐怖感=病気に対する恐怖感もあってじゃが、「病気を嫌がって拒否しているといつまでも病気は無くならない」という事に気がつかないとならないのじゃがね。
himaari: そこですよ。浄化作用としてみれば有難いけど、実際は苦痛の状態でしょ。ほんと!ジレンマですね!
しかし、もしもおじいさんの言われるように、「病気とは浄化作用」だとすればですが。
浄化しない体になるには浄化しなければならないと。
つまり、病気にならない身体になるには病気にならないといけないなんて。
おじいさん:これは究極の意味としての考え方を言っているんじゃ。実際にはむやみにかかる必要も無いし、またそれほど病気の苦痛を伴わなくても良い方策はあるのじゃがね。だが根本原理を知っておくことで、あらゆる治療法や健康法などを選択する場合に必用な基本原理じゃろう。
原理原則としては、身体の中の毒素が少ない内なら簡単にすむんじゃ。ところがそれを嫌って簡単で安心な浄化となる風邪でさえも止めようとして勘違いの対策をしてしまう事が問題を大きくして行く。すると毒素は出ずじまいでどんどん増える一方になる。
himaari:風邪やインフルエンザの区分けも変だと思いますけど、この感冒くらいで日本人は大騒ぎしますからね。集団感染予防と言ってワクチンや学級閉鎖だの、とにかくその浄化作用を嫌がるわけですよね。
おじいさん:現代でもいろいろな予防接種をはじめとして各種の薬、食べ物には添加物や農薬、その他社会環境からの諸々の毒を取り込んでいるようだが、わしの時代にはまだこんなのは少なかった。時代の進歩とともに薬毒ばかりか、食の方も肉食からの毒素等も加えられて、君たちの時代はますます毒素を増やしているようじゃな。
こうして溜まった毒素を出さないと子孫にまで浄化のツケが回ることじゃろう。この様に先祖伝来の遺伝毒素を「然毒」と言ったわけだが、その「燃毒」の浄化まで停めようとしてる。
君たちは徹底して「出さないで入れる」時代になっているようじゃな。
himaari: 「出さないで入れる時代」か・・・。貯金通帳なら喜びますけどねえ。おじいさんはそれで天然痘というのもこの然毒の浄化だったというのですね。
天然痘は古くなった体内毒素の浄化(排泄)作用
おじいさん: 然毒 とは薬毒が何代かの人体を経て、一種の毒素と変化したものじゃ。天然痘は毒が淡い方で、濃くなるとそれが癩毒となるのじゃ。癩病患者は外面に現れたものであって内向性のものが瘻咳(ろうがい)となる。即ち結核とはこの瘻咳のことで、非常に古い毒性のために重患であり、不治の病として人から嫌われたのじゃ。
しかし、現在の結核のほとんど大部分は自分で入れた薬毒病じゃろうがな。
himaari: それで疥癬とか結核の毒というのは天然痘の毒が形を変えて排毒の浄化をするわけですか。
おじいさん: 天然痘という形で排毒作用をするのじゃが、それを抑えたとしても体内には毒素が依然として残っているのだから、今度はその毒血が別の形として起こる浄化作用が疥癬と呼ぶものじゃ。
himaari: それでは、どんな病気であっても毒素を体の外に出すという作用になるわけでしょうか?
おじいさん: 病気は浄化作用として、最終目的その方向じゃな。ただし、浄化作用の経過途中として、いったんは毒素の集溜、固結作用がある。全体として汚れた身体内の毒素を身体の各局所の一部に集めてしまう段階じゃ。その固結した毒素もいずれは最終段階として体外に排泄される。不要なものは排除されるのが健康体である仕組みじゃよ。
himaari:なるほど、汚い部屋を掃除機で吸引してまるで集塵しされたゴミのパックの様ですね。部屋の全体がきれいなってもまだそのゴミがどこかの隅にでも置いてあるような・・・。そのゴミパックをポイっと捨てられないんですかね?
おじいさん:それは君の部屋の様には行かないじゃよ。なるほど集めたゴミをそのまま捨てられれば苦労はないじゃろうがね。
しかし、人体内はそうはいかない。ただのゴミじゃない、それは毒素がさらに集溜して固結した毒素じゃからね。それだけを取り出してというわけには行かないし、その毒素もかなり強毒素に還元しているはずじゃ。
それを人体機能の妙というか、自然の働きは巧妙そのもので、いったん固結した毒素も熱によって溶かされ、毒素は血液に混じったり、「膿み」になったりして、濃いのは下痢で排泄される。時には血便のときもある。薄いのは小便や汗などで。また、皮膚には腫れ物、吹き出物などによって体外に排泄されようとするのじゃ。
himaari: そうか、高熱で毒素を溶かすわけか。
そして液状にして薄めて出す。それでもその毒素が強いと炎症みたいになって神経を刺激すると。
身体の皮膚を通して液状になった毒素が出るというのが天然痘の症状でしょうか?膿状になった毒素が腫れ物として多く出るわけですね。その毒素をおじいさんは「然毒(ねんどく)」と言う古くなった先祖からの遺産である遺伝毒素なのかな。
消毒剤は猛毒になる
おじいさん: 溶けて液体化した毒素は、古くなったとしても依然として「毒」は「毒」の性質を失わないのじゃ。その毒素の排泄される過程で神経に作用し、痛みや痺れ、皮膚にはただれ等の症状を起こすわけじゃ。
近代になってからよく使われるようになった薬毒は数知れないが、一番激痛の原因となるのは古くなった消毒薬じゃ。
himaari: え!消毒がですか?毒を消すものと思っていましたが。
おじいさん: 付けられた名前で本質を惑わされる君は愚かというか単純じゃのう。実際は細菌などの微生物を殺す作用を消毒というのじゃ。
菌と言っても生き物じゃが、同様に人も生き物、つまり人の細胞にとっても害があるのは当然のこと。消毒薬というものは古くなると毒性が強くなってくるから、浄化排毒の時、それが神経に作用して激痛をともなう。
それゆえ、ほとんどの病気の苦痛とは元はと言えば古くなった薬ということになる。薬物が苦痛を産むと言ってもよいくらいじゃ。
himaari: 薬は古くなると猛毒に還元するのでしょうかね。消毒剤が激痛の元になるとは恐ろしい話ですね。これが事実かどうかは分かりませんが。
ここまでのおじいさんのお話で、ようやく私にも理解できたことは、「人間には“自然良能力”という「常に体内を清浄に保とうとする働き」が生まれながらにして備わっていて、ある程度体内に毒素が溜まると、ひとまず身体の一部に集めて凝縮固結されて、今度はそれを体の外に排毒しようとする活動が起こります。
その際に高熱で固結した毒素を溶かして移動しやすい液状にしてから、身体の各所から排毒させます。
その毒素の排除作用を浄化作用と言うのですが、浄化作用に伴う苦痛症状を「病気」と称したわけです。
ということでよろしいでしょうか?
おじいさん: まあそういう事じゃ。主として肉体面だけで解説したわけじゃが、本当はその裏に主の原因が潜んでいるが、とりあえずはそういうことでよいじゃろう。
「病気とは『浄化作用』である」ということが分かり、本当に理解できる様になると、ようやく医学は根本から変わるはずじゃ。それとまた感染症などについての対策や治療法なども一八〇度変わることになり、いずれ人類から伝染病の不安は解決出来る日が来るであろう。
ただ、今のところはまったくそれが理解できないでいるというのが医学の現状というものじゃろう。
himaari: 話は大きくなりましたが、確かに医学では病気を浄化作用とは見ていないと思いますよ。おじいさんの話は今までとはまったく違った視点ですね。 おじいさんの言われる「医学の革命」というのは病気観を一変するというか、「病気観の革命」みたいなものですね。病気をどう見るかの視点の革命みたいな。
おじいさん: そういうことになるじゃろう。人類はまったく逆の視点から病気を見て来たのじゃ。自然に反する事が視点になっているから、それゆえに医学は進歩すればするほど大きな壁が待ちかまえていることになる自然に逆行する事になる。かくして進歩すればするほど病気は増え、しかも重くなって行くのじゃ。そして、何時か鉄壁の壁に衝突するという運命が待ち構えているとしたら、いかにそれに早く気づくかどうかで人類の未来も大きく左右されるのじゃ。しかもその進歩のスピードを上げれば上げるほど壁に早く激突するというのじゃから大問題なのじゃ。
これはわしの単なる思いつきや発想などとは違って、現実に自然の法則からみた事実と思うのじゃ。
himaari: う~~ん、かなり厳しい予測ですねえ。確かにおじいさんの説が本当ならですが、その前に気づけば壁に激突するも避けられるのかな? 医学と言っても専門の人たちばかりで無くて、人類全体が勘違いしてたという事ですね。長い歴史の中で誰もが信じていたというか。
ところで、天然痘の症状ですが、大変な浄化作用ということになりますね。これは避けられなかったのでしょうか?
おじいさん: 今後は天然痘としての浄化作用の有無は不明じゃが、天然痘そのものは浄化としては、かなりり厳しい症状となるじゃろう。そのような形で液状にした毒素を早く体外に出そうとして『自然良能力』は活発に働くわけじゃ。
これは既に先祖さんからの遺伝毒素として仕方のないことじゃが、それをできるだけ易く乗り越える方法もあり得る。
himaari:それはおじいさんの提唱した療法なのですか?
おじいさん:そうじゃが、君の時代にはこれだ種々な健康法や療法が出ているようだから唯一これだとは言わない。
このように天然痘の原理は解説したわけだじゃが、あらゆる伝染病と言われるものにも共通していることも話しておこう。
himaari:私にとっても耳にタコができるくらい何度も繰り返して教えてもらいましたが、なおいっそう繰り返して戴ければ、私の頭でも理解出来るようになると思いますよ。
おじいさん:そこで病における細菌との関係だが。人体を小自然と仮定すると、大自然はその小自然の浄化作用の働きを助けているわけじゃ。要するに人体内という小自然を大自然が援助してやり、毒素排除作用、つまり浄化作用をもっと早く済ませてやろうとする。
himaari: その大自然のお手伝いというのは何ですか? まさか病菌がお手伝いというわけじゃないですよね?
毒血にバイ菌が湧く
おじいさん: 君がいま言った通りじゃ。毒素の浄化作用のお手伝いとしての細菌の役割としてね。それで毒素には黴菌がわくのじゃ。
もちろん他から付いて繁殖する場合もあるが。最初は毒血や膿から菌が自然発生する。
俗に言う「汚いものにはウジがわく」そして汚いものを分解掃除してくれるというわけじゃ。
himaari: 大自然のお手伝いとは細菌のことだったんですね。私たちの病気の発生原因だと教えられてきた病原菌のことですか。
医学ではまったく考えられない発想ですねえ。ずっと細菌が毒素を作り出して肉体細胞を冒すものだと思っていましたが。まさか浄化作用のお手伝いとはね!
おじいさん: もともと体内にある毒素を排除して身体をきれいにするために起こるのが浄化作用だが、その浄化をもっと急速に促進させてやろうとする、一種の手助けをする役割が細菌というわけじゃな。
それを黴菌とか呼んで病原であるかの思っているのが医学の考え方であり、この黴菌を敵としてみて攻撃するのが医学的治療というわけじゃ。
himaari:でも、今は細菌ばかりじゃ無くてウイルスも病原だとされていますよ。
君たちが病原としているバイ菌(細菌)と読んでいる微生物じゃが、その前身的なもっと小さな存在がウィルスというものじゃ。
さらにその奥には目に見えない存在の世界、そこが菌の発生する源というわけじゃ。
himaari: 目に見えない奥の世界・・・ですか?
でも現代の物理学ではかなり微少な世界まで見えるようになりましたよ。
おじいさん: 昔は本当に肉眼で見えない世界を「見えない世界」と呼んでいたが、科学技術の発達でかなり奥の世界まで観測されて「見える」ようになったようじゃな。
わしの時代以前には、まだ物質科学では存在が確認されないような非物質の世界を一般に『霊界』と呼んでいたのじゃ。
himaari:その古くは「霊界」と呼ばれた世界も現代では量子物理学のほうでは「非潜在系の領域」とか何とか言われ、理論上存在されるそうですよ。
おじいさん:現代科学でもその領域の存在を認識する科学者も出てこられたのは幸いというものじゃ。
それゆえ今の唯物科学一辺倒では永久に確認されない訳だが、そこは非物質の世界を物質では確認が困難だからね。
しかし将来は科学の進歩が急速にその無限の世界に近づくことになるじゃろう。これは科学と宗教が一致する事になってゆく。
himaari: 非物質の領域ですか。でも「霊界」とはいかにも宗教的ですね。
あっ、もともとおじいさんはその世界の人でしたね。
でも、僕は信者ではありませんよ。
おじいさんの時代から見ると「霊界」という言葉よりも非顕在エネルギーの世界と言う方が科学的に聞こえますね。今の量子物理学とかで、その見えない世界の証明が行われつつあるようです。かなり非物質の世界の奥まで踏み込んできた様です。ただそれを「霊界」とは呼びませんけどね。
おじいさん: そうかね、科学の進歩はいずれその世界を証明する事になる。それは嬉しいことじゃのう。物質だけじゃ生命現象は解けないからね。現代医学が唯物科学を土台にしている限り生命について知る事は少ないだろう。 このことに関してはもう少し物質界から見た病気の解明をしてから進みたいと思う。
本当のところは物質界だけの視点から人の健康と病気に関してすべてを説明のは少々難があるのじゃ。
himaari: そうですか。最初はその霊界というか見えない世界から発生するというその微生物の正体が解ればよいのですね。
では、バイ菌と呼ばれて忌み嫌われている病原細菌の正体とは一体何でしょうか?
しかも人間にとって恐ろしい細菌というものがなぜ発生するのかという事ですね?
おじいさん: それが先ほど話した大自然の法則のようなものじゃな。言っただろうが細菌が「浄化のお手伝い」の役目をする。
それに、バイ菌でも良いバイ菌、悪いバイ菌と別けてあるじゃろう?
himaari:はい、ウイルスでも役に立っているものが沢山あると知りました。ウイルスだからと言ってすべて悪ではないのですね。細菌にしても化学物質や重金属を分解してくれる菌がたくさん見つかっていますし。
おじいさん:そうじゃね、微生物に善も悪も無いのじゃ。良い悪いなどと別けているのは人間側の都合でしかなく、大自然から見ればどれもこれも必要な生物なのじゃ。そして人間からみて都合の悪い方をバイ菌と呼ぶだけじゃ。
himaari:バイ菌は悪だというのは人間側の都合だというわけですか。
おじいさん:そこで病原菌と呼ばれている「悪い?菌」というのは最初は古くなった薬毒から湧くのじゃよ。汚いものにはかならず浄化作用が起るのが自然界の法則だからね。これは大自然の行う必然の摂理の「お掃除」としての分解作用なのじゃ。
この世界の物質はみな分解されるのじゃが、分解の仕方が物によって異なる。そして対象となる物質によっても相手する微生物が異なる。君も毎日何かの発酵食品を食べているじゃろうが。himaari:はい、漬け物、味噌しょうゆ、酢・・大好きな晩酌に・・・絶対欠かせないものですが・・・
おじいさん:そのようにきれいなものは分解されて行くにしても「発酵」と呼ばれているじゃろうが?
ところがこちらは同じ分解でも汚い方だから腐敗と呼ばれる。
himaari: なるほど、汚いものを掃除する役目でバイ菌が働くのですか?それが人間の体内でも行われるという・・
おじいさん: そうじゃ。だから体内に汚いものが無いと菌は繁殖できないのじゃ。
さらに驚くことには、薬や化学肥料の毒性物が蛆や虫の発生の原料になるんじゃが、こちらは農業の方面での話しになるがね。(有機肥料でも腐敗現象が起こると同様になる)
himaari: ということは天然痘は古くなった毒素の固結が浄化されて毒血から膿となって排毒されようとして腫れ物として全身の皮膚から出るのですね。その時に微生物が「お手伝いとして」働くのでしょうか。
おじいさん: そういうことじゃな。バイ菌が浄化を助ける役目をしているという意味で、主役は自分自身の浄化能力であり、その助手としての微生物というわけじゃ。だが、それは結果であって原因ではないのじゃ。
himaari: これには大変重要な意味がありますね。今までの世界で言われて来た「バイ菌は恐ろしいもの、病気を引き起こす元凶」などという説がひっくり返ることになりますよ!!「バイ菌はありがたいもの」として・・・・受け入れられるまでにはかなり時間がかかるでしょうね。
それで「危ないぞ予防接種」という本に書いてあったように、「感染症はバイ菌に原因があるのではなく、「宿主」(人間側)にその真の原因があるのだ・・」という意味がようやく理解できたようです。
その本には「コレラ菌を大量に飲んでも平気だった医学者」の話も納得できまし、宿主(人)側に汚物のエサ(毒素)が無いから浄化作用のお手伝いする微生物(細菌やウイルス)の活動できなかったということですね。
病源は体内毒素
おじいさん: そうじゃろうな。バイ菌を退治する前に自分の体内をきれいに保つことの方が根本的な感染症予防法なのじゃよ。しかも一種の毒素を使った予防接種そのものが血液を毒素で汚す行為なんじゃから、短期長期に渡って、「病気の予約をする」ことになるのじゃな。
昔からあった借金の返済を一時的に延ばしてもらったはよいが、新たに借金を加えて、さらに利子まで付いてくるようなものじゃ。
himaari: もしもこの話が正しいとしたら、とても重要な内容ですね。しかも医学の常識を根本からひっくり返す説となりますよ。
それと、今の世界では感染症は将来の見通しはとても暗いというのが医学の事実ですし。また感染症の治療に使われてきた抗生物質から次々と耐性菌が発生していますし、それに打ち勝つ新たな薬の開発はもう不可能に近いということになっているそうですよ。
おじいさん: それはそうじゃろうな。人間の勝手で自然の法則に逆らうということはいつまでも続くはずがないじゃろう。本当の菌の役割を知っているなら自然の結果というものじゃ。それも既に教えておいたはずじゃがな。
himaari: なぜそれが拡がらなかったのでしょうね。
おじいさん: それを受け入れる側にとって時期がまだ早すぎたということのようじゃな。
そこまでまだ理解できるレベルになかったということのようじゃ。わしや他の人たちがかなり古くから言っていたことだが、それを理解されるまでにはかなり時間がかかり過ぎるくらいかかるということじゃ。
himaari: そうですね。かなり遅過ぎるくらいですね。だいぶ以前から予防接種は強制的にされ、今でさえも宣伝で奨励され、半強制的に近いかも知れません。薬剤耐性菌の出現で医学がもう耐性菌にはお手上げという所まで来ているのですが。まだまだ理解されないということも何か悲しい事ですね。
一部のお医者さんが医学の本質を理解して、これではいけないとして本も出されているのに日本中には伝わらないようですし。
おじいさん: いやいや、最後まで望みを捨ててはいけないのじゃ。土壇場で間に合うこともあるというのがこの世界じゃ。これからの子供達にはじゅうぶん間に合うかも知れん。希望は未来の子供達の浄化能力が向上しているということかも知れないよ。
himaari: よい意味での未来の体の異変現象が起こるかもしれないですね。


