震災が私にもたらした能力《第4話》ー極限状態の中で生まれた感謝の気持ちー
伝えられた思い
伝えたいことをすべて伝えると、祖母は「ありがとう」とも「すみません」とも取れるしぐさで、曲がった腰をさらに曲げ、何度も何度も霊媒師に向かって頭を下げた。
そのしぐさがいかにも祖母らしくて、「霊媒師が伝えてくれた話は作り話かもしれない」などと疑う気持ちはどこにもなかった。
帰りがけ、
あと、メールマガジンも配信するから、メールアドレスも書いてってください。
初めてのビックイベントに気合い十分といった様子で彼女は語った。
それから何カ月待っても、伝えたメールアドレスにメールマガジンが配信されることはなく、ユリ・ゲラーが日本に来てイベントを行うという情報もなかった。
イベントは中止になったんだろうか?
彼女は一体誰だったんだろう?
霊媒師のところから自宅に戻ると、すぐさま母に電話をかけた。
かけたはいいが、急に
という不安が頭をもたげ始めた。
普通ならば誰にも信じてもらえないだろう。どうしよう。
いいよどむ私に母が
「なに?なにかあったの?」
と聞いて来た。
どう告げて良いのか分からないまま、たどたどしく霊媒師に会って来たこと、そこで祖母からのメッセージを受け取って来たことを話し始めた。
それを聞くと、母はできるだけセンチメンタルな気持ちを悟られないように、
「ええ!?本当に?」
などと、おちゃらけたフリをしながらもちゃんと話を聞いてくれた。
受話器の向こうで母の心の糸がほどけていくのが雰囲気で分かる。
その時、
というような安堵感が私の中に広がった。
この話はきっと叔父やホームの人達にも伝わるだろう。
そして、喜んでくれるに違いない。
目を閉じると、彼らが安堵し、心が軽くなっていく様子がまぶたの裏に浮かんできた。
それは他人の幸福でありながら、私の幸福だった。
誰かを少しだけ幸せにした幸福感。
この気持ちはもしかしたら私自身の物ではなくて、祖母の思いを私が受け取っただけなのかもしれないけれど。
姉の決断
埼玉の義兄の所に避難していた姉に、社宅を貸すからこれからずっと埼玉に住んではどうかという話が持ちかけられた。
義兄にとっては願ってもない話だったが、姉は迷っていた。
壊滅状態になったとはいえ、父母をおいて自分たちだけ安全な埼玉でのほほんと暮らしていいのか。
都会で甥っ子達は暮らしていけるだろうか。
そして、あんな状態になってしまった故郷をおいそれと見捨ててしまっていいのか。
迷っていたところに、姉の会社から連絡があった。
「なにをしてるんだ。仕事がたくさんあるんだからすぐに戻ってこい」
この電話で姉は決断した。
よし、気仙沼に帰ろう
それからすぐさま荷物をまとめ、甥っ子2人と姉を乗せて、再び車で気仙沼へと向かった。
まだ幼い甥っ子達がどんな気持ちで車に乗っていたのか、本当はどうしたかったのかは分からない。
それでも文句も言わずに狭い車の隅で、おどけたりふざけてみせたりした。
気仙沼が近づくにつれ、徐々にみんなの口数が少なくなっていった。
あと二つトンネルを超えたら、あの風景が見えてくるというところまで来て、みんな黙り込んでしまった。
あと1つ・・・というところで、姉が口を開いた。
言われるまで気づかなかったけれど、私の心臓もかなりの速さで脈を打ち続けていた。
ドキドキドキドキ
起こったことが全部ウソで前と同じ風景が広がっていたらいいのにな、という期待だったのか。
それとも、また辛い現実と向き合わなければいけないことへの恐怖だったのか。
なぜあんなにもドキドキしていたのかは、いまでも分からない。
とにかく、故郷に帰るのにあんなにも緊張したのは初めてだった。
二つ目のトンネルを超えた時、視界に広がったのは、
流された大量の車
ガレキ
そして、本来ならそこにあるわけのない大型漁船の数々
なにも変わっていなかった。
やはり、あの津波と火災は起こったのだ。
逃げようとしても、逃げることはできない。
だが、違う点がいくつかあった。
それは道のあちらこちらに掲げられていた横断幕。
「自衛隊の皆さん、ありがとうございます」
という言葉が書かれていた。
時にはその横におばあさんが立ち、通り過ぎる自衛隊の災害救助車両の1台、1台に深々と頭を下げていた。
街は災害救助車両と他県ナンバーの救急車、そしてボランティアさんの乗る大型バスで溢れ返っていた。
誰が始めたことか分からないけれど、横断幕は徐々に増えていき、次第に誰もが目に涙を浮かべながら自衛隊の車両に頭を下げるようになった。
自衛隊員は被災を逃れた学校の校庭にテントを張り、3月の底冷えする地面に寝袋をおいてそこに寝泊まりをしているようだった。温かい物を勧められても自分たちは受け取らず、冷たい缶詰などを食べていたらしい。そのことを、地元の人たちはみんな知っていたのだ。
いくら仕事とはいえこの土地にまったく関係のない人たちが、自分たちの代りに来る日も来る日も死体の処理をし、ガレキをよけ、へ泥まみれになって生存者を探してくれた。
そのことがありがたくて、ありがたくて、そして申し訳なくて、みんな泣きながら自衛隊員に頭を下げ続けた。
少しでも感謝の気持ちを知ってほしいという思いから生まれたのが、あの横断幕だったのだ。
どんなに辛く、苦しい状況の中にも感謝できることはある。
そして、どんなに辛く、苦しい状況にある人の中にも感謝する気持ちが芽生える瞬間がある。
たとえ一瞬でも、それは絶対にあるのだ。
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