おじいさんとの対話 9    病菌の食べ物と血液中の毒素(まとめ編)

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※先回のおじいさんとの対話9 粗の一 を改定しました。

おじいさんとの対話 9  

 病菌の食べ物と血液中の毒素(まとめ編)

     

        

伝染病と細菌の関係は現代医学とは正反対の論を持ってたおじいさんの論ですが、これはかなり重要点だと思いましたので、再度お尋ねしました。切り口を替えて再々の問答です。


himaari:病原菌と恐れられている細菌ですが、なぜこの世の中にたくさん存在しているのでしょうか?もしも世界を創造した神様が居られたとしたら、なぜ人間にとって害のあるものを存在させ続けるのでしょうか?そればかりか近年になって次々と強力な病原菌やウイルスなどが出現して人間の脅威になっています。その理由はいったいどこにあるのでしょう?人間を苦しめるために細菌やウイルスが存在するのでしょうか?

おじいさん:もっともな質問じゃな。この世の中に存在するもので如何なるものであっても人間に不必要なものはない筈じゃよ。もしも必要の為の存在であったとしても、人類の進化によって不必要となる時代になれば、それは自然淘汰されて消滅されてしまうじゃろう。

himaari:ということは人間にとって病原菌や病原性ウイルスなどは、今の人間にとっては必要だということでしょうか?

おじいさん:一見してマイナスに見えるものも何かの必要性があるから存在しているわけで、人間が無用とか有害とかいうのは、そのものの存在理由が不明であるからじゃ。

himaari:それにしても、有害な病原菌などが存在する理由などあるのでしょうが、疑問ですね。

おじいさん:有用、無用と分けているが、それは人間にとっての都合でしかない分け方じゃな。ということは、人類の文化がその理由を発見するまでに進歩していないからじゃよ。

この意味において、あらゆる病原菌と呼ばれている細菌でさえも人類の生存上有用の存在でなくてはならない筈じゃ。

himaari:人間の生命を奪うとされるウイルスや細菌類が有用とはとても思えませんね。

 伝染病も浄化作用

おじいさん:それには当然理由がある。伝染病と言っても、他の疾患と同様にして浄化作用の一種なのだが、大変強烈であり急速に生命を奪われる為に人間は非常に怖れるのじゃな。

himaari:そういえば感染症と呼ばれる病気は一般的に症状が激しかったり、病気が進んで死ぬ人も多いようですし、それが怖いのですよ。

おじいさん:それならば、どの様な理由によって伝染病は強烈であるかを説いてみよう。

 人体の血液中にある汚濁がある程度濃厚になった場合、汚濁の排除作用が発生する理由は先にも何度か説いた通りじゃ。そこで、病菌の存在理由とは、その排除作用を一層促進すべき必要で働くわけじゃ。

himaari:病気というものは浄化作用、つまり毒素の排除作用だということは理解しましたが、病原菌がその排除作用を促進させるというのですか。それはどのようにしてでしょうか?

おじいさん: 病菌がまず食物または皮膚面から侵入すると、病菌も生物である以上、食生活(栄養補給)に依らなければ生命を保持し、種族の繁殖を計る事の出来ない事は他の一般動物と同様じゃね。

himaari:え?バイ菌が物を食べるんですか!それならば、「病菌の食物」とはいったい何ですか?

おじいさん:細菌が物を分解するということは知っておるじゃろうが。発酵も腐敗も細菌が食い尽くして分解してくれることじゃ。では体内に入った細菌が毒素の浄化作用に関わるとき、それは血液中にある汚濁の分解掃除なのじゃな。血液中の毒素じゃよ。それは細胞中の毒素でもある。

himaari:では、血液の汚れを黴菌が掃除するときに感染症と言うのでしょうか?

おじいさん: 人体内の浄化作用に細菌が手助けすると、浄化が非常に早くなるからだが、また、それだけに強烈なわけじゃかな。急速な大掃除じゃから体力消耗が起こる。ゆえに急激な浄化作用となるから、すなわち急激な症状となる。

himaari:急速な掃除だから体力が持たない場合があるのですね。だから死亡率も多い訳ですか?

おじいさん:それは、逆療法を行うからじゃ。生命力は毒素排除作用を急速に行うが、人為的にそれを阻止するのが逆療法となるから、生命力との闘いが始まる。それによって体力が消耗するから、ついには斃れる。

himaari: そうか、逆療法とは生命力を弱めて浄化停止を行うことですね。

だから、体力が消耗する。しかし、毒素を食べるとは不思議というか,初めて聞きました。

おじいさん:それは不思議でも何でも無い。世界中にいろんな細菌が生息していて、下水や排水の中の有害物質を分解してくれるものが居るじゃろうが。

himaari:そうか、食べるということは分解するということか。僕らの体の中には、その食べ物とやらがいつもあるのでしょうか?

おじいさん:その食べ物となるのが毒素だから、「濁血多有者」ほど病菌の繁殖に都合の好い状態に置かれている訳じゃ。この様な理由によって「発病者」と「未発病者」との区別を説明すると、すなわち「発病者」とは「濁血者」ということじゃ。そして「不発病者」とは「浄血者」ということになるかのう。

himaari:でも、浄血者と言っても、そんな人は居るんでしょうか?菌を保有していても発病しないという理由はそこなんでしょうか?

おじいさん:それについては、完全なる浄血者というよりも、比較的浄血であるという意味じゃな。もうひとつは毒素の種類によって対応する菌も異なるという意味から言うと、完全なる浄血者という言うよりも、その菌に対しての保有毒素の多少かどうかという事じゃろうな。

himaari:なるほど、保有毒素にもたくさんの種類があるとして、その掃除役としての菌にも食べる毒素の種類があるということですね。環境汚染にしても、それを浄化する菌が発見されていますが、相当な猛毒であっても食べて分解するという自然界の仕組みがあるんですね。食べ物が毒素とは意外ですが。

おじいさん:また「保菌者」というのは「濁血小量者」ということじゃが、病菌が繁殖する程でもなく、また死滅する程でもないという中間的状態の人ということになるかな。

himaari:保菌者であっても発病しないという理由はそこにあったのですね。死滅するほどでもないが、発症するほどでもないというわけですか。

病菌は体内の掃除夫

おじいさん:バイ菌の食べ物が無ければ繁殖のしようも無いじゃろうが。毒素が少なければ、たとえバイ菌が侵入しても大丈夫なのは食べるエサが無いからじゃ。以上の意味によって、病菌というものは人間の体内中の濁血保有者に対し、速やかに浄血者にさせようとする為に働く「掃除夫」とも言うべき存在なのじゃ。 

himaari:「掃除夫」ですか。「必殺掃除人」みたいですね。現代医学の視点とはまるで正反対の視点とですね。医学ではこのような細菌を「病原菌」と呼んで恐ろしいものだとしていますから。

おじいさん:さよう、医学ではわしの視点とまったく反対で「病原」をみているわけじゃ。

「病源」を濁血や汚濁細胞内の「毒素」としてみるか、医学のように「細菌」としてみるか、正反対の考え方にあるからのう。したがって、掃除夫としての細菌を「バイ菌」とか、『病原菌」と呼んで忌み嫌っているから、叩く相手が細菌になるんじゃな。

himaari:そうですね、視点がまるっきり反対なんですねえ。だから、細菌をやっつけて殺すことが治療や予防だと思うわけですね。

おじいさん:せっかく体内の汚物毒素を掃除するための手助けをしてくれるという有用微生物を、医学では「味方」を「敵」となして攻撃するわけじゃな。

たしかに浄化停止すると症状がいったんは治まるから、病気が解決したと思うのもむりはないからのう。

himaari:けど、中には残っているんでしょう? 毒素があるならそのうちまた浄化しますね。

おじいさん:それをまた薬などで抑え込むのじゃが、強力なる逆理的浄化停止を行うため、時として死を招く結果となるわけじゃ。

himaari:もしもおじいさんの話が本当なら、医学の治療によっては悪化したり、死亡したりする恐れもあるわけでしょうね。

体の中で自然に必要性があって微生物がわいたり、伝染して繁殖して体内の毒素を分解掃除してくれるという事が真実だとすればですが。

おじいさん:まあ、真実かどうかは君たちの判断にまかせるが、わしはそう確信しているから言うまでのことじゃ。いつかその真偽が嫌でも分からせられるじゃろう。

himaari:誰かが強制的に結論を出してくれるのですか?

おじいさん:人間じゃない、相手は自然なんじゃよ。自然に対して逆な方向に向かえば当然そのしっぺ返しが来るのは当然じゃ。それどころか、医学は免疫と称して、種々の伝染病の予防注射を行うが、これがまた人間の浄化力を弱らせてしまうが、それが長期に亘っての体力低下の原因ともなる。

himaari:長い間に活力が弱体化して行くわけですね。出すべき物を出さなくするから。

けど、おじいさんの時代から半世紀経って,現代でも益々盛んに予防接種が薦められていますよ。しかし驚きましたねえ。予防接種は本物の免疫力を付けるのではなく、生命活力の低下になるとは。

おじいさん:それは簡単な理屈じゃよ。なにしろ、生まれながらに遺伝性毒素を生涯いつまでも溜め込んでいたんじゃね。いつまでも毒素を体内に溜め込んで居たんじゃ、どこかに不具合が起こるのは同然じゃ。人間は「自然良能力」という自然の働きが産まれながらにして備わっている。幼児の頃から遺伝的毒素を排除するため、いろんな浄化作用を準備しておいてくれている。にも拘わらず、人間はそれを嫌って極力かからないように、出さないようにしておる。

himaari:なるほど、幼児の頃から有害なものは出せるように自然に備わっているんですね。幼児や子どもの時期に毒素を無くしておけば後が健康を維持できますから。しかし、人間はそれを悪いものと勘違いして、予防とか浄化停止しようとして来たわけか。

おじいさん:わしがいつも言うように、借金の哲学じゃな。先祖さんからの借金を子孫がいつまでも返さないでいると、いつかはとんでもない金額にふくれあがってしまうじゃろうが。「いつまでも返さない」とがんばっているとついには家屋敷まで取られてしまうじゃろうが。

himaari:親の代で済ませてくれたならよかったのに!子孫はえらい迷惑ですよね。

おじいさん:産まれる家も親も自分で選んでくるのだから、それはそれで別の意味があるのじゃろう。とにかく、自分の代で借金が未納なら子孫の誰かが手分けしてでも支払わなきゃならん。

himaari:借金の集団催促が流行性伝染病ですか?伝染病と言っても浄化作用の一種なんですね。 それが未開民族が伝染病に罹りやすくて、文明国の民族が伝染病に罹りにくいという不思議な関係なんですね。

活力低下した民族は感染症に罹りにくい

おじいさん:簡単に言えばそうなる。活力が浄化作用を起こすのだから、活力低下した民族は浄化作用が起こりにくくなる。それは一時的にせよ、伝染病にかからない(かかれない)衰弱したということにもなる。いずれは何らかの形で借金の督促が来るじゃろうがな。

himaari:予防接種というのは、濁血であっても浄化する力が弱くなるために予防効果があらわれたと錯覚するのでしょうか?でも今の時代になって、そもそもその予防効果というのも怪しい事実として暴露され始めていますからね。それが明白になると予防接種の利点は何もなくなってしまいますね。ただ「その病気や別のもっと重度の病気を予約しただけ」だというような、笑えない話ですが。

おじいさん:どちらにしても予防接種自体が人間の浄化作用を邪魔するわけだね。異物や一種の毒素を体内に入れるという事実に間違いはなかろう。その様な毒素が一時的に活力を弱体化させて病気にもかかれない人間にする。

himaari:「病気にもかかれない人間」というのは変に聞こえますが、「浄化も出来ないようは弱体化した人間」と言えばわかりますね。ところで先ほどの話ですが、「病源」について正反対の考え方をしているということで。医学の免疫理論ではよく「白血球の食菌作用」と言われていますが?これは、有害な細菌が侵入してきたら身体の免疫反応で、白血球がバイ菌類を食べてくれる、つまり排除してくれるというようですね。

おじいさん:医学においては、白血球が赤血球中の病菌に対し食菌作用を行うという定説があるようだが、この「菌の食毒作用」という原理を知る以上、問題にはならないじゃろう。

himaari:ここで問題になるのは医学の説とおじいさんの説は正反対の事を言っているわけですね。「食菌作用」と「食毒作用」ですが、菌が有害だから免疫力が攻撃して退治してくれるので「食菌作用」だと医学は言うのでしょう。おじいさんの話では体内にある毒素を菌が食べ尽くしてくれる「食毒作用」と言うし、ちょっとややっこしいですね。

おじいさん:菌の方が毒素を喰い分解してやるのだから、視点が逆なのじゃよ。そして喰い(分解)尽くして死に行く菌と毒素が一緒に排泄されるというの最終局面じゃな。最終的に食べ物(毒素)が無くなれば、菌の繁殖は終わり死滅して行く。永遠に繁殖しないのは食べ物が無くなるからじゃ。

himaari:そうですか、医学では白血球などの免疫細胞というものが菌を死滅させて行く「食菌作用」としているようですね。おじいさんの方では、菌が毒素を食べる(分解する)のだから「菌の食毒作用」であって、食べ物(毒素)が無くなれば死滅して行くという解釈なんですね。

おじいさん:それは自然界を観察してみれば分かるじゃろう。糞や汚物を放置しておけば、自然と分解されてしまうが、そこにはちゃんと分解、すなわち食べてくれる微生物が働いているからじゃ。そのエサになる汚物が無くなれば微生物も消える。

himaari:実際には白血球に毒素が混入している状態で菌にまとわりつくのでしょうか?

それは毒素を食べてもらうためであって、菌を殺すためじゃないという意味ですね?

おじいさん:菌はあくまでも助っ人役だからね。病気の本体は身体中の各種毒素なんじゃから、それを浄化して外に排除するというのが免疫の本来の働きじゃよ。だから、たとえ菌がそこに居なくても浄化作用は行えるのじゃ。ただ時間と労力がかかる。バイ菌はそれを迅速に行うための助っ人じゃよ。体内では自然良能力との協力関係にあるとすれば、白血球が毒素を菌の周りに運んでくるのは至極自然じゃろう。食べ物としての毒素をたくさん食べて貰えるじゃ無いかね。

himaari:なるほど、毒素排除の浄化作用の主役は自分の免疫力であって、助っ人して菌が協力して働くのですね?主役は自分の体内毒素をその助っ人のところに運んで、食べてもらう、つまり分解して貰う。すると食べた菌はどんどん繁殖しながらも次々と死んで行く。毒素と供に体外へ排泄される。視点が違う医学では、菌の周りに白血球が集まるから、これをみて「白血球の食菌作用」と見えたのでしょうね。白血球が病菌をやっつけていると。

おじいさん:視点が違うからそうなるじゃろうな。浄化の主役は菌じゃ無いのだからね。毒素を作る菌が侵入したから病気になったというのではなく、「体内に毒素があるから菌が繁殖して分解排泄の協力をする」という浄化作用のひとつの形に過ぎないのじゃ。

himaari:じつに単純な、しかし、深い解釈ですね。医学では素人にはさっぱりの難しい理論で解説しているのですが、おじいさんのはただひと言、「菌の食毒作用」だとは分かりやすいですね。でも、おじいさんのはあまりにも簡単でして。

微生物との共生

おじいさん:そんな小難しい理屈よりも、基本を抑えてしまえば後は枝葉末節的なことじゃよ。単純でも基本が分かればよい。幹は「病気とは体内毒素の浄化作用」、「微生物はそれに協力している」という基本的な土台を理解すれば、後はそんなに難しく考える必要は無いじゃろう。自然に行われる浄化作用に則って、後はそれに逆らわない事の方が大事なのじゃ。

himaari:そうですね、本質が分かれば対処の仕方も実にシンプルですね。 その点、医学はこ難しい理論を持っていながら、実際には感染症を解決できないのでいるのですから、この説は感染症対策を実践する上において検討する重要点だと思います。

おじいさん:どちらを選ぶかは君たちの自由だが、わしは自然に則った現象を出来るだけ分かりやすく説明しているだけじゃ。人間の作った学理が正しいか、自然に起こる事実が正しいか。それは前にも言ったように、いずれ時と供に結果として現れるだけじゃ。

医学が正しいのなら、感染症は心配も無くなるだろうし、間違いだとすれば今後も感染症はますます増え続け、しかも重度の方向になるから、分かりやすい。

himaari:じつは、その「医学の成果」も正確な調査統計をとってみたら、医学上の貢献度はほとんど無かったという証拠が出てきました。医学の感染部門の金字塔とされていた天然痘撲滅さえも、種痘が功績ではなかったそうです。ただ、自然に消滅していっただけだったそうです。その点はおじいさんの時代の話とは異なりますが、基本的には予防接種は役に立たないどころか、逆に病気を造り出すという事がわかればよいですね。

おじいさん:いくら学問を進歩させようと、自然に合わなければ最後には目的と逆の結果を生じる。事実がそうなっているかどうかだけじゃ。とうぜん、事実の方に照らして学理を合わせるべきものじゃが、人間は理屈の方が先になっているから自然が見えなくなるのじゃ。医学は現象を細かく捉えたまでは良いのだが、むしろその為に全体が見えなくなったようじゃ。あまりにも学理に囚われて物事を複雑にみれば見るほど自然という根本から遠ざかってしまう。

himaari:なんとなく分かりました。この論の決着は自然がつけてくれるという事で。それでは、おじいさんとは次にまた詳しくお願いします。

中間まとめ

 ※ ここで、ごく簡単にまとめてみました。

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◎黴菌とは汚物を清掃するために働く。

   汚物毒素を分解する役割。

◎人体の汚物とは、血液の濁りとなるもの。

血液中の毒素であり、これを濁血と称する。

むろん、細胞に集まれば細胞毒となる。

ではこの血液の濁りを無くしてしまうにはどうすればいいか?

自然は実に面白い方法を作られた。

◎黴菌という目にも見えないような細かい虫によって、掃除させるのである。

自然は最初にこの虫を湧くようにしたした。

(これは農業においても同様、害虫と言われるもの)

 即ち黴菌発生の根源を作られたのである。

(この事については別の論に詳しく)

自然にわくのと伝染、感染的(一種の共鳴現象?)にも働くようだ。

黴菌という微生物は最初に濁血所有者の体内に入り込み、濁血を浄血にする役目をする。

濁血というのは血液中に有ってはならない、言わば不純物が存在。

 不純物という微粒子は、実は黴菌の食物になる。

黴菌はそれを食いつつ非常な勢いをもって繁殖して、毒素を食べるだけ食べた菌から死んで排泄物に混じって体外へ出てしまう。

(「食べる」とは「分解処理する」という意味)

結果、血液中の濁りは減り、ついには浄血者となるわけである。

(細胞内の毒素)

その際の発熱は黴菌が濃度の毒素では食い難いから、液体に溶解して喰いやすくするため、身体の方では高熱を発生させるのである。

(喰い難い=分解しにくい)

高熱で固結毒素が溶解されると、熱は無用になるから解熱する。

高熱といえども、人体が必要有って発熱させるのだから、氷冷や解熱薬はむしろ逆効果、有害になる。

菌の繁殖も死滅も毒素の有無によって自然に行われる。

発熱も必要がなくなれば自然に解熱するようになっている。

解熱剤によってむしろ反発を招いて長引いたりして体力を弱めることになる。

毒素の分解もしにくいから体内に残る。

あくまで、体内の毒素の浄化作用が病気の正体であり、感染症も例外では無い。

毒素の種類によって対応する菌も異なる。個人によって体内毒素の多少がある。

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