わらしべ長者的な起業の話。

はじめに

わらしべ長者という昔話を知っていますか?転んで掴んだ藁一本をいろいろなモノと交換しながら、最後は豪邸と嫁さんを手に入れてしまう物語です。
僕はちょっと変わった社会への出方をしてしまったので(
http://storys.jp/story/1048)全体的にわらしべ長者的な生き方をしているとも言えるのですが、それは他の物語で補完しようと思うので、ここでは起業に繋がる話をしようと思います。

飲み屋での出会い→名刺

そこは多摩川線というローカルな路線にある少し広めのバー。姉御と呼びたくなるような気っ風のいい姐さんが切り盛りしている店だ。僕はこの店の常連で、ウィスキーとモスコミュールをよく飲んでいた。たぶん2010年くらいの事だと思う。
ある晩の事、
「あなた、起業に興味があるの?」
隣に座った人が僕に話しかけてきた。ちょうどイノベーション・マネジメントを学んでいる最中で、意思決定だのイノベーションだのという言葉がマスターとの会話に出てきていたから、そう思われたらしい。
「いえ、そういう勉強をしてはいますが、今はまだそういう気がないです。この先はわからないですけど。」
当時の僕は、経営者と会話するのにそういう知識があると理解が深まりそうだと思ったから学んでいた。だからそんなどちらともつかないような答えをしたと思う。
どうやらその人(Jさん)は経営コンサルをしている方のようで「仕事以外の所でもなんかこういう風になるんだなー。俺は。」と、僕のような人と他でも出会った事があるような口ぶりだった。
いろいろ話をしたが、この人の指摘は鋭いし、試すような事を聞いてくる。相手をはかるような話しぶりと言えば良いのだろうか。経営という土俵の話をされると、付け焼き刃の僕では太刀打ちできるはずも無かった。
ただ話の最後に「俺は厳しいしITよくわからないけど、知り合いの大槻さんならITわかるし良くしてくれるよ。俺の名前出せばいい。」そう言って彼の名刺をくれた。
なんだかとても為になった夜だった。妙に熱くなって
「ありがとうございました!」
そう言って、握手して別れた。
後で考えると、マスターはあえてその時僕の勉強していた内容を振ったのだろう。Jさんとそこで繋がれるように。

卒業。その後。

三ヶ月という短い期間だったイノベ科(長いので略)を卒業する時、グループの課題発表があった。Cさんが自分のグループの発表の時に
「少しずつ溜まった水がある時一気に溢れるように起業の意思決定は起こるのだと思う。」
とまとめていた。
それを受けて、自分の発表の最後に
「Cさんが言うように水が溜まっていくのだとしたら、この3ヶ月で僕の中にも溜まり始めた気がする。」
そう締めくくった。以前とは違う事に気づき始めていた。
卒業したは良いが、まだ自分はいろいろ決めかねていて、それまでやっていたような契約技術者的な仕事をするのか、それとも本格的なフリーランスや別の生き方をするのかハッキリしていなかった。
アプリを作る事は続けようと思ったので、数人の友人と組んで勉強になるソーシャルアプリを作ってコンテストに応募したりした。変わったコンセプトだった事もあって、少しばかり賞金を貰ったりもできた。売れるタイプのアプリでは無かったけれど、「教育をゲームと融合させて楽しんで学ぶ」というコンセプトは少し先の未来では当たり前にあるだろうし、最近認知されてきたようで少し嬉しい。
フリーランスをやるなら、と「IT悩みサポーター」という自作の肩書きの名刺を刷ってみた。コンサルという肩書きに良い印象を持たない経営者に何人か会っていたので、自分が付ける時はコンサルはやめた。なるべく同じ目線になって一緒に悩む事から始めたいと思った。この肩書きは人の興味を惹いてくれて、とてもうまくいったと思う。よくしゃべる技術者というカテゴリの自分にもマッチしたのだろう。
友人づてでいくつか仕事をした。HTML5で電子カタログを作るような進んだ仕事ができたりして、技術的にも発展する領域に手をつけられてラッキーだった。

幸せについて本気出して考えてみた

そんなある日、ネットラジオから「幸せについて本気出して考えてみた」という歌が流れてきた。ほんの気まぐれで「自分にとって『幸せ』とは何だろう」と、少し本気出して考えた。これが起業を志したきっかけになる。
後にその時の事を友人へメールしている。

僕は皆が不幸になるかもしれない予測をしていて、その未来を変えたいのだ。世界を変えるよりも、未来を変えたいのだと思う。

名刺→コンサル受講

思い出したのが、前に会った起業コンサルのJさんだ。当時会話した内容からブックマークしていたWEBページへ辿り着いた。名刺も発掘した。
どうやら大槻という人はセミナーを開くらしい。いきなり訪問するよりもここに参加してみるのが自然な気がしたので、応募して会いに行く事にした。
セミナーは起業に関するイロイロだったが、この人は自分が複数の会社を作った経験から教えてくれるらしい。本などでは手に入らない情報がそこにはあるようだった。
Jさんの言う通り、温和そうな人だった。セミナーが終わった後に「実はJさんの紹介で…」と自己紹介をして、一緒にセミナーをやっていた奥さんと三人で少し話をさせてもらった。話しやすい良い雰囲気を持っている人達だと思った。
当日貰った資料を確認すると、セミナーだけではなくて起業前のコンサルもやっているそうな。そのコンサルを受けてみる事にした。

コンサル受講→取引先

コンサルは全5回。内容はその人の状況によって合わせるものだったので、コンサルタントの時間の使い方はこちらに任されていた。僕は自己紹介に始まって、自分の目指している事や、当時やっていた事、仕事上の強みや好きな事など、毎回資料を作って臨んだ。とりあえず自分の事をよく知ってもらうように努めた。
全5回のコンサルなのだが、確か最後の一回を受けていない。その一回はいつかどこかで使って良いよという事だったが、どうしてそうなったのかは忘れてしまった。ただ、
「どうする?すぐ起業する?」
という質問に
「今はまだのように思います。」
と、解答したのが全てだったと思う。自分の鼻・勘で、その時は始めない方が良いような気がした。
その前後
「佐藤さんはIT強いよね。ちょっと一緒にソフト作らない?」
そんな相談を受けていて、それが次の話に繋がってくる。

取引先→パートナー

大槻さんの作りたいソフトというのが、iPad上で動く、彼の仕事に大いに役に立つツールだった。彼のコンサルとしての思想が詰まっている仕組みでもあるので、アプリ単体だけでなく、その使い方も含めて価値提供の出来るものだった。
僕はHTML5を使いまくれるそのアプリは面白いと思ったし、作った時の技術的な成果を発表する事で箔が付く事もあり、協力する事にした。当時Node.js&Socket.IOでシステムを作れる環境なんてそうそう無かったから楽しんでやれた。
コンサルは終了したけれども、月に一回程度のペースで彼の下へ通い続けるという不思議な状況になっていた。お互いのスキル交換という形で共闘するようなイメージを共有して活動していたので、僕としては雑談ベースで話しながら事業について勉強する事も出来た。
新規のソフト作りだけではなくて、他のシステムの相談にも乗るようになって、先生だった人がいつの間にか顧客に変わっていた。
そうやって一年弱過ごしたある日、いつもの通りミーティングしている最中に
「佐藤さん、起業したかったはずだよね。今でもそうなの?」
「えぇ。準備してますよ。」
「私も今までとは違う会社を起業したいなと思っているんだけど、社長やらない?」
「へ?」
突然の話にちょっと驚いたけれど
「是非お願いします!」
そう自然に口から出ていた。
起業するなら一人目のパートナーは自分とは違う目線や違うスキルを持った人が良いと思っていたし、一年付き合ってだいたい人となりはわかっていたから、いけそうな勘が働いた。僕はある種の決定に、完全に鼻・勘に頼る時がある。でもあまりそれで失敗したような記憶が無い。そういう本能みたいなものをなんとなく信じている。
そんな感じで一緒に踏み出す事を決めて、準備を始めた。その後もたくさんの出来事があるのだが、それはまた別の機会に記そう。

おしまいに

バーでの出会いから始まって、紆余曲折あって今のパートナーと起業する事になった話でした。僕が長者になれるかはわかりませんが、まだわらしべは続いていると思っています。交換ではないから、わらしべ長者は想像と合わなかったかもしれませんね。だとしたらごめんなさい。
長い自分語りを読んでくれてありがとうございました。
ついでに宣伝。次のパートナーは僕と似通った価値観とフィールドを持っていて欲しいと思っています。何か心に残ったら是非連絡下さい。ご飯でも食べに行きましょう。

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