おじいさんとの対話 11     結核の経路から新型肺炎SARZまで

おじいさんとの対話 11  

  結核の経路から新型肺炎SARZまで

himaari:先回は結核について詳しく解説して戴きました。さらに腑に落ちるため結核の経路というテーマにて再確認という形でお願い致します。

おじいさん:結核初期に到るまでの経路はさきにに述べた通りじゃが、次の段階からが問題である。「すなわち「医師は先ず絶対安静、薬剤使用、栄養食、空気療法等を奨めるが、空気療法以外は何れも浄化停止療法である。 先ず安静法は最も効果ある衰弱法で、その結果、浄化力微弱になるから下熱を始め、他の症状は緩和することになる。 また薬物栄養療法も同様、浄化停止法である以上、軽快に向かうように誤認する。故に、たまたま患者が運動を為す場合、浄化力が発生して発熱する。医師は驚ろいて運動を戒めるという事実は、結核者の常に経験する所であろう。」という事じゃ。

himaari:症状を緩和させるために徹底的に浄化停止方法をとるというわけですね。しかも運動停止や栄養食までが浄化力を微弱にするとは? これについては意外ですね。

おじいさん:ここで注意すべきは、「解熱剤使用は最初はある程度効果を奏するとしても、これを持続する時は漸次反動運動を起しす。そのため、執拗な高熱が持続し、如何なる解熱法も奏効せぬようになるものである。」

himaari:なるほど、最初は効くから解熱剤で高熱を下げてしまえば収まるわけですね。しかし、また体の方は高熱を発生させるので、再び解熱剤を投与するのでしょうが、それでもなかなか熱が下がらないという場合があるのですね。

おじいさん:体の方では自然良能力、つまり浄化作用が働くから高熱発生して固結毒を溶かそうとするからじゃ。薬毒の方ではそれを抑えつけようとする。つまり固めようとする。

そのため、「すべて薬物持続は中毒的反動作用を起し逆効果となるのである。彼の下剤持続者が慢性便秘症となる事や、モヒ、コカイン等の中毒者がいつしか放す事が出来なくなるにみてもうなずけるであろう。」

これが反動作用という意味じゃ。

himaari:薬で抑え込むと身体の方では反発を起こすのですね。その人に浄化力がある場合はでしょうが。その浄化力が弱いと固まってしまうので症状は落ち着くのでしょうか。

おじいさん:人体の方では浄化作用、一方薬などで浄化停止をする。この綱引きをしている事になるから、強い方が勝つ。したがって「以上の如き高熱症状が長時日持続する場合、漸次衰弱を増し斃れるのである。」という結果が起こるのじゃ。

himaari:高熱を下げる、高熱が出る。高熱を下げる、高熱が出る。こんなことを繰り返していたのじゃ、身が持たないわけですね。

 喉頭結核

おじいさん:結核の場合、「また末期の場合の多くは喉頭結核及び腸結核に侵されるものであるが、実は私の研究によれば、喉頭結核とは腐敗せる古き痰の猛烈なる毒素が咽喉を通過する為と喉頭附近の毒素に浄化発生の為とであり、腸結核はさきに説いた如くである。」と記述しておいたじゃろう。

himaari:そうですか。ここまでは昭和二十二年頃の時のお話でしたね。古い時代ですが、研究材料に挙げさせて頂きます。今後の専門家の検証なども必要ですね。

では次に「結核ナンセンス」という論文がありましたが、それについてもお願い致します。

おじいさん:「その表題とこの論を聞いた専門家もー般人も大いに憤慨する人、軽蔑する人、感心する人とがそれぞれ思いがあるであろう」が、新しい論として検討して貰いたいものじゃ。

himaari:はい、でも正直言って感心する人は少ないと思いますよ。今の時点ではほとんど軽蔑する方の人たちが多いでしょうね。憤慨する人でもそこで止まってしまい、何も検討もしないという事で終わってしまうんでしょうね。

おじいさん:今までの常識を破る異論としてもちろん承知だが、私はただ真理だと思うことをただ伝えるのであって、「その可否は見る(聞く)人の心々に任せる」だけじゃ。

himaari:そうですね。どんな論であっても最初から絶対的なものだとして押しつけるのはいけないですね。先ずは、よくよく検討してみる事が研究としての第一条件ですが、鵜呑みにしない事、最初から拒否しない事が必要だと思いますよ。

おじいさん:まずは白紙になって研究して貰いたいものじゃね。その上で切り捨てられるのは結構じゃが。

himaari:そうですか。今は認められないとしても真偽は別にしても、まずは検討していただきたいものですね。では次にもう少し詳しくお願い致します。

 ベルクリン注射

おじいさん:それでは、わしの時代からみてじゃが、「近来結核の早期発見を奨励しており、その唯一の手段として用いるのに、ツベルクリンの注射がある。」

himaari:はい、今は平成の時代になっていますが、まだ実施しているのでしょうかね。ツベルクリンは進歩的な医師の間から疑問が出される様になっています。

おじいさん:このツベルクリンの注射については前にも話したが、「反応のないものを陰性といい、紅く腫れるのを陽性という。それで陽性に対しては先ず半ケ年間は結核発病の危険ありとなし、その間一ケ月に一度の試験注射を行うを可としている。」

himaari:その事については前にご紹介した「危ないぞ予防接種」という本に詳しく書いてありますね。どうやら日本の現状もそれほど違いはない様です。

おじいさん:そこで、「半ケ年を経て異常のないものは一先ず注射を解くが、それでも当分三ケ月に一回の注射を励めるのである。そうして最初半ケ年の要注意期間中はなるべく過激な運動を避けるように注意を与える。」というのが当時の医学的所見じゃった。

himaari:結核に限らず、医学では過激な運動をいましめますね。やはり、運動をすると体が弱るでしょうか、体力消耗を恐れるのでしょうか。

おじいさん:というのは「それを守らないと、発病の危険があるからというのである。以上の様な医学の解釈は果たして妥当であるや否やを検討してみよう。」

himaari:過激な運動はやはりまずいのではと思いますが、

おじいさん:「それに先立ち私の研究と、その成果を発表する事にするがそれによって右の可否は一層明らかとなるであろう。 そもそも私の唱える○○医学は、病気とは自然に発生する処の浄化作用の過程としているが結核といえどもその理に漏れる筈はないである。」

himaari:なんだか論文になってきましたね。病気の正体とは「浄化作用の過程だ」と言って来たのですね。その理論からいうと結核もやはり、浄化作用の途中経過の症状というわけか。

おじいさん:論文では「そこで最初ツベルクリンの注射によって陰性であるという事は体力劣弱にして浄化発生の力がないからである。それに引換え紅く腫れるのは浄化力旺盛であるからである。すなわち、紅く腫脹する理由は、体内に注射液という異物が侵入するためその異物を体内深く侵入させないように、いわば防衛手段が発生するのである。」とね。

陰性になるという体力が弱化している者であり、陽性の方は体力旺盛というわけじゃ。

himaari:そうか、陽性の方が元気な証拠と言うわけですか。逆に何の反応も無い陰性は、浄化力、つまり生命力が弱いということですね。反応に対してまるで正反対の見方ですか。

でも、注射液は異物だから、異物毒物の進入を身体の方は防ごうとして反応するわけですか。

おじいさん:本来、人体は異物、毒物に対して防衛しようとするのだからじゃ。そこで、「その防衛手段とは血液が異物侵入局部に集中し、異物との闘争を開始する。その結果、異物の毒分を弱めて侵入の苦から免れようとするのである。」

himaari:進入する異物対身体の浄化防衛機能の闘いというわけですね。体には毒を弱毒化する力が備わっているというわけか。

おじいさん:「この理は、最初陰性であったものが、再三注射するや陰性が陽性に転化する。これを医学では陽転というが、この訳は注射液が少量の場合弱体者は浄化発生の必要が余りないが、多量になる場合はそれを防止するだけの浄化力の発生が必要となるのは当然で、自然は人体擁護の手段を遺憾なく具えているのである。」

himaari:陰性はまだ浄化力が少ないが、再三注射して毒分を増やすとついに反応して陽性となるわけですか。

おじいさん:「そうして如何なる人間といえども、一人も漏れなく先天性及び後天性の種々の毒素を保有している。」とは何度も繰り返して話してあるね。

himaari:それもう何度も聞いて知っています。先祖から受け継いで来た遺伝毒素というものが「先天性毒素」で、産まれてから入れた異物や毒素を「後天性毒素」と呼ぶのでしたね。

おじいさん:その通りじゃ。「その毒素は平常時は体内あらゆる局所に団結しているが、一度浄化発生するや溶解し始める。もちろん、その場合、発熱、咳(セキ)、節々の痛み、食慾不振等の初期結核症状が表わる。それによって保有毒素は排泄され健康体となるのである。」これが結核の基本原理じゃよ。

himaari:なるほど。だから、この浄化発生は本当は大いに喜ぶべき事でしたね。神の恩恵だとね。大自然の恵みとして人体に与えられている基本的能力だというのでしたね。

おじいさん:「ところが医学はこの浄化作用を反対に解釈し、病気を以て、健康上不可なるものとして恐れ、極力鎮圧手段に出るのである。」

himaari:現代西洋医学ほどそうなりますね。病気は悪化作用だから、「早期発見、早期治療」と言って症状を停止する事が第一になっています。

おじいさん:ところが結果は次のようになる。「すなわち、せっかく毒素排除活動が発ったのを元通り固めようとするのが医学の療法であるから、今日迄の医学が如何に誤っていたかを知り得るのである。」

himaari:医学の基本的考え方に真っ向から反する考えですね。そのことについてもう少し詳しくお願い致します。

医学の浄化停止方法が間違っているというのは、重要な所ですから。

おじいさん:もう少し詳しく言うと、「元来肺臓という機能は前述の如く体内各局部の固結毒素が発熱によって溶解液体化したのを一旦肺臓が吸収する。」これが呼吸以外に関する肺臓の持つ重要な機能じゃ。

himaari:肺が毒素の一時集溜所ということでしたね。

おじいさん:いったん肺臓に集まって来る毒素もそのままでは障害になるのは分かるじゃろう。そのため「その毒素は間もなく喀痰となって、次々体外へ排泄されるのである。

その際の咳嗽(せき)は喀痰(たん)を吸引するポンプ作用であるから、咳嗽の後は必ず喀痰が出るのをみても明らかである。」

himaari:これは先回で納得しました。まず体の各部から肺に毒素が集まる。それが今度は体の外に排泄される。それには、痰を出すために咳が出るという仕組みですね。

 病気は健康保持の働き

おじいさん:体の中の毒素は常にどこかに集められて、次に外に排泄される様になっているからじゃ。肺疾患と言われる病気症状もこの原則によって起こっているのじゃ。それに対して余計な邪魔をしなければ、毒素は排泄される事になっているんじゃ。

「こうして体内の不純物は清掃され、その結果健康は増進されるのであるから、実に自然は人体の健康保持に対しよく出来ているのである。」

himaari:なるほどね。理論上はよく分かりました。

おじいさん:この事を理解できれば本当は肺患などと言うものはないという事も分かるじゃろう。なぜなら、肺とは体内毒素が排泄の際の一時的停留所ともいうべき機能であるからじゃ。

himaari:ただ単に呼吸する機能だけではなかったのですね。まさか、ゴミの一時集溜場所とはね。そう言えば町内のゴミ出し場所を思い出しましたよ。

おじいさん:集めたゴミは今度は処理場に運んで行くだろう。

この理を知らない医学は、この「一時的滞溜の喀痰」を肺自体から作られたものと解釈するのじゃ。しかも排泄させられないように処置するのじゃ。

himaari:ううむ、まさか、他の箇所から来た毒素が原因だとは思わないのですね。ゴミの一時集溜場所だけを見て、そのゴミがどこから出されているなんて調べようも無かったのでしょうね。それに実際にその肺が病んでいるという病気症状が出ているのでしょうからね。

おじいさん:「その原理が分からないが故に、その際の診断の結果ラッセルを認める。ところがラッセルは呼吸による喀痰の響きであり、それを病気と誤り滞溜喀痰を固める手段をとる。」

himaari:ぜいぜい音がしたり、呼吸が苦しそうなら、当然肺が悪いと思ってしまいますね。それで固める手段をとるというのですね。

おじいさん:「その手段とは安静、薬剤使用、湿布、氷冷等である。これを忌憚なく言えば、せっかく清掃のために汚物が肺臓という中途の機関まで来たのを食い止めて排泄されないよう極力固めようとするのである。」

himaari:驚きですね、排毒作用を邪魔するとしたら。毒素の一時集溜場所である肺で抑え込んで、体の外に出さない様にしてしまうのか。それじゃ、毒素はいつまでも残ってるわけだ。

おじいさん:それが濃度化した喀痰がレントゲン写真に雲翳となって写るや、結核と断定するのである。

故に以上の論で考えてみれば、結核は全て医学が作るといっても過言ではあるまい。何と怖れる事ではあるまいか。何年経っても結核が減らないばかりか、反って殖える傾向にあるのは前述の如く全く誤れる結核の解釈によるので、医学が結核の大量生産をしている。」という訳になる。

himaari:医学が結核を治さないようにしていたとはね。しかし、おじいさんの警告は結核よりも癌へ移ってしまいましたね。結核は激減してしまい、今や死因のトップが癌ですからね。しかし、その原理から言うと結核は依然として無くならないわけですね。

おじいさん:結核半減のお祝いをしていた次期にわしが書いた論だったからじゃが。しかし、どうやら結核は自然に減少していったようじゃな。

himaari:はい、それは抗生物質などのせいだと思っていたら、どうやらそれに関係なく自然に減少していったようです。それは一部の医学専門家も書いていました。抗生物質が使われる前に減少し始めたとね。でも、それがまた増え始めたのが結核非常事態宣言とか、緊急宣言などが出されて分かりますね。

結核を通り越して現代はガンの時代になってしまいましたので、おじいさんの時代に心血を注がれていた結核論文はあまり注目されないかも知れませんね。

おじいさん:病気の根本原因は体内毒素、血液の汚れだという原則から、病気症状はいくら変化しても原理は同じなのじゃ。わしの時代までは結核が浄化作用の主流になっていたからその時代に合わせて書いたものじゃ。

himaari:そうかモグラの頭たたきのように、形が結核であろうが癌であろうが同じ浄化作用の原理なのですね。当時のおじいさんの医学論は結核が主になっていたので、再び結核問題が急浮上して来たので解説して戴いた訳です。

おじいさん:癌も浄化作用のひとつの形だけど、基本は体内毒素の浄化作用じゃ。肺疾患のような形で無いが体内毒素の掃除という意味で、ガンは毒素の局所集溜という形で体全体を護ろうとしているのじゃろう。

himaari:その当時はあまり癌については書かれていなかったようですが、癌にも二通りあるとかでしたね。

ガンには二種ある

おじいさん:真症癌と疑似癌。霊的原因と体的癌、すなわち薬毒癌じゃ。前者は治り難いが後者は治りやすい。

himaari:癌についてはまたの機会に。今回は結核を中心にですからね。今結核の蔓延が恐れられてきたのには、訳があるからです。結核の治療薬が段々無効になって来たからですね。薬剤耐性結核菌が続々と出現してきたからですが、特効薬が効かなから治療のしようが無いという医療現場の危機ですね。

おじいさん:それは当然の事じゃ。その前に当時警告しておいたわしの記事じゃが。

 「ここで特に注意すべき事は、結核菌は感染するとして恐れられており、今日巨額の費用を投じこの防止手段に官民共に大童であるが、これが又大変な誤りである。」

himaari:なるほど、薬が効かなくなるという意味だったのでしょうか? 一時衰退したものがまた復活するというのに、今度は効いたとされる薬が無効になると。

おじいさん:ここからの話はそのような薬剤耐性菌の出現以上になるかも知れないが。

 「以上まで述べてきた如く最初のある時期までは菌はないのである。」

himaari:え? ある時期まで菌が無いのですか!? 菌が無いのに結核症状が出るのですか?結核は菌が感染してから病気になるというのでは無いのですか。

菌の自然発生

おじいさん:何度も言うように「菌やウイルス」などの微生物は病気の原因では無い、病気の結果じゃ。最初は肺にいろんな毒素が集まるが、その時期に菌が居なくてもよいわけじゃ。問題はその後のことじゃ。

「しかし、無菌喀痰といえども排泄されずして長く滞溜する以上固結するから益々排泄困難になるばかりか、人間の体は体温という微生物発生に好条件があるから喀痰が古くなれば結核菌が自然発生するのは当然である。」

himaari:ついに出ましたね。菌の自然発生ですか。汚物にウジが湧くかのように毒素に菌が湧くという。これは現代医学や生物学では絶対に認められない現象でしょうね。それはトンデモ論としてタブーでしょうね。でも一部の学者が自然発生の発見をしたという報告を出していますが、ことごとく医学界から無視されてきましたね。

おじいさん:認めないのは自由だが、そこまで科学が進歩していないのじゃろう。これを認めるとすれば、病菌と疾患の関係にすべて説明がつくはずじゃ。実際に医学が伝染病を解決できないのは、それを認めようとしない頑迷さが一番の原因じゃろう。

himaari:医学の頑迷さですか。 向こうからも言われそうですけど・・。非科学だとか偽科学だとか、いえ、トンデモ科学論と言われても仕方が無いほど奇想天外の説ですよ。

僕はこれについては未だ信じられません。でも絶対否定も出来ませんけどね。

科学と言っても最初はほとんど推論からですからね。証明できないから非科学的だというのなら現代科学でも証明出来ない論はたくさんありますし。

おじいさん:わしの論を肯定も否定もするのも自由じゃ。君たちに研究材料として提供する新理論じゃからね。これからどう扱ってどう利用するかはお任せじゃな。

次に「肺臓内に固めた痰は、時日を経るに従い腐敗する。腐敗すればそこに掃除役として菌が湧くのは物質の原則であり、汚いものに菌が発生するのが自然法則なのだが、医学は菌のみに囚われ、菌さえ殺せば結核は解決出来るものと誤信している事である。」

himaari:それは結核ばかりじゃ無いですね。近代医学では菌やウイルスさえ叩けば病気は解決すると思っているようですからね。しかし、菌やウイルスの自然発生は頑として受け付けないようですが。学会の頑固さなのかどうかは分かりませんが。

おじいさん:「しかし菌といえどもまさか偶然空中に発生したものでなく、又人間の体内に理由無く湧いたものでもない事は勿論で、その発生原因が必ず何処かにあらねばならない筈である。詳しくは略すが、自然界の法則として最初に菌が自然発生するのである。」

himaari:それではパスツールの実験はおかしいと言うことになりますね。自然発生を否定していますし、現代医学はその説を基盤としていますから、医学界は絶対に認めないのかも知れませんね。

おじいさん:汚物毒素があるからそこに菌が湧くという原理を認めないからじゃろうがね。

その前に「無から有が生じる」などとは信じがたいからじゃろう。

肺の中に汚物が溜まるから自然良能力がそれを排除しようとする。しかしその汚物毒素を停めて置くと腐敗するのじゃ。

腐敗とは何か。菌が住み着いて繁殖するという事じゃ。

himaari:毒素に腐敗菌が湧くと言うのですね。医学の方では感染して外から入って来ると言いますよ。だから感染症だと。しかし、どちらにしても汚物が溜まっているから腐敗菌が繁殖するというわけか。菌のエサが無ければ繁殖もしない。でも医学では菌が毒素を作り出して障害を起こすという。

おじいさん:菌が毒素を作り出すというより、元々ある毒素に菌が繁殖して分解するという腐敗現象じゃ。何も無い野原に腐敗菌が繁殖するかな?

これから見ても医学の誤謬は結核菌を作り培養するという訳になるから、この点パスツールの菌の自然発生否定の説は全然誤謬である。最初に汚いものがそこにあるからじゃ。それが真の原因であって、菌は主原因ではないじゃろう。

himaari:そうか菌が入ってきても汚物が無ければどうにも始まりませんよね。腐敗菌としてもエサが無ければ。菌が先か汚物が先かと言うと、やっぱり汚物が先ですよね。

自然発生説を別にしても、腐敗菌のエサが先ですね。腸内細菌だって食べ物が腐っていると腐敗菌が出ますし、良い食べ物には乳酸菌などの発酵菌が担当していますからね。

おじいさん:その様に最初は汚物毒素あり、それが第一条件じゃ。そのため無菌結核というものがある。他の感染症と呼ばれるものにも無菌状態で同じ症状を起こしているものもあるじゃろうが。

himaari:汚物毒素が先ず有る。次に掃除役の腐敗菌。こういう順序ですね。それを医学は最初に腐敗菌、次に腐敗菌が毒素を作り出すという様に考えているのでしょうね。

そうなると浄化を停める事が結果として肺に汚物を押し込めてしまい、その汚物から菌が発生するということになりますね。しかも培養するという。

 唯物科学では非科学的になる

おじいさん:菌の自然発生が理解出来ない医学は科学と言っても唯物一辺倒の思想学だからじゃ。物質の奥の世界を認めないから、物質、つまり物質的機械で発見出来ないとか検知出来ないものは無いとする科学じゃからね。当然のこと、「無から有が生じる」などとはあり得ないという思想なのじゃから致し方あるまい。

しかし、その物質科学の応用が医療とすれば的外れになる事は当然じゃ。結果として病気の根本解決が出来ない最大原因じゃろう。

himaari:唯物科学を「科学的」と言っているのですか。それなら、おじいさんのは当然「非科学的」となるのですね。

おじいさん:そうじゃ、今の唯物科学から言えば非科学的である。その唯物科学は本当の科学で無いから真贋を見分ける程の力は無い。そこでわしは物質と非物質の両面から見ているから自然発生を認めるのじゃ。車の片輪だけじゃ知り得ない世界だからじゃ。

himaari:それで現代医学では菌の発生源を探し得ないのですね。「無い所から発生する訳が無い」ですものね。そう言えば、伝染病がどこかで発生すると必ず「感染源をつきとめる」とか言って調査しますが、可笑しいですね。「感染源」など永遠に捜しても無い事になっているのにね。どこまで行ってもそれは「感染されたもの」になります。

今までも「菌の感染源を突き止めた」という感染症など聞いた事がありませんね。

おじいさん:発生しないのだから、感染源など有りようも無いじゃろうが。ぜんぶ感染されたという事にしかならない。

himaari:最初に菌が発生しないのであれば、既にこの地球上のどこかに菌は存在していたという理屈ですね。「伝染病は必ずどこからか菌が感染する。その菌は自然発生しないから何時でもどこかに潜んでいる」というのが医学的というか科学的なんでしょうね。

おじいさん:発生しないとすれば、一切はこの地上に隠れていたという事になるじゃろう。

今後現れるもの一切が既にどこかに潜んでいるという意味になる。

himaari:病原菌とは既にどこかに存在している。そうでなければ、その都度、宇宙からでも飛んできているとかね。パスツールの自然発生否定論が絶対であるとされているからでしょうね。しかし、パスツールの説も怪しいものだとする専門家も出てきているようです。いずれ将来には真実がはっきりするでしょうね。

おじいさん:学説などどうにもなる。しかしそれが医療に使われと別じゃ。

結核について次に「今一つ見のがせない問題がある。陽性の際、結核発病を注意するがこの事は逆効果となる。なぜなら、その一言によって患者は地獄の門に入ったと同様、前途不安に襲われるのである。」

himaari:その心理的不安は現代の癌によく当てはまりますね。癌と宣告されると「死の宣告」を受けた様な気持ちで精神的にまいってしまうのです。しかも余命宣告までされたら絶望の淵ですよ。

おじいさん:「そのための神経作用によって意気消沈してしまうから、食慾不振、不眠、神経衰弱などを起こすのである。中には神経性結核となり生命を奪わるる者さえ往々にして見受けるのである。」という様に精神作用の力は馬鹿に出来ないものじゃ。

おじいさん:安静にするのにも程度が有るのじゃ。「陽性後の強労働を戒めるのは、浄化力が発生するからで、医療の固める目的とは反対であるからである。そうして特に水泳を戒めることがある。」

himaari:それはどういう訳でしょうか?全身運動で体に良いのでは?病気だから寝て安静にしていなさいというのが。

おじいさん:運動すると浄化が促進されるからじゃ。せっかく固めたものが再び溶解する。すると病気症状として現れる。普段でも水泳の様に一定動作を持続するものは、一局部に毒素が集溜し易いのである。水泳選手の身体を見ればよく判る。肩部の一ケ所に往々卵大の固結をみるのである。これが浄化発生によって発熱を始め、結核初期の症状を現すからである。

himaari:なるほど、ヘタに動き回っては体が浄化力を取り戻すのか。本当は健康体になるために浄化作用をするのですが、見た目には病気症状ですものね。

スポーツマンは同じ動作で毒素集溜場所が決まるのですか。神経のよく使うところに毒素が集まりやすいのですね。

おじいさん:「以上述べた如く結核菌は自然発生であって、決して感染ではない。私は今日迄幾千の人に対し菌の防衛手段をとらないばかりか寧ろ感染するようにしたが、一人の感染者も出ないにみても明らかであるからこの事が判っただけでも如何に救われるであろうかを想うのである」。

himaari:爆弾宣言ですね。「結核は伝染しない」とは。「自然発生」だけでもトンデモ論なのに、「伝染しない」とは。

これでは医学界からも一般からもまともにされない話だと思いました。

おじいさん:君がその様な事で驚いていてはわしの話は聞けないよ。

「ここで今一つ重要な事がある。以上の様に新薬の効果によって直ちに死なない半病人が増えるからこわれ物扱いをされなければならないような消極的健康人が氾濫し、元気よく長時間働らく事も出来ず軽作業がやっと位の人間が多数に上るであろう。そうなると国家としてもマイナスとなる。

さらに、薬で治るといってもそれは、あくまで一時停止でしかないものが続く状態だからいずれ再発もしくは別の病気となって現れることだから、結局はマイナスとなってしまうだろう。また、結核が再燃した場合でも今以上に強力な浄化作用となろうから、その時にはいかなる薬剤を用いようとも浄化停止に効果が無いというところにまで行き着くであろう。」

himaari:「結核において浄化停止方法の薬剤が効かなくなる」というのは当たって来ましね。薬剤耐性菌の出現として実際に。他の非感染系の病気でも薬の効果が薄くなってきたようですし。最終的には対症療法の行き詰まりが来るというのですね。まだ誰も気がつかないようですけど。

おじいさん:誰もが気がつかないはずは無いだろうが、薄々は感じている人も居るじゃろう。だがほとんどの人が目覚めるのには時間がかかるかも知れないね。

himaari:失礼ながらあまりにも突飛な論ばかりでして、なかなか認められないと思いますよ。しかしこれほどトンデモ医学論に思えるものでも検証して見なければならないですね。それほど現代医療では治せない病気が多く、医療崩壊とかで深刻な状況に陥っていますから。

おじいさん:医療に限らないが自然に逆らう方法は必ずいつか行き詰まるものじゃ。医療が間違った医学によっているのじゃから、自壊作用なのじゃろう。

himaari:現実に結核は再び再燃するかの様ですが、それに対抗する薬剤が無くなってきたという事実を見るとおじいさんの話は未だ検討する必要がありそうです。

結核を通して病気は浄化作用だという原理を他の病気にも当てはめてみると良いでしょうね。現代医学がなかなか病気を減らせない、治せないという真の原因は症状を押さえ込むという対症治療であったからだいう話は真実に近いのかも知れません。

おじいさん:わしの説が真実かどうかを君たちに問うておるのじゃよ。選択するのは君たちじゃ。

himaari:おっしゃるように、病気を押さえ込むだけの医学では、結核ばかりどころかすべての感染症に対処出来ない、その限界が迫ってきたのだと思います。

おじいさん:それにはどうしたら良いのかね。限界まで待っているのかな君たちは。自然に崩壊するまで、それに頼り切るのかね。

himaari:それには医学の再出発が必要ですね。一度土台から捨て去るような大改革でないと再建できないかも知れませんが。また、そのような時期を迎えているのでしょうね。

このままでは、この先、壁に突き当たるか、断崖絶壁で立ち往生するでしょう。しかし大半の人はそれに気づいていない。この大変革は困難でしょうね。

おじいさん:そう心配しなくても良いのもひとつあるがね。それは、大自然の働きが活発化すると浄化作用の働きは強くなるが、反面、その自然の方向に任せた方がずっと楽になれるという事じゃ。それがそれぞれ体験できれば理解も早くなる。自然に逆らうよりも、自然の流れの波に乗った方が得だという体験をすれば良い。

himaari:自然の働きにですね、その様な環境に変化して来たのですね。その前に固め療法をさんざんやってひどい目に遭うという体験も必要なのかな。そこからようやく自然治療に目が行くという様に。そうなると、「時期は今」という想いですね。

おじいさん:結核ばかりじゃない。今回のわしの話はすべての病気は浄化作用だという意味で共通しているはずじゃ。わしの時代は結核が一番多かったので詳しく書いておいたがね。君の時代はガンで解説すれば良い。それは君たちに任せるが、原理原則は浄化作用だからね

himaari:何時までも原理は浄化作用とすれば「古いおじいさんのお話」というのではなく、これからの人類にとっての「新しいお話」とも言えますね。

おじいさん:わしの時代は受け入れるのには未だ早すぎたのじゃろう。今ようやく君の時代になって研究されるのかもしれない。せいぜい若い君たちにお任せするよ。

himaari:え、若い・・ですか。・・・・おじいさんになっても出来ますよ!そんな事。

最後はムキになっていますが。おじいさんとの対話もうまく完結しました。今回は結核について再度のお話でしたが、これは医学関係者にも読んで貰いたいものです。

研究者に若いも老人も無いですよ。

 復習とまとめ

 

 最後に・・・・復習としてまとめてみました。

  ーーーーーー結核ーーー

この病気は、薬毒(先天的と後天的を含めての毒素)が体内各局部に集留固結し、その浄化作用として感冒が発生し、熱によって溶解した液体毒素は痰となって肺臓を通って出ようとします。

肺とは喀痰排泄のための通過駅ともいうべきものです。

 痰はいったんは肺臓内に滞留し、咳というポンプ作用によって咽喉を通って出るので、咳と痰が出れば出る程よく浄化される訳です。

ところがそれを逆解した医学は、咳と痰を極力停めようとするのですから実におどろくべき誤りなのです。

その結果、痰は肺臓内に滞留したまま日を経るに従い、漸次固まってしまい、しばらくすると再び浄化が起り風邪を引く、その時医師に診て貰うと、発熱と肺臓内にある痰の固結、咳や吐痰、喘音等によって結核初期と断定することになります。

それに対して医学が行なう治療法自体が結核をつくったり治さなくしてしまう。

その逆療法の柱が薬という毒物である

最近世界の話題となった「重症急性呼吸器症候群(SARS)」なども、この論をよく検討してみたら、最良の対処法が見つかるのではないかと思われます。

風邪という天恵の浄化作用を停めると、急性の場合は肺炎となり、慢性的には結核となる。

症状としては異なる様に見えても、どちらも身体の浄化作用として現れる形である。

重くするのも軽くすますのも、それは人の側の対処方法がで決まる。

同様な感染症として現れる如何なる病気でも、この原理を知れば対症療法が誤っている事に気づくだろう。

以上、簡単にまとめてました。


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