ひたすら間違いを起こす人々と罰する神の話

1 / 2 ページ

旧約聖書を読む。


ユダヤ教の神ヤハウェは怒り、罰する神であるらしい。有名な話だけでもこれだけある。


罪 アダムは「知恵の実」を口にする

罰 神はアダムとイブをエデンの園から追放する


罪 カインは弟アベルを殺害する

罰 神はカインを一生「地をさすらうもの」としてしまう


罪 人々は堕落した生活を送る

罰 神はノア以外の人々を大洪水によって滅ぼす


罪 人々は天にも届く高い塔を作ろうと試みる

罰 神は塔を打ちこわし、人々を「ことば」によって分かつ


罪 人々は貪欲と情欲に身を落とす

罰 神はソドムとゴモラの街を焼く


罪 モーゼが山に入っている間に人々は偶像を崇める

罰 怒り狂ったモーゼは罪を犯した者3000人をことごとく切り殺す

  (十戒のひとつ「汝、殺すなかれ」はどこに行った?)

  その後、イスラエルの民は40年間荒野をさまよう


罪 サウルは王になった後、傲慢なふるまいを繰り返す

罰 神はサウルを見放し、彼はペリシテ人との戦いに敗れ命を落とす


罪 ソロモン王は異教徒の女性を妻に迎え、異教の信仰を許す

罰 イスラエル王国は分裂し滅ぼされ、バビロンに70年間捕らわれる 


ユダヤの民は何度罰せられようが、(人間らしく)性懲りもなく罪を犯す。


しかし、その一方で罰に怯え、律法に縛られ常に精神的緊張にさらされながら生活を送るのがユダヤの人々である。マックス・ウェーバーはプロテスタンティズムの厳格さのルーツの一つを中世スコラ学を経由しこのユダヤ教に求め、さらに彼はユダヤ教徒と古代ヒンドゥー教の比較にまで遡り、ウパニシャッド哲学に辿り着く。


この、罰に怯え、律法に倦んでいた人々を愛によって赦していったのがイエス・キリストである。


イエスは決して罰せず、片っ端から人々を赦していった。


罪人、娼婦、業病に冒された人々、これからの人々こそ真っ先に赦され、愛され、神の国に足を踏み入れる権利を持つものだと説いた。そして、人々が冒した罪、そしてこれから冒すであろう罪の一切を背負って十字架に架けられた。


だから、人は生まれながらに神に愛され、赦されている。


これがカトリックが説く「愛(アガペー)」の教えである。ピンとこない人は遠藤周作の小説を読めばよくわかる。

みんなの読んで良かった!