2002年、ロンドン・トラファルガー広場で見たパレスチナ人についての話

ロンドン・トラファルガー広場、2002年。 広場の前方中央には青と白のリボンで飾られた特設ステージが設置され、スーツ姿の紳士が流暢な英語でスピーチをしていた。男は、大量の化学兵器を隠し持つサダム・フセイン政権の武力打倒を訴えている。


男の名はベンヤミン・ネタニヤフ、イスラエル元首相。


広場はイスラエル国旗で埋め尽くされ、身なりの良い人たちの中に黒ずくめで豊かな髭を蓄えたユダヤ正統派の人たちが混じってはいたが、全体的に平和的かつ和やかな雰囲気の中で米軍をはじめとする多国籍軍のイラク進攻を促すアピールが行われていた。


演説では和やかなBGMをバックに現代のアドルフ・ヒトラーであるサダム・フセインの殺害を(非暴力的な方法で!)公言していたわけだけれども。 物珍しさもあって、しばらくその政治集会の様子を眺めていた。 ... そうこうしているうちに、広場の一角で騒ぎが起こった。


2,30人のグループが何か大声で叫んでいる。人々は首にあのクーフィーヤと呼ばれる赤や黒の刺繍が入ったスカーフを巻いている。 何か起こるな、と思った。 「イスラエルこそがナチスである」と叫んでいたそのグループはロンドンに住むパレスチナ人だった。しかし、集まる人数もその華やかさも広場の中心に陣取るイスラエル人たちとは比べようもない。


数分後、このグループは完全装備で透明プラスチックの盾を持った機動隊員によって小さな路地に押し込まれてしまった。そこから飛び出そうとした男は騎馬警官に容赦なく踏みつぶされ、機動隊の盾で殴打された。馬に踏みつぶされた男は赤子のように石畳の路上にうずくまっていたところを警官に抱えられどこかに運ばれていった。


強制的に解散させられ散り散りになった男たちは、顔を紅潮させ興奮した様子で携帯電話を手に誰かに何かを訴えている。


約30分後。


今度は、小さな子供を抱えた女性を含むパレスチナの人たち数十人ほどが広場の片隅に集まり始めた。今度は、拡声器や小さな太鼓を手にしている。人々は太鼓を打ち鳴らし、拡声器でイスラエルによるガザ地区への攻撃をやめるように訴えている。 ここで、広場にいるイスラエル人も気が付いたのだろうか、BGMやステージ上のマイクの音量が上がったように感じた。


しかし、このグループもわずか5分ほどで重武装の機動隊に取り囲まれてしまった。しかし、今度は簡単には排除できない様子だった。 なぜか。 それは、グループの最前列にベビーカーを押した女性や小さな子供たちが混じっていたからだ。


さすがにこれには紳士の国の屈強な機動隊員や騎馬警官も手をこまねいている。まわりには多数のフリーランスと思われるカメラマンもいるので、めったなことはできない(紳士は公共の面前でのみ紳士なのだ)。 にらみ合いは数分続いたが、数人の女性警官(これまた屈強な)が女性と子供たちを「保護」したあとは、前と同じように男たちは機動隊と騎馬警官によってあっけなく細い路地に押し込められ、太鼓や拡声器は路上にたたきつけられ打ち壊されてしまった。


その時、ああ、これが「インティファーダ」なのだと思った。


ロンドンでもパレスチナでも成人男性はあっけなく排除されてしまうが、女性や子供には簡単に手は出せない。(その是非は別として)そこまで読み込んで、ガザ地区でも子供たちがイスラエル軍に対して、投石などのハラスメント攻撃を繰り返す。


圧倒的な資金量と動員力を擁し、当局の完全警護の中、広場の中央で悠々と平和的に自らの攻撃的な主張を繰り返すイスラエル人たち。そんな人たちの前で子どもたちを危険にさらしてまで何かを主張しようとしても、ものの数分で排除されてしまうパレスチナの人たち。それでも何かを主張しようと思った時には他にどんな方法が残されているのだろうか。


もう、そこには自らの命を引き換えにした自爆の道しか残されていない。


もちろん、自爆攻撃を肯定する気は全くないのだけれど、そこまでしないと何も主張することができない状態を作ってしまったことについて、その責任を負うべき人たちがいるということも確かだと思う。そこには単純な狂信という言葉では決して片づけられない根深く悲しい問題が横たわっている。


しかし、なぜ言論の自由が保障されなければならないのか? それは、この自由が保障されないとしたら、残る主張の方法は暴力しかないから。言論の自由を保障しない国家は暴力による挑戦を受けざるを得ないというリスクを負う。そのリスクを回避するための暴力による応酬。だから、言論の自由というのは崇高な理念であるのと同時に、暴力による実力行使を抑止するという極めて現実的な機能を併せ持っている。


しかし結局のところ、鋭く利害が対立しているとき、人は話し合って何とかできるほど利口ではない。人は話し合っても分かり合えない。だから戦争はなくならない。こんなことが有史以来繰り返されてきた。


しかし、分かり合えない、通じないからこそ、話し合いが必要なのだ。


簡単に通じてしまえば言葉はいらない。そして、最低限、話し合っている間は暴力が振るわれることはない。 言葉は無力であるのと同時に、有力でもある。そして、この無力さと有力さは矛盾しない。無意味である世界の中から掬い取られた意味。そこには人を動かす力がある。


騎馬の蹄の下に組み伏せられた男が馬上の警官に向けたまなざしには、憎悪だけではなく、あきらめから生まれる圧倒的な絶望感が漂っていたようにも感じた。たぶん、この男はきっとこうなることを予想していたことだろう。そして、この小さなグループによる抗議行動が全体としては何の影響も与えないことも。


それから、3年後の2005年、ロンドン地下鉄で自爆による同時爆破テロが起こり、実行犯4名を含む56名が犠牲となった。 自爆犯に寄せるいかなる同情も斟酌も持ち合わない(あるはこの事件は、政治宗教問題というよりも、現代社会の若者が抱える心の闇に根源があるような気もする)が、こんな凄惨な事件が起こったのは、あの日に見たこの光景が醸し出す空気感がその背景の一つにあったのではないかと思う。


あのとき、大人たちと同様にむき出しの憎悪のまなざしを重武装の騎馬警官と機動隊員に投げかけていた子供たちは、現在、20歳前後になっていることだろう。 あの子たちは、今、どこで何をしているのだろうか?


ここ数日のパレスチナ関係のニュースを見て(空爆によって亡くなった母親から取り出され、保育器に収められた赤ちゃんを見て)、あのときの子どもたちの姿と馬に踏みつぶされ、警官に抱えられて消えた男の悲しげなまなざしを思い出した。

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