ごく一般的な田舎で育った、一般的な人間のやや一般的ではないストーリーw
僕は山口県の東部のど田舎で生まれた人間です
九州男児で長距離トラック野郎の(昔は)怖かった父と
中卒ではあるけど、きれい好き料理上手のやさしい人格者の母と
背は高いし、やさしいしイイトコを全部持って行かれた兄の
4人家族で育ちました。
幼稚園時代
僕は幼稚園の時の記憶が、ほとんどありません。
一番記憶に残っているのは、ベン(友人)が幼稚園の砂場でおしりを出して
先生に怒られていたことです(笑)。なぜか、それだけは鮮明に覚えています。
あとは、幼稚園で折り紙の時間が大っ嫌いだったことと
お昼寝の時間が大大大好きだったことくらいですね。
小学生時代
僕は、とにかく走るのが大好きな少年でした。
あと、紐靴がなかなか履けない少年でもあり、
チョウチョ結びができるようになったのが、5年生の時でした。
幼稚園同様に、小学生低学年の時の記憶もあまり残っていません。
2年生の時に、学校の教室の横の水道が破裂して「バシャー」と
水があふれるのを見て、やたらと興奮した記憶があります・・・。
同じく2年生の時に、クラスの中でかわいいな~って思ってた女の子が
転校していったので、幼ながらに愛しさと切なさと心強さを学びました。
それと同じ時期に、プールで耳に水が入って抜けずに中耳炎になってたな。
結局、鼓膜を切ったんですけど痛すぎて泣きまくってました。
しかし、そのおかげでファミコン(Bコンにマイクがあるやつ)を買ってもらえたので
「ふっ、人生まだまだ捨てたもんじゃないな」ということを学びました。
何だか少しずつ思い出してきたな・・・
あっ、3年生の時にもかわいいな~って思ってた女の子が転校して
再び、愛しさと切なさと心強さを学びました。
小学校に通う楽しみは、給食と昼休みに遊ぶことでした。
土で団子を作ったり、鬼ごっこ、雨の日にはドロ警をするのが
本当に楽しかったのを強く覚えています。
3年生から地元のソフトボールチームに入って、
僕の体型はガリガリなのに、なぜかキャッチャーをやらされ
「1番・キャッチャーイノウエくん」
という、今考えるとおかしな打順を打っていました。
また、
ガリガリだったせいで、僕がキャッチャーをやっていて
クロスプレーの時に(3塁ランナーとキャッチャーの衝突のこと)
ヒザの皿を割って救急車で運ばれるという、そんな3年生でした・・。
ちなみにですが、
キャッチャーが足に付けているプロテクターの事をレガースと呼ぶんですが
僕がソフトボールをやっていた時は、まだ強制ではありませんでした。
ですが、僕が骨折したことによって町のソフトボールのルール(レガースの着用義務)
が変わったという、ある意味ではひとつの時代を作ってきたパイオニアと言っても
過言ではないでしょう。はじめまして、パイオニアでもあるイノウエです。
そういえば、
理科の授業で使う「分銅」で遊んでで、教室の窓ガラスをパリーン!と割ったのも
3年生だったな~。親にガラス代の請求書を渡すのにドキドキした記憶が残っています。
野球が好きというよりは、走るのが好きな少年でした。
1塁に出たら「盗塁できる!」とテンションはMAXになってましたね。
小さな町だったので、陸上を本格的に取り組む環境がなくて
それならば身近なソフトボールチームにといった感じでした。
その延長線上で、4年生の時にもっと足が速くなりたいからという理由で
野球のスポーツ少年団に入りました。そこでもなぜかわからないのですが
「1番・キャッチャーイノウエくん」でした。
さらには、
6年生の時はキャプテンを任されながら「1番・キャッチャーイノウエくん」
でした。これの何が大変かというと、野球の試合の先攻後攻を決めるジャンケン
の時なんです。後攻の時はまだいいんですが、先行の時はバッターの準備でアタフタしていました。
小学校が終わったら、家まで毎日走って帰っていました。
16時からある再放送の「ドラゴンクエスト」や堺正章さんの「西遊記」を
見るために・・・。
そのあと、自転車で小学校のとなりにある練習場にダッシュで向かうという
日々を送っていました。今考えると非効率的だな~これ。
野球の練習が終わる頃には、真っ暗になっていました。
クソ田舎なので、当然の如く街灯はほとんどありません。
帰り道の半分までは友達と一緒なので良いのですが
残りの半分が・・・。月が出てないと本当に真っ暗なんですもん。
UFO特集のTV番組とか少年ジャンプのぬ~べ~先生のテケテケとかを
見てしまったあとの2ヶ月間くらいは本当にビビりまくってました。
自転車をこいでいる後ろから、テケテケさんが来ていそうで振り返れない(笑)
さらには、UFOは牛を拉致するとTVでやってて僕の町には牛があちこちにいたから・・・
あああ・・・
これは今考えても怖いです。なので、考えるのやめます。
そんな僕でしたが、人並みに恋もしました。
恋をすると胸が苦しくなりますよね(照)?
僕も5年生の時に、はじめて胸が苦しくなる恋というものをしました。
好きな子のことを考えると、夜15分位寝れないんです。
僕は10秒以内に寝る子供だったので、一般的にはたった15分かもしれませんが
僕的には、夜が永遠に続いていくんじゃないかとさえ感じていました。
5年、6年と同じ女の子のことを好きだったんですが
目立ちたがり屋の恥ずかしがり屋だったので、告白はしませんでした。
告白できなかったというよりは、野球やってて時間ないし
たまの休みは男友達とみんなでゲームしたりして遊ぶ以外に
「女の子と付き合う?」「女の子と遊ぶ?」
そんなことがイメージすらできない感じの少年でした。
なので、
女の子とはあまり縁がない少年でしたね。
でも、今大人になって考えてみると
この頃の友達に本当に恵まれていたんだなと思います。
みんな思いやりがあって優しかったし、オレがオレがといった勝手な人間は
僕の友だちの中にはいませんでした。
僕がこの歳になっても、小学生並みに純情に生きていられるのは、
全部この頃の友達のおかげです。普段は何だか恥ずかしいからそんな話はしないで
バカ話しかしていないけど、みんなにはずっと感謝してるよ。ありがとう。
手前味噌な話ではありますが、
僕の小学生時代で唯一人に誇れることといえば、マラソン大会です。
6年間、不動の1位!!
と言いたいところなんですが、1年生の時は2位なんです。
しかも、ゴール前まで1位だったので余裕をかましてみんなにピースしてたら
つまずいてブッコケて2位になってしまったという・・・。
まあ、そのおかげ?で2年生以降は1位になることができましたが。
また、
パイオニアとして6年生の時に1000mの学校歴代1位の記録をつくりました。
3分20秒くらいだったかな、たしか。
その翌年に、後輩に記録を更新されるとは思ってもいませんでしたが(笑)
あと、わかりやすいエピソードとしては
夏休みになったらケガしたり、正月に銭湯でブッこけて鼻から落ち
鼻血を大量に流しながら(泣きながら)病院に運ばれたりしていました。
小学生の時の通知表には
「向上心はすばらしいですが、落ち着きの無さはもっとすばらしいです」
的なことを6年間書かれてました。
当時の僕としては、そこまで落ち着いてないわけじゃないだろ?
と思ってましたが、思い出してみるとケガばっかりしてますね(笑)
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