中学生時代・・・初恋のはじまり

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「お前、ええ友達持っとって幸せじゃのお~。大事にせえよ!」

とおっしゃってくれて、さらに泣かされたことを覚えています。


交番から開放されたのが夜中の3時くらいでした。それから、当時はポケベルだったので
友達と連絡して事情を説明しました。


元はといえば僕がドン臭いのが悪いのに、友達2人は強く責任を感じていました。
僕としては、捕まらんで明日も無事に学校にいけるし

全然問題ないけぇ、大丈夫よ~


と伝え、30分かけてバイクで家に帰りました。



結局、違反金は12万円くらいだったんですが、その2人の友達が
色々とお金を集めてくれて、半分以上支払ってくれました。


僕がもし反対の立場だとしても、そこまでの大金は払えなかったと思います。
また、金額がどうのこうのよりも、その心意気に感謝と感動を覚えました。


失ったものは免許の点数と罰金だけでしたが、
この経験から本当に多くのことを学び感じとることができました。


もし、もう一回人生をやり直せと言われても、この経験は必須科目です。
そのくらい価値のある経験になりました。


何だかんだで、5時半くらいだったかな。生まれて初めての朝帰りの帰り道で
登ってくるお天道さまが眩しく、なんだか僕は恥ずかしいことをしてるんだろうな~
という罪悪感の中、家に帰りました。



父親は仕事で留守、母親は爆睡してたのでコソ~っと部屋に入り
1時間程寝ました。


朝に母親に

「あんた何時に帰ってきたんかね?」
「2時か3時じゃない?」


とウソをつきました。


ですが、おそらくバレてますねこれ今考えると(笑)
その時の母親の

「ふ~ん」


が妙に優しかったですからね。
親は子供が思ってる以上に子供のことを理解しているものですもんね。


今まで学校の中ではわりとヤンチャな活動をしていたかもしれませんが、
世の中の法律に触れる問題を起こしたのは、それが初めてでした。


それまでは、学校さえ卒業してしまえば後は自由だ!と漠然と考えていましたが
その考えはむしろ逆なんだということを学びました。


学校のように甘えは許されない、自己責任の中での自由なんだと
高校生ながらに、まじめに考えたりしていました。



そんな感じで無事に卒業式・・・・とはいかず
11月に僕はバイクで車との衝突事故をします。


僕が優先道路を走っていて、右から白いワンボックス車が走ってくるのが
見えていました。タイミング的に当然車は止まると思っていたんですが・・・


僕のバイクに一切気が付かなかったらしく、飛び出してきました。
僕の目の前が一瞬でワンボックス車の色の白で埋もれました。

「あ。これは死ぬかもな・・・」

本気でそう思った瞬間でした。

僕は急ブレーキをかけて後輪がロックし、
横にこけて、そのまま脇にあった田んぼへ超ダイビング。
田んぼは稲刈りしてあるので土のごとく固かったですが、とりあえず

「あ、オレ生きとるわ」

と生を実感して安心していました。車を運転されていた方も事故の瞬間は

「あ、人を殺したかもしれん・・・」

と思ったようでした。お互い

「生きとって良かった~」
「生きとって良かった~」


と飛び跳ねて喜んでいた記憶があります。


その後、警察を呼んで

「救急車は呼ぶ?」

と聞かれたんですが

全然大丈夫ですよ~

と答え、事故用の警察車両に乗って色々と話しをしました。


しばらくしてから、僕が車の外に出ようと思ったら・・・・
足に激痛が走って、立ち上がりもできない状態になりました。


事故時に、アドレナリンを全開で放出していたらしいのです。
アドレナリン全開だと痛みを感じないけど、落ち着いてきたら痛くなる。

警察の方に、

それ交通事故あるあるやね!


と言われました。



結局、救急車を呼ぶと30分以上待つらしく
事故をした白のワンボックスの家族の方に病院に連れて行って頂きました。


結果は、スネやらヒザやら数カ所骨折していました。
全治4ヶ月。おいおい、卒業式は松葉杖かよ・・・。


その前に、僕は高校に電車で通っていたんですが登校どうするよって話しです。
通常だと、駅までチャリで15分。電車(正確には列車)で30分。


駅から高校まで徒歩15分。


後日、保険屋さんからの電話だと電車で通学して下さいという話でした。
事故の車の方は

「自分が自腹で払うから、タクシーで通って下さい」

とおっしゃってくれたのですが、それは申し訳無さすぎるので電車にしました。

松葉杖で学校に行ったら、先生方から

「バイク事故か?バイクか?」


と散々聞かれましたが

「いや~チャリで田んぼに突っ込んで~」


と、うまく?かわしていました。


骨の回復も思ったより早く、卒業式までには普通に歩けるようになっていました。
そんな感じで、なかなかおもしろい高校生活を送ることができました。


というか学生時代の思い出って、ケガばっかりですね僕(笑)


あれ、高校生時代の女の子の話がないじゃないかと?

こ、これ以上はプライベートなんで。このへんにしておきますね。




遠く離れて、ふるさとを想う


そんな感じで、高校生まで地元で過ごしたわけですが
高校生の頃は、自分のふるさとのことがあまり好きではありませんでした。


はじめてコンビニができたのが、中学3年生の時で
刺激的に楽しく遊ぶところもない街。


四方は山に囲まれた盆地で、学校のチャイムとお寺の鐘の音が
町の端まで聞こえて来るような静かな空気感。


バイクに乗ったら、車種に関係なく

「あの子は不良になった」



噂されてしまう小さなコミュニティ。


高校生になった頃には、正直いって息が詰まっていました。
だからこそ、バイクで遠くに行くことで気持ちが開放されていたんですね。


でも、

バイクで色んな町を見るようになってから、少し考え方が変わりました。
地元に戻ってくると、なぜか安心するんですよね。


見慣れた交差点、見慣れた踏切、
見慣れた友達の家、見慣れた山や川。


その思いは、高校を卒業してふるさとを離れてから
さらに強いものになりました。



小さな町で、豊かな自然と豊かな心を持った人たちに囲まれて育ったことが
僕の体に、記憶として染み込んでいるからなんですね。


夜になると満天の星空が広がり、うるさいくらいのカエルの大合唱がはじまり
自然にねむりに導いてくれる。


何もないと思っていたけど、全くそんなことはありませんでした。


思いやりがあって、当然のごとくやさしい気持ちを持っていて
純情に生きている人たちがすむ町。


雪が積もった朝は、たいがいどこかの田んぼに車が突っ込んでる
のどかな風景。


畑ではたらているおばちゃんに挨拶したら
最高の笑顔で、挨拶を返してもらえることの喜び。


僕の個人的な意見ですが、

人の心が大きく動かされるときは、人の心に触れた時だと思っています。



このストーリーを書きながら、色々と思い出していると
出会ってきたステキな人たちに感謝の気持ちしか湧いてきませんでした。


たまには、クッソ腹立つ人もいたりしましたが
そんなこと気にせずに生きてくることができました。


僕が出会った人たちの心に触れ、心を動かされ
良い方向に導いてもらえたからだと思っています。


急に、何やら壮大な話になりますが、


僕は、この経験を何とか一つの形にして僕と同じように、
よき人に触れ豊かな心を育んで人生を過ごしていける人が

一人でも多くなるようなシステムを作りたいなと考えています。


インターネットは、今後も加速し続けていくでしょう。
その反面、人と人との関わりも形を変えはじめています。


単純に昔は良かったというのではなく、
時代にマッチしニーズのある人と人とのつながりを何か形にしたいと考えています。



そのためにはお金が必要ですし
様々なことを学んでいかなくてはいけません。


イバラの道ではありますが、
残りの人生の時間を使って、どんなに小さくてもいいから
人が笑顔になることにつながることのお手伝いができる人生を送りたいなと思っています。




まとまりのない、長い文章ではありましたが最後までお読みいただいて
本当にありがとうございます!!


最後に、兄にもらった僕の好きな言葉を。


新しき計画の成就は、只不屈不撓の一心にあり。
さらばひたむきに、只想え、気高く、強く、


一筋に。


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