『河 岸(カシ)』父親と暮らした記憶がない、半身の私が、人生の旅に出たストーリー

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私も、日々の生活や子育てに追われ、

時々

「どうしてるかなぁー」

「元気でいるかなぁー」

と考えるものの、わざわざ連絡をする事もなく、向こうからの連絡を待つのみであった。


ー息子にも逢わせたい。

ーお父さんにも逢ってもらいたい。


 私は、兄に、お父さんがよく行くという、雀荘の電話番号を聞き、その店に電話を掛け、お父さんと連絡をとる事ができた。

「今週末、実家の方に帰るけど、息子が逢って見たいって言うのだけど逢えない?」

と何気なく話しを持ち掛けた。

お父さんは、難なく了解してくれた。


 週末、実家の近くのお寿司屋で待ち合わせする事になった。

姉にも誘いの声をかけ。私と娘に息子、お姉ちゃん家族(姉夫婦と息子二人)で出向いた。

 お父さんは、店のカウンターに座り、いつものように先に待って居た。

息子は、初めて逢うおじいちゃんに、少し緊張気味だった。

 私達は、遠慮なしにお腹いっぱいになるまで、食べて飲んで、お父さんも、孫に囲まれて、嬉しそうだった。

おじいちゃんと孫が居てと、普通の家族の、あたりまえの光景が幸せだった。

 帰り際に、孫達におじいちゃんから、おこずかいをもらい、孫達も上機嫌で、寿司屋を後にした。

嬉しい時間は束の間だが・・・

ー逢わせてよかった




 私が結婚をして家を出て、1年後ぐらいに、兄は東京へ転勤が決まり、お母さんは独り暮らしになってしまった。


ー女手一つで、育ててくれたお母さん。


 私達兄妹の小さい時は、よく風邪をひいていたが、仕事をするようになってからは、元気にずっと働いてくれ、定年が過ぎてからもパートに行っていた。

友達もなく、趣味もなく、ただ子供の為だけにと、がむしゃらに頑張ってくれた。

 

 お母さんが、風邪をこじらせ肺炎になり、初めて2週間ほど入院をし、仕事を辞めてしまった。

「一人だと食事がまずくてね」

「テレビが友達」

と嘆いていたが・・・。

 お母さんの孤独な気持ちを知りつつ、たまに孫を連れて、実家に顔を見せに行くぐらいしか出来なかった。


 兄は、東京でのサラリーマン生活にピリオドをうち、中国へ移住した。そして、中国人の女性と知り合い結婚をした。

 兄弟それぞれの生活もあり、見て見ぬふりをするしかなく時が過ぎていった。



数年後・・・。

お母さんが、2回目の入院をした。


 症状は、前と一緒で、風邪をこじらせ肺炎にあり、命に関わるような重いものではなかったが・・。

 兄も直ぐに、中国からお嫁さんと一緒に帰国をして、お母さんの見舞いに駆けつけた。

海外といえども、直ぐに、何かあったら駆けつけて来れるという事を示し、安心させたかったのだろう。

 お母さんの入院中、お姉ちゃんのマンション近くの洋風居酒屋で、私達兄妹3人と兄のお嫁さんも交えて食事する事にした。

食事をしながら、真剣に、話し合ってみた。

 お母さんが孤独でいることが、何より私達は心配であった。

「お母さんを中国に連れて行き同居したい」

と兄が言い出した。お嫁さんも同意見で、それを願っていた。

「大気汚染の問題もあるが、今の中国は、日本製品も何でも揃うし、日本食にも困らない、物価も日本で暮らすようは安いので、お手伝いさんを雇う事だって出来るし、日本のテレビだって見るように出来る。不可能ではない」 と・・・。

姉と私は反対した。

 お母さんの性格や生活を考えると、言葉もわからない国で暮らすことが出来るとは、到底、思えなかった。

逆に言えば、外国暮らしが出来る程の、バイタリティーのある人ならば、孤独を感じないのでは?

との見解だった。

「実家に戻ってもいい」と私は提案した。

だが、旦那とお母さんは、折り合いがあわず、私と子供だけで戻って来るつもりで言ってみた。

姉と兄は、家族が離ればなれというのは、どうしたものか?という感じだった。

そして、姉が提案した。

姉はマンション暮らしで、家族4人で住んでおり、お母さんを受け入れるスペースはないが、

「マンションの一室に、空きが出来たら購入したらどうか?」と・・・。

勿論、早々にマンションの一室が空く事もないだろうし、いつになるかわからない。

マンションを購入するとなると、今の実家を売却しないと資金がない。

実家が、直ぐに売れるものかもわからない。

実家と姉のマンションとでは、車で15分ほどの距離だが、何かあった時、姉が、毎日実家に通う事もなく、同居ではないにしろ、同じマンションでなら、何かにつけて都合もよく、兄弟の抱える、お母さんへの心配な気持ちが安心できる提案だった。

ただ、いつ?という具体的ではないが、兄も私も賛成だった。


しばらくして、姉のマンションの一室が

「もしかしたら空くかも知れない」という話しが浮上した。

お父さんに〝もしかしたら〟という話しを持ち掛けた。

お父さんは、案の定、大反対であった。

「あの家は残さなかん!」

「絶対ダメだ!」

勿論、実家が無くなる寂しさは大きいが、独り暮らしの寂しさのお母さんを見るに耐え難い私達には

(あんたに反対される権利はないはずだ!)

という思いはあった。

お父さんから見て実家の存在は

(自分が守っている)

(お父さんの家?)

との感覚でもあったのか?

疑問を問いかける事もなく、感情が入り乱れた。

お父さんは、お母さんに電話で

「子供達を信用するな! お前は、騙されているんだ!」

「子供を信用しなくて! 誰を信用するの!」

とお母さんは反論したらしいが・・・。


 結局、マンションの空きの話しは、売買の取引が公にならず、話し事態、宙に浮いてしまった状態で休止した。


 その後、兄は第一子の長男を儲けた。

家系でいえば、初めての内孫である。

 初めて父親になった喜びを、ただ伝えたくて、お父さんに連絡を取ったらしいが、兄の言葉を聞く事なく

「お前とは話さん!」

と〝ガチャン〟と電話を切ってしまったらしい。

 兄は、非常にショックを受け、この事がトラウマになり、お父さんに対しての感情を封印した。


ーなんで?

首を傾げた。

 なんで、そのような事を言い出したのか?

まったく理解が出来なかった。

私達の気持ちを伝える事もなく、お父さんが、何故、反対なのか?という気持ちも問う事なく時が流れた。

 連絡を取ってみたいという気持ちはあったが、兄のように、話しすら聞いてもらえないのではないか?という怖さもあった


2年程たち・・

また、姉のマンションの一室に空きが出そうな動きがあった。

今回は、かなり本格的な情報だった。

売主も売却の為、リフォームしており、近くの一戸建てを購入する話しも、間違いないらしい。

 不動産の売買について、無知のまま、新聞広告や売買しそうな不動産会社を気にした。

どうすれば、物件を押えることが出来るのか?

実家が売却、出来るのか?

実家を売却しなければ、勿論マンションを購入する資金などない。

とりあえず、誰かの名義でローンを組み、売却できる期間まで待つものなのか?


心配をよそに、思いのほか早く情報が掴め、姉夫婦に任せる事になった。

不動産会社との話しで、実家の売却とマンション購入も、同時期に出来そうな気配になった。


「引越ししても、独り暮らしには変わりないし・・・」

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