離れ離れになって15年ぶりに本当の父に会う日は、僕の人生の中で決められていた日だったこと。

現在、社会人として一企業に勤めています。いわゆるサラリーマンです。社会人なりたての新社会人です。

ある一人のサラリーマンの、人生が変わるお盆のある一日をお話します。

簡単に、僕が生きてきた過去について軽くお話しますね。


僕は前横浜で父と母と兄と僕の4人で暮らしていました。


小学校のあるとき、親に離婚すると親に言われ、友達と別れるのが寂しくて大泣きし、母方の実家の岐阜に移り、横浜と父に別れを告げました。


それから岐阜の関市では、新しく友達も出来ましたが、母と祖父の仲が悪くなり、家族3人で小さな小さなアパートに引っ越しました。


引っ越し先のアパートでは、勉強机や家族でご飯食べるテーブルを出していたのもあり、僕と兄貴は寝るスペースはなく、押入れの中に布団を敷いて兄貴と寝て過ごしました。(まさにドラえもん生活。押入れ生活もなかなか楽しかったですw)それくらい狭いアパートに住んでましたが、女手ひとつで母が働きながら三年間一日もかかさずに晩御飯を作ってくれて、育ててくれる母には文句はいえませんでした。本当の本当に母には感謝です。


それから、野球部でバッテリー組んで仲良かったと思ってた友達にイジメも受けて(ちなみに兄もいじめられてましたw)、辛い小学校生活を送り、中学校まで過ごし、母が新しくできた父(現在の父)と再婚することになって、新しい場所に引っ越すことになりました。


それから新しく住んだ場所で中学校生活が始まりました。


家の近くにいまでも交流を持ってくれる友達もでき、そこからは勉強をしながらも高校、大学、大学院まで進み、そしていま社会人として生きています。


そして、社会人4ヶ月後のいま


15年前に別れた実のお父さんに岡山まであいにいってきました!


最近、人に会って、僕の人生について聴いてもらうこととその人がどうやって夢を実現化してきたか、僕の夢をどう実現するのか話を実際に聞きに行くのがテーマになっています!迷い人やこれ!笑


経営者だったり、経済的に成功している人であったり、独立してお店だしてる先輩だったり、もっと自然にそったナチュラルな暮らしをするために自給自足を夢見て実際に家庭菜園を一人でもしている友達だったり。


その方達が話してることのなかに、必ず共通している点があるはずだと思い、それを自分で実際に聴いてみつけようと足を運んでます!


各々やはり自分のやりたいことの軸と計画を持ってること。


それが僕が聞いた感想でした。


僕は大学院に進んだとき、ある先輩から勧められた一つの本(毎日が冒険 著 高橋歩)に出会って、昔々に行きたかった海外に一人で飛び出しました。僕は世界中のめっちゃキレイな景色とワイルドに生きてる人に逢いたいってこと、旅先の仲間と一緒に楽しく旅行、冒険することがやりたいです。そして、暖かい家族も欲しいし、仲間と過ごして、仲間の家族とかも一緒に遊んで暮らしたいという夢もあります。


そして、いま僕が日本人として、この社会に、周りの人にどうやって貢献しようか超スーパー不器用ながらも、見た誰かが少しでも元気と勇気が出るような言葉を筆で書いてます。


そんななか岡山まで自分で行って、父さんにあってきました!


父さんは最後に会ったのは15年前。


まさしく久しぶりにあいましたが、全く他人のような気はしなくて


改札口付近で13年前と比べて老けてシワが多くなり、僕より背が高かったのに僕と同じくらいの身長になってた父をみつけたときに、なぜかわからないけれど、少し涙が出ました。


あー、会えたんだなー。お父さん生きてたんだなー。


って身体が反応したんだろうなー笑


駅について合流してからは、お盆ってゆうこともあり先祖の墓参りをしながら、お互いの人生の歩みや、いまの母との出会いや、いまの僕の家族のことを話しました✨


父は、昔は横浜の会社のシステムモデルを作る会社で働いていましたが、精神的な悩みで会社を辞め、フリーランスで働きました。昔はフリーランスで働くにも個人事業主でないとダメだったらしく、そのときに一人で会社を起こしたそうです。


今までプライドを持って仕事をしていた父でしたが、生まれたばかりで生まれつき身体が弱い兄のため、僕のためにどんな仕事でももらって必死で働いてくれました。軌道に乗り始めた途中から、昔からの目標だった実家を継ぐために家に帰るという夢を諦めきれずに、岡山に帰ろうとしました。


岡山に行きたくない母とはそこから亀裂が産まれ、離婚するに至ったそうです。


父は実家に帰り、一人で仕事をしていたそうですが、2年ほどで慢性疲労症候群という原因不明の脳の病気にかかり、それから15年間何をするにも脱力感、倦怠感、に襲われ、仕事ができなくなったそうです。


そして、社長時代に膨れさせた1億4千万ほどの借金を持ちながら、いま年金のみで15年前に移り住んだ屋敷(めちゃくちゃでかいが手入れしていないからお化け屋敷みたいでした。。。)で一人で暮らしており、身体が悪い祖母の世話をしに祖母の家に週に5回通いながら生活しています。金も時間もないから夢を叶えることはできないよと悲しくいっていました。


お金のせいで苦しんでいる父を見て、僕は助けたいと思ったけど、何もできない自分に無力を感じました。


けれど、僕は、そんな父に聞きました。

僕)人生とはなにか。


父さんは、少し悩みながらも


父)人生は人によってたくさんあるからわからない。その人が歩いて体験してみて、それを、どう捉えるかで人生の意味が変わってくる。

と教えてくれました。


僕は聞いていいものなのかわからなかったですが、それを聞いて


やはり答えはないものなんだなと改めて思いました。哲学的なことだから答えなんて出せるわけないですよね。


そこで、無力ながらも、僕になにか父さんの息子として、できることはないのかな。と思い、ずっとずっと挨拶に行けていなかった祖母の家に挨拶をしにいきました。


僕)お父さんを産んでくれてありがとうございました。お父さんが生まれてなかったら、僕はこの世に生まれてこなかったし、楽しい体験も辛い体験も感じることができませんでした。本当にありがとうございました。


おばあちゃん、僕はなかなか来れないけど、元気に笑顔で暮らしてくださいね!


と寝たきりのおばあちゃんに手を握りながらただただ伝えとかなあかんなと思ってた言葉を本気で伝えました。僕は祖母が僕の思いを聞いて、少しでも安心するかな、父も少しは安心するかなと思い、心からの言葉を伝えました。


そしたらおばあちゃんは、元気に笑って


 

祖母)きてくれてありがとう。あんなに小さかったのにこんなに大きくなって、、きてくれるとおもってなかったよ。本当にありがとう。。。ありがとうねぇ。。。

僕)そうですそうです^^少しずつでいいから笑顔でいましょう!そうしてると自然に元気がでてきますよ^^


そう伝えて、僕はもう少しいたいと思いながらも祖母の家出ました。

おばあちゃんには、長生きしてほしいなというよりも、笑顔になって元気になってほしいと心からおもいました。そこからは、岡山を父と少し観光をして、駅で別れを告げました。

最後に

僕)父さん、元気にくらしてくださいね!本当にありがとう!また会いに来ます!!!

父)おう!元気でやれよ! 

と言って、父と握手をしながら言葉を交わしました。僕は父を背にしながら、改札口を抜けて新幹線にのって岡山を出ました。

名古屋に向かう新幹線にのりながら、今日じゃなきゃダメだったなって、心から思いました。

なぜなら、今日8月12日僕が15年ぶりに本当の父に会いに行った日は



「30年前、父と母が初めて出逢った日」



なんだろう、このメッセージは。今日この日がたまたまいっしょってのは、きっと偶然なんかじゃなくて、きっと僕の人生の中でこのタイミングで再会するってきめられていたんだろうなって思います。

父と過ごした、楽しくて、悲しくて、知らなかった色々なことを知れたこの2日間は私は絶対忘れることはないでしょう。

だからこそ、僕はこの忘れられない経験を糧にして、僕の人生を歩むために

・自分が無力だとしても今できることを少しでも誰かの役にたち、貢献すること

・自分が笑顔で楽しいことをすること

・その楽しいことが世の中の誰かに貢献して、笑顔になってくれること

・親と家族と仲間を幸せにするために、やりたいことをするために精一杯お金を稼ぐこと


これを貫き続けたいですね!


みなさんも、別れた親、恋人、友人がいたら、会いたいならあっておくといいと思います!この世の中、いつ何があってもおかしくないです!


いくなら、思い立った今だと思います!


今この瞬間を生きてる僕にできること。

そう思って始めた、僕の好きな言葉、誰かが笑顔になってくれたらいいなって思って書いた筆ブログになります^^

カキカキ筆ライフ

http://s.ameblo.jp/kotobano-kakikak-ilife/

日々更新していますので、よかったらみにきてください^^



読んでいただいて、本当にありがとうございました!!!

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