古文の先生だった頃(イギリスで)

欧州のオフィス勤務が終わり、帰国辞令が出た頃にちょうど「国語教員を探している」とオファーがあった。国語免許を持っている人は少なかったようだし(英語の免許を持っている人は多かっただろう)、日本語教師養成講座の恩師が私の実習を見ていて推薦してくれたようだ。思えば、小学生の頃、国研の近くを通っては、ここで働きたいなと思い、高校生の時に、「日本語の研究者になる」べく、じっくりと人生設計をしていた(日本語の研究を客観的にするためにも留学をして、確実なバイリンガルになること、大学院の学費を稼ぐために社会人になることなども計画の一つで、英国に駐在というのは一石二鳥だった)。
学部時代は、平安時代(中古)の文法を中心に1年製の時から大学院生に混ざって勉強会に参加していた…ぐらい好きだった。卒論は、現代日本語の主述の不一致について、作例と日本悟ネイティブのアンケート結果の考察だったが、中古文法と漢文はみっちり。特に漢文は単位を落としたため、4年間しっかりやらされた。白文でもなんでも持ってこーいみたいな。
国語教員は、近代文学を先行した先生が多く、「現代国語」は教えるのが好きだが、古典はちょっとという先生が結構多い。古典好きな私は便利な存在だったと思う。
イギリスで、古典を学ぶ意義とは…
とはいえ、イギリスの教育省も英国の教育でゆとり教育を反省し、シェークスピア復活という時期だったから、意義付けはいくらでも出来る。
でも生徒には「意義」なんてモチベーションになりづらい
「受験で点数が取りやすいよ!」というのが導入時。
その後、内容の面白さに入り込んでくれればラッキー。
但し、内容に入り込みすぎると、意外と読み間違ってしまうのが古文。現代日本語とは似て非なる助詞助動詞のニュアンスをしっかりつかまないと、味わいが薄くなる。
結構きびしい授業だったが、生徒たちがついてきてくれたのは嬉しい。
予習(原文書き写し、語句調べ、訳)は、授業前に全員チェックして、点数化した。他の授業時に予習をやっていて、私がその先生に怒られたこともあったっけ。
花の散るらむ…
この「らむ」は現在推量。
今頃、~だろうなぁと思いを馳せる気持ちが表せる助動詞なんてCoolだと思う。未だに、現代語でも使いたいことばだ。
個人的に「あらまほし(あってほしいものだ)」は現代語にしづらくて、使ってしまう。あらまほしきことって、世間にたくさんある。
中高の国語科を持ち、その後、日本で小学校で教える機会があり、今は大学で教えているので、小中高大制覇!って自慢にもならないけれど、教育を一貫して考えられるのは自分にとって大きな財産。
イギリスでは、日本古典についてイギリス人に語る機会も多かったが、古典や国語史の知識は、海外でとても役に立つ。
「詩吟」も芸は身を助くと、海外でいつも「一芸」の時に便利な特技である。本当は声楽もやっていたのに、そちらは(下手なせいもあるけど)なかなか披露する機会はないです。

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