どん底からの大学受験②

1 / 3 ページ


■さえない小中学時代

「中国地方って中国の領土ですよね?」

これは中学に入学した私が最初に先生に質問したことだ。先生は答えた。

「そんなわけあるか!ふざけんな」

こっちは本気で質問しているのにもかかわらず、なぜ怒られたのかわからなかった。




生まれつきぜんそくを患い、中学を入学してからも学校を休みがちだった。アルファベットを正確に書けるようになったのも中学2年の5月。そんな小中学時代の自分を振り返って思い出すことは毎日毎日テレビゲームをしていたことだ。本当にその記憶しかなく今考えると恐ろしい。学校を休んでゲームしていたこともあったし、定期テスト期間中なんて普通はみんな一生懸命勉強して焦るのに、私は「授業もなくて学校が早く終わってラッキー♪」という感じだった。だから勉強なんて全然できなかった。




正確に言えば、ゲームが好きというより、勉強やスポーツが嫌いだった。よく学園ドラマにも出てくるだろう。勉強もスポーツもできないゲームオタクくん。まさにあれだった。当時のクラスメイトには、一生懸命勉強している子が何人もいた。彼らを私はいつも不思議な目で見ていた。「どうしてこんなにつまらないものに必死で取り組んでいるのだろう」と。




「先生」という存在にも魅力を感じなかった。ほとんどの先生が、元気のない、つまらない、ただ黒板を写させる授業をしていた。こんなのを面白いと思うほうが頭おかしい、とも思っていた。だからいつか自分も大人になったら、こんな先生たちみたいに、覇気がない生き方になるのかと思うと嫌で嫌で仕方なかった。




そんなゲームオタクの私が中学3年生になり、初めて自分自身の進路について考えた。どの高校がどのくらいのレベルで、どのくらい勉強しなければいけないかなんてわからなかったため、あまり勉強しなくて済むような卒業単位の少ない、総合学科高校という選択肢をとった。自分で好きな授業を取れて、さらに料理や楽器、コミュニケーションなど、普通科ではあまりないようなことが学べるらしい。机に向かってやる勉強が少なくなるならと、中学3年の12月くらいから自ら勉強するようになった。



手の届かないレベルではなかったけれど絶対大丈夫という保証もなかった。勉強量はおそらく、普通の子が定期テスト前にする量と同じくらいだろうか。そしてなんとかその高校に合格できた(あとでわかったことだが当時の入学者の中で成績がビリから3番目であった)。



■学びの原点

忘れもしない人生の岐路、それは高校一年生のころに受けた予備校の授業でのことだった。中学校を卒業するまでは毎日毎日テレビゲームをして過ごした。学校の授業もつまらなかったし、これといって打ち込むこともなかった。それでもなんとか高校受験を乗り越え、廃校寸前の2つの高校を合併して誕生した単位制の高校へ進学した。卒業生のほとんどがフリーターか就職するような高校で、大学進学とはほぼ無縁の高校にビリから3番目の成績で入学した。



さすがにこのままではまずいと焦り、とりあえず高校に入る前に少し勉強しておこうと予備校の無料体験に参加した。



人生が変わった!

体験授業初日、英語の先生が放った一言は強烈だった。



みんなの読んで良かった!