「置口空助の発達障害克服論」10年で概ね克服した話⑨発達障害の克服 (平成26年2月以降)

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その上で、その人が無意識に使っている思考パターンが発動するのです。


別人格を作り出すということは、世界のどう認識してその人にふさわしい解釈をするか、そこまで再現をすることです。今までは精度が低いものしか作り出せなかったのですが、私は触覚認識によりこの世界が発している情報を認識することが出来るようになりました。ようやく完成したかたと思います。作り出した人と話をすることも出来ますし、その人に入り込むことも可能です。別人格(思考パターン)は3人います。




3人の秘書達

           


別人格は3人。平成16年以降に会った人たちがベースになっています。私が素直にすごいと思った人たちです。思考の密度が違う。傍にいると、圧倒的に情報処理のスピードも違うし、その思考のうねりのようなものが周囲に放射していると感じました。普通の人とは明らかに違う。こんなことを感じているは私だけなのかな。本人達も自覚はしていないと思う。私としては相手が看板をあげているようなものです。


思考の力をその人たちに感じた私は、基本的に素直な性質なので、「すごい、私の秘書にしたい!」と思うわけです(笑)。そして現実には無理なので、その人たちに興味を持って研究し自分の中に作り出すことを始めるのです。リアル秘書じゃないから、給料を払わなくでもいいですしね。まぁ本人達もこんな風に私に思われているとは夢にも思っていないね。くしゃみを盛大にしていることでしょう(笑)。

続いて秘書たちの紹介です。


<Hさん>

A事業所で会った方ですね。彼の特徴は「リフレーミング」なのでした。嫌なことが嫌なことで無くなるのです。彼の傍にいると強烈な安心感が得ることができます。彼の周りには人が集まるのです。強いリーダーシップがある訳ではないのですが、彼の近くにいると嫌なことが起こらない。瘴気をすって綺麗な空気にして出しているかのようでした。聖職者のイメージでしたね。


<Mさん>

B事業所であった方です。まだ20代でしたね。彼女の特徴は「人の痕跡を探すこと」でした。イメージとしては女シャーロックホームズです。なにも見逃さないのです。テーブルの上にコップがあるとして、だれが置いたのか、右利きか左利きかとかね。人の痕跡を探して解釈を構築するのです。そしてそれを担保しているのが圧倒的な記憶力でした。彼女の記憶力、私から見ていると「タグ」検索をしていると感じますね。「人の痕跡を探すこと」と「タグ検索」が一体化している。コップでいえば、口紅の跡があったら「口紅」の自分の記憶の中にある「口紅」のタグをついているものを引っ張りだすのでした。


<Wさん>

D事業所で会った方です。イメージはB型女子です(「ぶっ飛んでいる」というニュアンスです)彼女の特徴は「効率化を考えていること」なのですが、独特でしたね。「イメージ」を非常に使っていますね。論理で導いたものではないよね?と思う事がしばしばありました。「イメージ」の中に入っていける人でした。


例えばカーテンがひらひらと風に舞って涼しげな状況があるとします。

一般的に「私の部屋のこのカーテンがあったのなら」というイメージはするようです。

Wさんは違うのでした。カーテンに自分がぶら下がっていることをイメージするのでした。

海があったのなら普通のひとは泳ぐことはイメージするでしょう。彼女は海の上を走り、海水をごくごく飲み干してしまうのです。イメージが独特でその上、手数が多い。実際に体全体を使ってイメージの中にいるのでした。そしてその中で「効率化を考える」のです。




思念認識・解釈

      


上記の3人と比較することにより自分の特徴を知ることになりました。私にも独特な思考パターンがあるのでした。

HSPと言う特徴があります。そこから来るものかどうかは定かではありませんが,私は他の人の思念に対する感度が多分高い。弱点「他人の感情に影響される」これは正確に言うと「他人の思念に影響される」ということなのです。


ちっとも私は視覚情報が認識できませんが、その代わり思念を認識できる(ような気がする)のでした。 例えば人がいたとして、その人に絡みつく思念が見えるのでした。みんな気がつかないのよね。他の人の気がつかない部分を気がついてしまうんだね。というよりも分かってしまう。それが正しいのかなと思います。ただ単に分かってしまう。


他の人から見ると決め付けのように見えるみたいですね。

他の人が手順を踏んでその解釈に行き着くんですけども、ショートカットするんですね。

いきなり回答が分かってしまう。うーん多分理解してもらえないかな。


普通は、認識から解釈そういう過程をとりますよ。認識「あの人顔色が悪く、体にも痣がある」。解釈「3日前からだ。ちょうど彼氏と同棲した時期と同じだ。もしかしたらDVかな」

私「彼氏にDVを受けた痣だ。そのことで落ち込んでいる」

ものすごいショートカットでしょ。ただ判ってしまう。少なくとも私の中ではそれが真実だしね。実際彼女の様子が、その通りだったかはさておきですがね。 


ある部分において私の場合は認識解釈一緒なのですよ。視覚情報からはあまり情報得られませんが、私が言うところの思念、その人が発している思念やまとわりついてる思念が分かってしまう。相当の情報量ですね。雰囲気で相手のことをなんとなくわかるという事は誰でもできますよね、多分。そのレベルではないですね。相当レベルの情報量を得てると思います。正直言って人だけでなく物や家などから思念を感じますしね。


普通の人よりも思念に関する感度が高いですね。いろんな情報を得てしまう。そうなると他の人から見たら、いろんな過程をショートカットしている感じのようです。ですから会話するときは注意しますよ。私は明らかに答えを知っているのに、知らない体で話を合わせなくてはならないので。でも視覚情報はさっぱり判らないのです。




    


「情感」について①


    


私は、自分のことを宇宙人だなと思うことがありますね。

いろんなことが人とは違う。逆に言えば違いが分かるとうことなのですが、違いがわかる自分に疎ましさを感じることもありました。違いに気がつかなければ、こんな無い物ねだりのような気持ちにならなくて済むのに。そう思っていました。


ただ、今では、違いが分かるからこそ自分なりの仕組みを構築できたと理解しています。そうなのです、人生とはそういうものかもしれない。例えば「出来ない」ことに苦しんでいてもね。将来はどうなるかわからないし、むしろそのことがプラスに働くかもわからない。先のことは判らないのです、結局のところ。だから今を必要以上に嘆くことや、そのことで高ぶってもいけないということかな。


普通の人の内面の中で私には無い動きがあるのはわかっていました。その一つが「情感」です。そうなのでした。この「情感」のあるなしで人の生き方というのは変わってくるかもしれないね。「情感」これがなければ普通の人の顔をして、一般的な社会生活を営むことが困難だね。「物事に接したときに心にわき起こる感情。また、人の心に訴えるような、しみじみした感じ」。生きていくうえでこのことは重要なのです。




       


「情感」について②

定型発達者と遠足にいくとするじゃないですか。「桜は綺麗だね」さすがにそういうことを言えるようになりました。これも「スイッチ方式」なのです。

色彩が鮮やかで。他の花と比較して確かにきれいです。それできれいなのです。こういう書き方するとわかってくれるだろうか。


その花の存在自体に何か価値があるとか。生きていくうえで情景に応じた感想求められることがあります。先ほど遠足の話でも、引率する人は音期待するわけですよ。

綺麗なもの見してあげたいとかね。子供たちを楽しませたいとか。そういう気持ちが根底にあるのです。私はそういう気持ちが先生方にあるのはわかりますよ。

情操教育の一環として、だから遠足という行事もあるのだ。ここまでは私も判るのです。

ですから。私としてはサービスなのです。花を見てなんらかの感想もう求められる。


引率されている自分としては、その気持ちに応えた方がいいだろうというのが判るのです。そうしないと怒り出す人もいますから。「お前は人の気持ちを理解していない!」と。


基本的に人って気に食わないと虐待します。「お前のためだ」と言いながらね。それを避けるために合わせるということしなくちゃいけないです。そこでスイッチ方式なのです


さて人は情感というものを期待するのです。例えばクリスマスにプレゼント渡すとかね。

行事の中でそうされるのであれば、喜んだふりをしたほうが多分いいだろう、じゃないと気分を壊すし私に危害を加える。喜ぶ振りをする訳です。

こう書くと他の人から化け物扱いをされても仕方がないとも思いますよ。でも出し切ります。


ですから、「スイッチ方式」なのです。あらかじめ用意するのです。喜びそうな言葉、気に入られそうな言葉を。ただスイッチ押すだけ。それだけでは収まらない場合もあるのです。花見の話だと

「じゃあどんな風に綺麗なの?」聞かれた場合なのです。細かい部分なんて判らないですから。波風立てないために言っているだけなので。ただ慣れてくるとこれも「スイッチ方式」の引き出しの中に対応が出来てくるのですが。


皆さんついて来ていますか?しみじみ宇宙人だね。まぁこちとら40年以上のバリバリ現役だぜ(笑)。人は千差万別だね。そう思えば孤独ではないです。慣れました。




           


「情感」について③

情感というものが私にない、ということは理解していました。

わたしは習得することは無理でした。どうやっても習得することできなかった。できるのであれば、より人間に近づくことが出来ると思っていました。私が見ると情感は過去の体験が根底にありますね。そうなのです。花を見ると言う行為が過去の体験その扉を開くのでした。

大丈夫かなぁちゃんと伝わっていますか?

花を見るじゃないですか?当然花を見ているのですよ。見ているのですがその際に、何年か前に花見に来た事とか、花つながりでどっかの男の子に花をもらったとか、そういえば木に上って何歳の頃に起こしちゃったとかね。


そういうことも思い出すようですよ。これが情感と言われるものに繋がるのです。過去の記憶や体験が、現在の花を見ていると行為に、複雑な陰影を与えている。たぶんこのことはもっと深く考察する必要があるかなと思っています。

花を見る⇔かつての花との比較

今一緒に見ている男⇔かつて花をくれた男の子との比較

今見ている木⇔かつて木から落ちたことの比較


このようなことも場合によっては無意識レベルで行っているのです。人との会話に苦労する当事者の方って非常に多いと思いますよ。人が喋る時にはただ喋るだけではないのです。特に雑談だとそうですよ。情感を非常に使っています。この仕組みが利用できない限り。人との会話はスイッチ方式なっちゃいますよ。


会話の中で情感使わないのなら、その人気がつきますよ。そしてあなたのことを異様な人と思います、と私は考える。ただスイッチ方式も極めると人からそう疑われないですが。何事も訓練かな(笑)。




          


「情感」について④


           


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