「人の親になるかもしれん」と思った僕が自分を棚卸しする話 1 私がお父さんでちゅよー
人の親になるかもしれん、そのとき何を考えますか?
現在28歳。去年、結婚した。なかなか思うようにいかんけど、近い将来、人の親になるんだろう。
見出しは子供ができたような感じだが、スマン、まだだ。
ヨメとはしょっちゅう教育の話をする。NHKもしょっちゅう観る。
「破天荒なオヤジが破天荒な教育方法で息子達を大学に行かせた話」的なやつは大好物だ。
人の親になる、未来の息子 or 娘にどう教育しようとかいうことをモヤッと考えていた時、ふと
「自分自身はどう育ってきたんだろう?」
という疑問が湧いてきた。
NHKの番組とか、ネットで見つけた話とか、それぞれ賛同できるものはいくつもあった。
でも何で賛同したのかな?と考えた時、それは無意識的に自分自身と照らし合わせて評価したんじゃないかと思った。
んじゃ自分がどう育ってきたのかちゃんと思い出しとかないと反省もなにも無いじゃん。
というわけで、材料として自分自身を利用してみようと思ったのだ。
自分はこう育ってきた → ここは良かったからそうしよう、ここは良くないからこうしよう
↑こんな感じのことをやりたい。やっておきたい。
でもこれは未来の息子 or 娘のためだけではない。
というか8割くらいは自分のためだ。
自分の性格?
今さら?って感じだが、最近になって「そもそも僕は何をしたいと思ってたんだっけ?」
てなことをよく考える。
ちっちゃい頃、テレビで観た007のジェームズ・ボンドにハンパなく憧れて
「スパイになりたい」
とか何とか「将来の夢」欄に書いた記憶がある。
ダブルオーセブンは表面的な一つの例でしかない。
知りたいのは、僕は彼の何に惹かれたのか、なぜ惹かれたのか、だ。
お恥ずかしい話だが、自分でも自分は何が好きなのかということがよく分かっていない。
自分のルーツというか、性格というか、感情というか、その辺が自分でも把握できていないのだ。
・・・みんなそうなんだろうか?
というわけで、未来の息子 or 娘をどうしたいかを考える前に
自分自身の棚卸しをしてみようと思った。
とりわけ、その中でいいところや反省するところがあれば明文化しておきたいし
いろんな人の意見を伺いたい。
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