第3話『【第1章 うつ病を発症するまで】 小学校のいい思い出』 大手企業で重度のうつ病を発症し、里帰り出産の妻から離婚され、約一年間自殺願望の消えなかった僕に深い愛情で接してくれた両親のおかげで、うつ病克服専門心理カウンセラーという天職に出会えた話

前編: 第2話『はじめに うつ病と離婚の苦しみ』 大手企業で重度のうつ病を発症し、里帰り出産の妻から離婚され、約一年間自殺願望の消えなかった僕に深い愛情で接してくれた両親のおかげで、うつ病克服専門心理カウンセラーという天職に出会えた話
後編: 第4話『辛い中学校生活』 大手企業で重度のうつ病を発症し、里帰り出産の妻から離婚され、約一年間自殺願望の消えなかった僕に深い愛情で接してくれた両親のおかげで、うつ病克服専門心理カウンセラーという天職に出会えた話

第1章 うつ病を発症するまで




〇小学校の思い出




初めに思い出されるのは、小学校の記憶だ。僕は小学校をとても楽しいものとして記憶している。特に楽しかったのはドッジボール。休み時間にドッジボールをしてチームを勝利に導くととても気分が高らかになった。ボールを相手に当てたとき、剛速球をうまくキャッチできたとき、絶妙なパスを出せたとき、周りがワァーとなってヒーローになったような気分になる。勝ったときのあの高揚感はたまらない。みんなに褒められる嬉しさ。自分がおだてられることは本当に気分が良かった。




かけっこでもヒーローになれた。短距離走で一番になると本当に嬉しかったものだ。みんなを置き去りにしてトップに躍り出ると周りが褒め称えてくれる。走るっていうのはしんどいことだけど、走る前はそんなことも考えずに、ただ前を向いて走ることだけに全神経を集中させていた。周りの人と比べどちらが速いか。親に褒められたくて一生懸命に走る。広いグラウンドのトラックを全力疾走で駆け抜ける。風も気持ちよかったように思う。それはもちろん一番になったときだ。






リレーでも誰かを抜くというのはとても気持ちの良いことだった。チームが負けていても自分が一生懸命走ることで周りの人を追い抜く。ソースコードると、ワッと歓声が沸く。僕は誰かに褒められることが嬉しかった。特別足が速いということはなかったが、頑張って友達を追い抜くとチームのみんなは拍手喝采してくれた。オォーという歓声が起こる。それがとても心地良かった。





小学校の頃は頭も割と良いほうだったので、テストで良い点を取ると、周りがすごいと言ってくれる。点数を見せたがらない子供が多かったが、僕は見られることは別に嫌ではなかった。特に良い点のときは逆に見せたいくらいだった。小学生の頃は、塾にも通っていたため勉強がよくできた。特に数学には絶対の自信を持っていた。優越感すら感じていた。





自分はドッジボールが上手いほうだと思っていたし、足も割と速いと思っていたし、頭も良いと思っていた。小学生では、結構ヒーローになれる要素が多かった。それは、人数の絶対数が少なかったということに起因している。





女の子とも割と話をしていたし、好きな子もいた。低学年ではスカートめくりなんかして遊んでいたし、女の子をからかって遊んでいたりもした。好きな子ほどなぜかからかってしまう。たぶん照れくさかったのだと思う。小学校時代は、総じて、自由で無邪気な子供だったと思う。


性格も割と明るいほうだった。泣くことはあったが、笑っていることのほうが多かったように思う。男友達ともよく遊んでいたし、話も弾んでいた。





僕が好きだったのが、ゲームと秘密基地だ。ゲームは延々とやっていて、よくお母さんや、お兄ちゃんに怒られていたが、なかなか止められなかった。当時はファミコンが流行っていて、本体に接触してセーブデータが消えることがショックだった。友達とも格闘ゲームをしたり、お父さんとお絵かきゲームをしたり、1人でRPGをしたりして遊んでいた。画面に釘付けになってやっていた。目が悪いのは、その頃のことが影響しているのかもしれない。秘密基地は、「自分たちの居場所」感がたまらなく好きだった。ダンボールで基地を囲って、窓を開けてみたり、ドアを付けてみたり、毛布を持ち込んでくるまったり、ホームレスのような生活をしていたが、それが自分たちだけの居場所だった。





この頃は比較的楽しい人生だったと思う。



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第4話『辛い中学校生活』 大手企業で重度のうつ病を発症し、里帰り出産の妻から離婚され、約一年間自殺願望の消えなかった僕に深い愛情で接してくれた両親のおかげで、うつ病克服専門心理カウンセラーという天職に出会えた話

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