「人の親になるかもしれん」と思った僕が自分を棚卸しする話 7 習い事。継続は力になったんだが

なんだかんだ6年間

習い事、ってものについて思い出していきたい。


僕は無頓着だったんでよく知らないんだけど、まわりのみんなはどんな習い事をしていたのだろうか。そして何を求めていたのだろうか。


小学校の低学年くらいのときに親から
「ピアノば習ってみんね?」
と言われたことはあるが、当時「ピアノなんて女の子がするものだい」と思っていた僕は即断った。
※これは本気で後悔している(><)卓越してなくてもピアノが弾ける男子があんなにカッコいいとは・・・!


僕がやっていた習い事とは水泳(スイミングスクール)に通っていたことだ。
幼稚園の年中さんあたりから、小4の終わりくらいまで通った。週1回。
思えば、結構な期間通ってたんだなあ。


きっかけは覚えていない。
たぶん、近い友達が通っていたから一緒に通わせたんだろうと思う。
習い始めのころは泣いていた記憶しかない。水がすっごい怖かった。


それでも通っていたのは、親に「泳ぐのイヤだから行きたくない」と言って説得する労力と、自分がガマンする労力を子供ながらに比べた上での結論だったのだと思う。


ある程度泳げるようになってからは苦痛はなくなった。
でも行きたいから行っていたという感じでもない。
生活の一部になっており、その日はスイミングだから、という感じだった。


4年生になって部活を始めてから練習試合とかが入るようになってやめた。


なんだかんだ6年くらい通っていた。おかげでクロールからバタフライまで一通り泳ぐことはできる。
海でも川でも溺れたことなど一度も無いし、学校の水泳大会ではリレーのアンカーを務めたこともある。


これはこれですばらしい成果だと思う。体が小さく力も弱い僕が他の子よりも速く泳げるんだから。

でもちょっとだけ物足りない感覚がある。それはどこから来ているのか思い出したい。


習い事に求めるもの


僕個人の考えとしては、習い事を通じて大きく3つのことが得られると思っている。


1つ目は「経験」。当たり前だが日常生活や学校だけでは得られない経験をすることができる。

2つ目は「技能」。読んで字のごとく、習っているのだからその技能が身に付く。

3つ目は「人間関係」。先生(コーチ)や通っている友達、その親などたくさんの人に出会うことができる。親同士もそうかもしれない。


6年もやっていたので経験と技能はそれなりに身に付いた。
しかし人間関係は広がらなかったし残らなかった。ここに物足りなさを感じたのかな、と思う。
もちろん当時の友達が今でも続くかというとそういうケースは滅多にないと思うが、どんな人に教わっていたかとか、どんな友達がいたかとか、その辺の覚えがあんまりないのだ。


そういえば誰々がいたなあ、とかそういう話ができないのは寂しい。
特に水泳なんかは、水の中に入ってしまえば友達と話すヒマなんてない。というか誰が誰だかよくわからん。


親の目線でいくと、技能の上達具合が気になるところなんだと思う。
特にピアノとかバイオリンとか(最近だとテニスとか?)、そのまま職業になってしまいそうなやつはなおさらだろう。


でも大人になった今考えてみれば、残っていて一番しょーもないと感じるのは技能なんじゃないかと思える。
今さらカッパのように泳げていても、別に何の得にもならんような気がするんだ。


それよりも、当時のコーチや友達のこととか「人」に関する思い出に残っていた方が、よっぽどタメになると思うのだ。
習い事は技能がすべてではない。


子供ができたら、いろんな経験をさせてあげたい。

でも技術や知識ばかりにフォーカスせず、誰に教わったか、誰とやっているか、そういう「人」の部分も聞いてあげよう。


と、思った。


てかそもそも親の目線として、習い事ってさせたいって思います?
僕その辺はビミョーなんだよなあ。
別にさせてもいいけど、お金かけんちゃ他にもおもろいこといっぱいあるし・・・って。


やっぱ習い事って親のエゴなんでしょーか。
難しいですねえ。

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