『好きな事しかしないが、それには情熱を傾ける』自分の性格を人事部の部長が認め、富士フイルム入社後に何でもありになった話~退社までの流れ
このstoryは『入社試験に落ちながら、面接官に思いをぶつけることで逆転合格!特別待遇(何してもいい!)にまでなった話』の後編です。
【前回までのあらすじ】
”好きな事しかしない”ヤスは大学時代、バスケットボールや語学学習(英語やドイツ語など)に明け暮れていた。化学が専攻だったのにもかかわらず、化学に関してはあまり勉強していなかった(その割に大学院まで行っていたが、、)。富士フイルムの入社試験で行われた化学の筆記試験に不合格したものの、「テストの点なんて関係ない。何を勉強するかもわかっていなかったうちに教科書を沢山覚えていた人が点数が高いだけでしょう?入社後に何をするかがわかれば自分で勉強できます。」と面接官に思いの丈をぶつけると、、、三人の面接官は皆、不合格を合格に切り替えた!
その話は人事部の部長の耳に入り、部長と直に会って話すことにより、遂には入社後に『特別待遇』を受けることにまでなったのだ、、、
それでは始まり、始まり~
人事部の部長との面談から(よし、分かった!)
部長はハッキリと言った。
「よし、分かった!」
この時点で、部長は自分を受け入れ、活かそうと決意してくれたようだ。
そしてこのことは後に自分が退社を決めた時に初めて、部長から直接聞かされることになる、、、
配属先は最初から決まっている?
内定式で同期全員の名前を覚え、京都では同期となる関西組の交流会を開いたり、相変わらず私は自由にやっていた。
そして晴れて入社し、新人研修に突入~。
この新人研修が無茶苦茶面白くて!思い出すだけでも楽しくなっちゃうな~。
二週間くらい同期の仲間と同じ建物で暮らすというのが何よりも刺激的だったんだよね^^
ハッキリ言って研修の中身の方はあまり覚えていないんだけど、、、
朝から晩まで同世代の男女が集まるというのが面白かったんだよね~
あんなことや、こんなことまであったりして、、、(おっと、話がそれた(^_^;))
研修ではグループ活動があり、和を乱す人とか、タイプが合わない?とかで修羅場のようになっているグループもあったようだ。
休憩室で人間関係でもつれているグループの友達と話していると、急にそのグループの他の人が入ってきて言い合いが始まっちゃったりしてね(^_^;)
マッサージチェアに座りながら、「休憩どころか、逆にストレスで体が硬くなりそうだね、アハハ」なんて、側で見ていてちょっと面白かったくらい^^
それはさておき、笑いあり、涙ありの二週間を共に過ごした仲間たち、、、
研修の最後には配属先の決定という一大イベントが!
配属先は全国にあるため、ここで仲良しの皆と離ればなれになるか、また一緒になるかがわかるというわけなのだ。
一人ひとり、配属先が告げられるごとに歓声が起こったり、急に暗くなってしまったり、、(泣いている人達もいたな、、)
自分の配属先は静岡県榛原郡吉田町の吉田工場。
”え?吉田『工場』?!俺は研究者になるのではないのか?”
物凄い田舎で、配属が”吉田”と告げられると、周りからどよめきが起こるような場所だった。
配属先というのは、研修中に適性などを見て、更に面接も行う上で決定されるらしく、面接というのは割りと配属先の決定に重要な位置を占めるという話だった。
面接官;「室田くんは配属先に希望とかはあるの?」
ヤス;「バスケットボールが出来る体育館などがあると良いですね。あと、仕事が面白いところ!」
面接官;「まさにバッチリのところがあるよ。」
ヤス;「小田原だと、祖母も住んでいてそこからも通えるので良いと思っています。」
面接官;「おばあさん、介護などの必要があるのかな?」
ヤス;「いえ、そういう事ではありませんが」
面接官;「なら小田原でなくてもいいよね♪」
面接は配属先の決定に重要な位置を占めるという事前情報とは異なり、何だか自分の場合、最初から配属先がどうも決まっているようで、??な感じだった、、、
明らかに対応が違う?!(仕事の指令無し)
配属先である静岡の吉田工場内には実は研究所があった。(自分が知らなかっただけ)
そして、「まさにバッチリのところがあるよ」の言葉通り、工場内には体育館があり、自由にバスケットボールをしたりすることが出来る所だった!(自分が富士フイルムのバスケ部を復活させたんだよ^^)
更には、独身寮の前にはテニスコートまであり、かなり自分としては楽しそうな環境♪
吉田工場では印刷版を作っていた。
富士フイルムというとフイルムの印象が強かったのだが、直属の上司によると「成熟したフイルム事業よりも新しい印刷事業のほうが自由で面白い研究ができるよ!」との事。
そして自分に与えられた仕事というのは、、、
「これからDVDが世に出る。それに使われるブルーLDで書き込みができる印刷版が出来れば、暗室でなくても取り扱いの出来る印刷版が出来る事になる。更に、DVDのような汎用品に使われるようになればLD自体の値段は物凄く安くなるから、東南アジアなどのあまりお金を持っていない地域の人でも買えるような露光機とのセットにすれば、世界中に普及できることになるんだ!室田くん、それを作ってよ!」
この様に非常にザックリとしたものだった、、、
しかし、かなり夢のある話で、その時点では世界のどこにもないタイプの印刷版との事。まだ誰も作ったことのない、夢の印刷版、、、それを自分自身が作ることができたら!うん、まさに自分の印刷版が世界中に飛んで行くことになるっていうことだな!
「良いですね!やりましょう!」
自分は印刷版の原理などは何も知らず、どのように作られているかもまるっきり知らなかったので、具体的にどのように進めればいいのかを上司に尋ねてみた。
それに対する答えは
「ここにこれまでに富士で作ってきた印刷版に関する研究資料があるから、それを読んでみて。読めばわかると思うから。」
そう言って私の机の上に文字通り山のように資料を積み上げたのだ!なんと、指示はこれだけ!!
印刷版のザックリとした説明だけはしてくれたけどね。
感光層に光が当たるとそこが固まる。
その後に現像すると固まっているところだけが残り、それ以外の部分は削ぎ落とされる。
残った感光層が像になり、そこにインクが乗れば、印刷することが出来る
なるほどなるほど、、、って、説明そんだけ?!
研究室では朝礼が終わると皆それぞれの化学実験を行うために居室を出て実験室に移動する。
同期のS君も上司に連れられてなにやら実験をしていた。
彼の場合は具体的な指示を受け、更に結果や考察についてもかなり教育を受けているようでした。
自分の場合は、まるっきり反対で、まったく具体的な指示がなかった、、
実験をするにも何をやっていいかもまるでわからない状態。実際、二ヶ月くらいだったかな?机上の資料を読むだけの日々が続いたのだ。
居室には部長と主任と自分しかいない、、、皆は実験室にいるのに自分だけは管理職の方々と共に居室に残る日々、、、
朝から晩まで資料を読んでいるだけで、途中にコックリコックリしちゃったりもしてね(^_^;)
別にサボっているつもりはないのだけど、”何だか一人だけサボっている雰囲気じゃない?この状況!”とはずっと感じていた。
同期のS君はかなり具体的な指導を受けているようだけど、自分とはえらく違うな~
どういうことなんだ?
こんなのありなの?!(何してもOK!)
二ヶ月ほどのリサーチを自分なりにこなし、なんとなくやることが見えてきた。
上司のSさんに「こんなのやってみたいんですけど」と告げると、「ふ~ん、やれば?」とのあっさりしてた回答^^
実際にやってみた結果、まるでダメダメだったと告げると、「せやろ?あかんと思ったわ~」とこれまたあっさり(^_^;)
その後もそんな感じで、自分がやりたいということを告げると「やれば?」。結果を見せると「せやろ?」の繰り返し。
実は、実験一つやるにもかなりの人手とお金がかかっていたりするのだ。
薬剤の注文だけでも数万円したり、実験を手伝ってくれる助手層の方々に作業を依頼し、更には実験器具を予約して使わせてもらう必要もある。
上司の方は、当時既に市場に出ていた印刷版を作った方で、かなり印刷版については詳しい人だった。
その方からすると、自分の提示する実験は提示した時点でかなり先が読めたようで、「こらアカンわ」と思ったりしていたらしい。
それにもかかわらず、出した指示は何故かすべて『GO!』だったのだ!
同期のS君はまさに手取り足取りの指導、訂正を受けているのに、自分はすべてGO!で指示も無し、、、
お金も人もバンバン使っちゃっているけど、こんなのでいいのか?
なんでこんなに違うんだ?単に上司の考え方の違いなのか?
当時、自分には、このあまりの違いの意味がまるっきりわからなかった。
俺が世界一の印刷版を作るんだ!
ま、そんな事はあまり気にせず、自分はマイペースでやっていた。
そして、
■ 何でも自由にやらせてもらっているという有り難さ
とりわけ、
■ 世界一の印刷版は自分が作るんだ!というワクワク感
が私を研究に没頭させた。
二年間は彼女なども作らない。ただ世界一の印刷版を作るぞ!
こう決意を固めた私は土、日も予定がない限り会社に行って文献調査などをしていた。
もちろん、残業とか休日出勤とかとは関係なく、ただ勝手に行っただけね^^
そして遂には出来てしまったのだ!!明るい所でも取り扱える印刷版が!安価なLDで書き込み可能な印刷版が!
これには上司も驚き、部長に自分の研究結果を持って駆け寄り、何やら真剣に話し合っていた。
そして今まで何も指示をしなかった上司が初めて私に指示を出した。
「室田くん、この実験、もう一度やってもらえるかな?」
そしてこう打ち明けてくれたのだ。
「部長から何でもやらせてやりなさいと言われてたから、取り敢えずやらせとったけど、、やっぱり自分も印刷版のプロやし、わかんねんな、、。こんな実験アカンやろとかね。」
「実は、今回の実験もそう思っててんけどね、、でもできちゃったやん!いや~俺やったら絶対にこんな実験せんかったわ、、、。これは室田くんの発見やな!ほんま、やらせてみるもんなんやな~」
自分としては自分なりに出来ると思って毎回実験を繰り返していたのだが、印刷のプロからすると、「何でこんなことすんねん?」という感じだったようだ(^_^;)
しかし素人だからこその、思い込みのなさが良い結果を生むことになったのだ^^
というか、いつも何も考えずに「やれば?」なんて、物凄い軽い回答ばかりしていたのは、部長(研究部の)から「何でもやらせろ」なんて言われていたのか、、
部長がそんなことを言ってくれていたなんて、、、、
印刷業界のオリンピック(Drupa)に出場!
自分の開発した印刷版はなんと、印刷業界のオリンピックと呼ばれ、四年に一度ドイツで開催されるDrupaに富士フイルムの目玉商品として出品されることにまでなった^^
会場では印刷機大手のHeidelbergの方々が興味を持って話を聞きに来てくれたり、自分の携わった印刷版がオリンピックに出るなんてなかなか感慨深かったなぁ。
まさに研究者冥利に尽きるといったところ。
せっかくドイツに来たので、(有給をとって)ついでにベルギーやオランダまで周遊しちゃったりもしたんだよな、実は。しかも、Drupa2日に対して、周遊は一週間ぐらいしていたかな(^_^;)
足の引っ張り合い、、、(戦略特許)
会社では、フラスコに薬剤を詰めて撹拌したり、解析したりする要素研究部門から始まり、長い間私にラブコールを送り続けてくれていたという開発部門に異動して、自分で作った印刷版を自ら商品化するという貴重な体験もさせてもらった。(優等生とはかなり違う、自由路線の自分は有難いことに気に入ってもらえることが多かったのだ)
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