神さまありがとう第4回

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 わたしはキリスト教高校に入学しました。というより入れられました。父はクリスチャンだったわけではありません。わたしが入学した学校は茨城県内でも有数の名門校であり、別名お嬢様学校と呼ばれる私立の学校でした。

 父兄のほとんどが医者、政治家、議員、大会社社長、重役、会長といった人たちです。当然寄付金も相当な額だったようです。見栄っ張りで誰よりも世間体を大事にする父がこれを見逃すはずもなく、見事入学。

 そうしてこの入学を機にわたしの人生は大きく変わっていったのです。

 初めて手にするぶ厚い聖書。まず1ページを開いて最初の1ページを読み始めたとたん、思わす「プーッ!」と吹き出してしまいました。”天使?悪魔?なにこれ!まるっきりおとぎばなしじゃない。こんなのを大の大人が本気で信じてるなんて、ばっかじゃないの?”

 これが最初の印象です。しかしその一年後、わたしはクリスチャンになっていました。

 これは父にしてみれば寝耳に水、とんでもないことだったのです。洗礼を受けた教会へ怒鳴り込んだようです。

 毎朝の放送礼拝、週に一度の全校礼拝、毎日聖書の授業がありと、とにかく神様三昧の毎日でした。でも本当にわたしの心に聖書の御言葉が入ってきたのは、二年生になってからです。

 それは恒例の朝の放送礼拝の時でした。メッセンジャーは誰だったか覚えていません。たぶん本田弘慈先生か、本田明先生かのいずれかでしょう。(後にラジオ聖書放送「世の光」であった事がわかりました。)

 最後の終わり方がいつも同じでした。「・・・神様は命を捨てるほどにあなたを愛してくださいました。あなたも変わります。」

 ずっと愛されたい、こんなわたしでも”大事だよ”と言ってほしいと心から欲していたわたしの心に、この言葉がまるで清水のようにするすると流れ落ちてきたのです。そして少しずつ大きな凍りついた心を溶かしたいきました。

 涙が止まりませんでした。やっとわたしのSOSを捕らえてくれた、それがキリストの神様でした。

 そうしてわたしはホーリネス教会で、クリスマス礼拝の時に洗礼を受けました。

 洗礼を受けると言うことは苦しみから解放されることではありません。この地上に住む限りあらゆる悲しみ、苦しみ、辛い体験は無くなりません。

 しかし、どのような状況になろうとも、必ず神様は道を開いてくださるという希望を与えられました。

 人の歩みは様々です。それぞれの人の理解力に応じて様々な成長の方法があります。

 この世のあらゆる悲しみ、苦しみ、辛さのすべては大いなる力の中で起きます。いつだって何があったってすべてが最善なのです。

 わたしが生まれる以前から、わたしだけの人生プランが用意されていました。

 だからわたしの人生はこれでいいのです。この人生こそ、わたしにとっての最高の人生です。

 だからわたしは大きな声でいいます。

   神様、最高の人生をありがとう


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