人口380万人のバリ島で一人の少女を捜した奇跡的な物語~1枚の写真の力-2

前回の続きです。


誘われるままに中に入った。

石貼りの美しい床に、茶色の大きなソファ、そこに数人の家族と共に、

テレビを見ている女の子が座っていた。

私は半信半疑のまま彼女に近づき、写真を見せながら、

想像していた姿と目の前にいる少女の姿を自然に見比べていた。


少しふくよかになってはいるが、確かにあの写真の少女だと思える顔が

そこにあった。

私の喜びとは別に、彼女は急に入ってきた外国人に、

不安と戸惑いを隠せないでいた。

「いったい何なんだろう?この人達は!」っと思ったに違いない。

それはそうだろう、いきなり数人で押しかけ、午後の団らんを邪魔されては、

誰でもそう思うだろう。

彼がなんて説明してくれたのかも、わからなかった。


おばあちゃんらしき年配の女性が、ソファに座るように勧めてくれた。

私達は遠慮がちにソファに座り、突然の訪問の説明をさせてもらった。

そして、彼女に会えたならプレゼントしようと、引き伸ばしフレームに入れた

4年前の写真を彼女に手渡した。

話を聞くと、当時11歳だった彼女は、その時の事は、覚えていないという。

私はもっと大人の印象を懐いていたので、もうハタチ近くになっているのでは

っと思っていた。

予想は大きくはずれていた。

彼女はまだ英語もよく話せず、その頃の女の子にありがちな、

恥じらいを終始表していた。

きっと見ず知らずの外国人に対して、どうしていいのかわからなかったのだろう。


私はもう一度、写真を撮らせてくれるように、覚えたてのインドネシア語で

頼んでみた。

「ビサ サヤ メモト アンダ」

はじめは困った様子であったが、やがて恥ずかしそうにOKしてくれた。

私達は部屋の外に出て、素晴らしい彫刻の入った木製の壁の前で、

ポーズをとってもらった。

4年前、写真の上でしか会うことの出来なかった彼女との念願が、

現実となり、嬉しかった!

友人達もまさか本当に捜し出せるとは、思っていなかったようであった。

別れ際、おばあちゃんが、少女の名前と住所を書いたメモを渡してくれた。

門まで送ってくれた彼女と握手をし、今回の写真を送ることを約束をして別れた。

今夜、帰国しなくてはならない私達には、もうあまり時間がなかった。






しかし、その日の奇遇なる出来事は、そればかりではなかった。

私は数日前、ウブドに行った時、うっかり車の中に靴を忘れてしまい、

困っていた。

それはたった一足履いてきた、お気に入りのスニーカーだった。

私達は最後の買い物をするために、先程の彼にクタの辺りで

降ろしてくれるように頼んだ。

が、着いたところはクタから少し離れたレギャン通りのどこかであった。

道を尋ねながら、ビーサンで日本に帰るわけにもいかないと、

靴屋を捜しながらホテル方向に、ぶらぶらと歩いていた。

少し行ったあたりで、何気なく脇に目をやった。

そこにはどうした事か、見慣れたスニーカーを履いた男が、

今日、私がここを通るのを待っていたかのごとく、

暇そうに道端に座っていた。

まったく信じられないことではあったが、紛れもなく私の靴に違いなかった。

反射的に声をかけていた。

「その靴は私が数日前に失くしたモノだけど、いったいどうしたの?!」

彼は、この靴はある晩、路上の物売りから2万5000ルピアで買ったという。

とても気に入っているし、オレだったら10年は履くことが出来ると、

なかなか譲ってくれそうになかった。

私としても一度買った靴を、自分でまた買わなくてはいけないなんて、

バカらしいことなので、参ってしまった。

結局、しばらくの交渉の結果、彼は2万ルピアで、渋々私が履いていた

ビーサンと交換に売ってくれた。

しかし、とっても残念そうであった。

単なる偶然であろうか、タクシーが降ろす場所を誤ったおかげで、

靴は私の元に戻ってきた。

タクシーに置き忘れた靴、それを売りに出すドライバー、

またそれをキレイに洗って、路上で売る人、

中古とわかっていながらそれを買う人、

そして人がせっかく気に入って買ったモノを、無理やり取り上げるヤツ。

まさに、善も悪も共存する神々の島である。

今日1日は、何か夢のような、嬉しくも不思議な気分にさせてくれる日であった。



少女との後日談。

彼女と再会してから5年近く、お互いに文通を通しての交流を続けた。

当初、お姉さんに代筆してもらっていた英語もみるみる上達し、

途中からは彼女が自分で書けるようになった。

思春期に僕と、つまり外国人と出会ったことが刺激になったのか、

彼女の興味が外へと向かい、

彼女は国際ビジネススクールでホテルマンになる勉強を始めたと聞いた。



そして、彼女がハタチになった頃、私はバリに一人旅に出た。

クタのホテルから彼女の実家に電話をすると次の日、ホテルまでバイクで

遊びに来てくれた。

ほんとに久しぶりに会った彼女は、あの頃のような恥じらってモジモジしてた

少女では、もうなかった。

明るく、くったくがなく、英語もペラペラで、とってもハキハキとした

立派な女性に成長していた。

数日後、2人でサヌールの近くにあるダイビングで有名なパダンバイへの

小旅行をした。

実は銀行員をしていた彼女のお父さんが、パダンバイでコテージを経営していたのである。

早起きして朝日を見たり、お寺に参拝にいったり、コテージの車で

ウブドや近くの観光スポットを回ってくれた。

コテージのスタッフにとったら、オーナーのお嬢さんである。

またまたこの外人は何なのだろう?っと、きっと思われたことだろう。

そして、日本人の感覚ではわからないだろうが、

結婚前に男女が一緒にいることさえ、はばかられる戒律の厳しいバリ島で、

二十歳の女性が外国人と二人で旅行に行くことが、どんなに大変で勇気がいることか。

それもきっと国際感覚を学んだ彼女が自信を持って、両親を説得したのかと

思うとほんと感謝でいっぱいであった。




小旅行から帰り、再び彼女の家を訪ねた時、思いも寄らぬサプライズがあった。

海岸で彼女と一緒に写真に収まった弟らしき少年。

彼は弟さんではなく、たまたま一緒に遊びに行った近所の子だったらしい。

その彼が僕が来るというので、わざわざ会いに来てくれたのだった。

もう青年になっていて、びっくりしたが、彼も心から再会を喜んでくれた。









それから、また8年という長い月日が流れたある日、

僕は再びバリを訪れた。

彼女の実家に電話をしてみると、彼女はもう家にいないという。

次の日だったかホテルに電話があった。

「実家に外国の人から電話はあったというから、アツトかなぁって思ったんだ。」

「やっぱりそうだったのね!」

余りにも久しぶりだったが、彼女の声は元気そうだった。

サヌールのホテルのロビーで、数日後、再会した。

メガネをかけて少しふくよかになった彼女は、あくまで自然体だった。

あれから、結婚をして子供も出来て幸せにやってるって、

嬉しい報告をしてくれた。

でも古い考えの旦那さんが、事情を説明してもなかなかOKしてくれず、

会いに来るのが大変だったと聞いた。

それでも彼女は何も悪いことはしてないし、なぜ会ってはいけないのかっと、

泣きながら訴えたそうだ。

保守的な旦那さんにとったら、平和に仲良くやっていたところへ、

海外から愛する妻に友達が訪ねてきて、しかも男とは。

きっと相当ウザイことだっただろうと察しはついた。

旦那さんには悪いことしてしまったが、彼女は自分の主張をハッキリと言える

素晴らしい女性にさらに成長していて、嬉しかった。



あのビーチでの二人の出会いは、今となってはお互いにとって、

古き良き思い出となった。


1枚の写真が繋いでくれた不思議な縁。

人生において、素敵な出会いこそ、最高の宝である。


あの写真はまだ飾ってくれているであろうか?


アリヤティ、テレマカシバニャ!


出会ってくれて、ありがとう!!!





















みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。