47人生の岐路 / 島から、那覇へ

前編: 46人生の岐路 / 当たり前が当たり前ではなくなったとき
後編: 48人生の岐路 / 家がなくなった


9月12日。

私は、15時のフェリーで、座間味港→那覇の泊港に帰りました。


“おじい”こと、社長が、意識を失ってからの9日間は、時間が経つのが非常に遅く、

でも、涙ばかりを流しても仕方なかったので、自分なりに笑う努力をしました。


私が笑うというより、男の子を笑わせるといった方が妥当かもしれない。


男の子…?


恋愛ではございません。

スキとキライだったら、好きだと思うけど。


男の子(以下、C)とは、“おじい”と一緒に作業をしていた子です。

事故による心のダメージが誰よりも強く、壊れてしまうのではないだろうかと思ったほどで。


Cのために、どうにか笑わせたい。

不謹慎かもしれないけれど、そう思ったのは確かである。


でも、どうしたら良いのか。

手探り状態でした。


時間が解決してくれると言うけど、私たちに残された時間は僅か…。


どうすれば良いのだろうか。

シャワー室の掃除をしながら考え。

ベッドに寝転がりながら考え。

考えても、考えても、答えは見つかりませんでした。


そんなとき。

ベテランスタッフから、私とCの2人でヤギの散歩に行ってきて欲しいとお願いされました。

これまで、ヤギの散歩は、ベテランスタッフ+αという形で私もCも付いていっていました。


だから、2人で行ったことはなかったのです。

ヤギは、17匹ほど。オスもいれば、メスもいます。

一様コースはあり、ヤギの気持ちで散歩コースが決まっていきます。

だいたい、3時間半の散歩。14時30分〜18時まで。


会話という会話はありませんでしたが、ヤギによって、Cの顔が緩んでいるのが分かりました。

特に、子ヤギはCの心を読み取っているかのように、仕切りにCに近づいていました。

言葉が通じなくても、心と心は通じ合っているんだな。そう思いました。


ヤギによって、少しずつ、Cの表情が和らいできた頃。

私とベテランスタッフの男の子の、どうでもない話がCを笑わせるようになっていきました。

どうでもないから、正直、なにも覚えていない。身にならないほど、くだらなかったような。

男の子には、「みきさんの話、おもんない。しょうもなっ。」と言われ続けましたが、Cが笑っているなら別に良いかなと思う日々でした。


Cと、私と、男の子。

友情以上の友情が芽生えた。


必死で、話をし続け、どこかで自分も笑っていた。

“おじい”の事を忘れることはなかった。

でも、泣き続けてもなにも生まれない。


事故が起きてから帰るまで。

笑ったり泣いたり、忙しかった。


島での出来事は忘れない。

忘れたら、おしまい。

“おじい”との思い出がなくなってしまう事になるから。


Cとは、那覇の国際通りでバイバイをした。

後ろを振り返らず、真っすぐ前だけを見つめ歩いていく。

今度、会うときは台湾で。そう、約束をした。案内してもらんだ。Cが生まれ育った場所を。

ありがとう、C。



その後は、旅の仲間と会った。

2つ年上の、ゆうせいさんと大地くん。

明日から無人島でダイビングをするとの事で話を聞いていたら、私がいた島のお隣みたい。

ずっと前に一緒に行こう、と誘われたけど、ダイビングをしたことがないため、断った。


夜は、一緒のゲストハウスに泊まり(と言っても、私は女性ドミトリー)、

翌朝、那覇空港に向かった。


沖縄を選んで良かったと思いながらも、重すぎるリュックに、あまり眠れなかった睡眠不足から体調は最悪すぎた。ふらふらになりながら、辿り着いた駅でモノレールに乗り、那覇空港へ。


那覇空港


関西空港

起きたら、見慣れた景色だった。

久しぶりの関西空港。遠くに輝いている夕日が、「お帰り」と言っているみたいだった。

とても不思議な感覚だった。

オレンジに染まる空を眺めながら、「ただいま」と小さな声で呟いた。


沖縄での生活を忘れさせないで。そう願いながら、私は友人宅に向かった。

続きのストーリーはこちら!

48人生の岐路 / 家がなくなった

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