「うつ病になって悪かったこと良かった事」を書くにあたっての自己紹介

なぜ自己紹介を書こうとたのか?

 うつ病になって悪かったこと良かった事を書くにあたって、色々とまとめているうちに先ずは自己紹介をした方が、次の話に繋げやすいと思ったので。ということで、以下紹介です。


1981年生まれ

 田んぼとため池が多く緑豊かなところに住んでいる。

 車とバイクの運転とカスタムが好きで、プログラムを書くのも好き。

 高校卒業後より、十うん年プログラミングの世界に関わっている。


簡単な略歴

 ・2011年夏、うつ病を発病し、その後4ヶ月休職。

 ・同年年末、時短勤務にて復職。

 ・2012年初頭、会社の人事改革により希望退職し転職活動をしながら治療も行う。

 ・2012年春ごろ、無職になってから約1年半後に事務職に就職。

 ・2013年秋ごろ、就職先が今でいうブラック企業で継続して働く事に不安を感じ、1ヶ月勤務し退職。

  ※病気は私が治したる!っていう社長の一言でドン引きし、ホワイトカラーでもないのに残業なんてうちには無いと言い切られ不安を感じる。

 ・2013年年末、リハビリも兼ねて就労継続支援A型でアルバイトを始める。

 ・2014年春ごろ、ITからも離れ体を動かす仕事をする中で、病状も安定し継続して働くことができたので、IT企業に障害者雇用で就職。

 ・2014年春ごろ、プログラマとして再度ITの世界で仕事を始める。

 ・現在、会社の配慮により残業の無く不可の少ない仕事を担当し、常駐先にてシステム開発をしている。


なぜ仕事をしたいか?

 仕事を通して社会と繋がり、自分が生きているという実感が欲しいんだと思う。


なぜ病気になったITで再度働きたいと思うのか?

 自分が生きているという実感が欲しいというのが根底。その上で、自己表現をしたいのだと思う。

一言でいうと、物作りが好き。

 こう感じる事ができたのは、希望退職後にもらった仕事で高校からつるんでいる友人からiPhone, Androidのアプリ開発の話をくれたのがきっかけ。

 ただ、病気真っ只中だったので、話を聞いたときはITで仕事をするという恐怖と、アプリが作れるという楽しみが入り乱れていたんだけど、妻の「もししなかった事で後悔するならしたらいい」という後押しと、友人とそこの社長に最大限の配慮をしていただき、納品もすることができた。

 最終的には、状況も変わり作成したアプリが日の目を見る事はなかったけど、この仕事がきっかけで自分で製作したアプリをApple Storeに公開したりして、もう一度ITに携わる仕事がしたいと強く考えるようになった。やはり、物作りは楽しいと。

 ということで、紆余曲折あったけど現在もボチボチとプログラマやってます。


病気になってどうなったか?

 まず、新聞や本を読んでも全く頭に残らない。話をしても全く頭に残らない。

 見聞きしたことが全て右から左に素通りし、判断と理解ができなくなってた。

 発病後しばらくは、1日寝ていることがほとんど。起きてるのはご飯を食べる時だけ。

 少しの事で疲れるようになり、今までできていた車の運転も1時間が限界になった。

 後、気分の上下が激しくなり、上がった時はリミッターが外れるような感じになり、下がった時は子供のように泣きじゃくる事があった。それを繰り返す中で少しずつコントロールができるようになり、下がった時はとことん凹むと落ち着くというパターンを覚えた。

 

 悪いことがあった反面、良いこともあった。

  公園に行って緑を見ることが気持ち良い。凹んだ時は、がっつり泣いて落ち込むと落ち着く。

  役所に行く用事が増えたので、行政の制度をよく知ることができた。自立支援・障害者雇用・税金免除、障害者手帳など。

  昔から車が好きで、時間は幸い沢山あったので板金を教えてもらいながら自分でカスタムをしていた。

  そして何より、友人・家族・両親が自分の周りに居てくれた事。

  特に、妻には自分での理解と判断ができなくなっていたので、発病時から詳細に1日に起こった事を沢山聞いてくれた。これがなければ、こんなに自由にする事は絶対できなかった。


病気になって良かった?悪かった?

 どちらが良かったかは今でも答えがでない。というか、良くも悪くもあったというのが正直な所。

※良かったこと、悪かった事はまた次の機会に書きます。

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