交通事故(気付いたら集中治療室)

1 / 2 ページ

「すずきさーん。わかりますか?お名前言えますか?」
という看護婦さんの声で目を開けた。
場所は病院のICU(集中治療室)だった。
私は交通事故にあって、救急車で運ばれてた。
事故の記憶は一切ない。
会社の仲間で那須に旅行に行った帰りだった。
高速道路での自滅自己だったらしい。私は助手席の後ろに座っていた。そして寝ていた。
高速道路を走っている中、後ろのバイクにきづき、ハンドルをきり、壁に100mぐらいぶつかりながら止まったらしい。
隣の子が私の方にくる体重と、前ぶつかる衝撃で
 ・両上腕骨
 ・顎
 ・腰
を複雑骨折した。病院に運ばれた時には、下半身付随になる覚悟をしてください。と言われたらしい。
でも幸い、そんなことはなく、いまは元気にしている。
事故後、自分たちの後ろを走っていた仲間の車の人などがいろんな対応をしてくれた。
私の車の中の人はみなパニックだった(らしい)。
私は死んだと思われていたらしく、友人が脈をとってくれて「生きてる・・・」といってみんなが安心したそうだ。
いまでも「生きてて良かった」っていってもらってる。
事故後とにかく私は治ることしか考えてなかった。だから運転手を憎むとかいう感情は全くなかった。
運転してもらってたわけだし。
逆に、人を傷付けてしまった運転手の方が心の傷を負っているのではないか?と心配してたりした。
体の傷をおった自分の方が楽だと思った。
ただ、やっぱり普通の生活ができなくて、体が思い通りに動かなくて、仕事も痛みによりなかなかできなくて・・・というのを目の当たりにしたとき、運転手が目の前で仕事をし、酒をのみ、元気にしているのを見るのは辛かった。
交通事故は、体のケア以上に、心のケアが必要とはこのタイミングのことなのかっ・・・と、その時思った。
事故直後は「心のケアは特にいらない」なんておもってた。事故直後はみんなも心配してくれるが、時間が経つとみんなにとっては記憶は薄れ昔のことになる。
その頃にはじめて、当事者である私は一番辛い時期を迎えることになった。
事故によって苦しんだ時期は長かった。冬に痛みが復活し、そのための治療へのストレスもすごかった。
そのせいで、実は仕事も休職した。
なんどもなんども私は運転手を許したいと思った。許せない自分が嫌いだった。許せたら楽になると思ったし。
でも、許そうとしている自分に無理があるとおもい、ある日この人との縁を切ろうと決意した。
そして、自分の今まで隠していた辛かった気持ちを打ち明けた。
彼女はとても鈍感力が高い人で、自分の罪悪感を拭うために私によく連絡してきてた。私に「私は大丈夫。だからがんばってね。私の分までがんばってね。」という言葉をいわせるような相談をよくしてきた。
その度に「なぜ私が彼女を励まさなければいけないのだろう?」なんて思っていたことも話してしまった。

みんなの読んで良かった!