作法とは

   私は食事マナーに関して厳格に躾けられた。

食事時間ほど苦痛なものはなく、子供の頃は食べることが億劫だった。


   昔、働いていた病院にある日、ホームレスのおじさんが搬送されてきた。

何の疾患で入院してきたのかは憶えていが、数日経って病状がおさまってきた日のお昼、おじさんに初めて昼食が配膳された。

お粥と梅干し。


   そのおじさんは手を付けるでなく、黙ってお粥をじっと見ていた。

なぜ食べないのか気になって、私は廊下で立ち止まり見ていた。

長く深い沈黙の後、おじさんはホロリと涙を流し、震える両掌を合わせ小さな小さな声で「いただきます」と呟くように言った。

そして、ゆっくりゆっくり、噛みしめるように味わい完食した。


   冷たい路上での暮らし、辛い毎日の中を生きてきたおじさんにとって、清潔なベッドの上で、自分のために作られ、誰かの手によって運ばれた、あたたかな食事をいただくその意味を、私は頭ではなく心で理解できた。

そして、本当の美しい食べ方を、見たのだと思う。

   このことは、私の人生の中でとても重要な記憶となっている。

美しい人、美しいものとは何か、作法の意味を、知ることができた ある日の風景でした。



   今も、おじさんのあの姿を思い出すと、美しい。


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