出口の見えない道を歩いていく

また、一人友達が日本に帰国していった。安いいわゆるビザキープ系の学校に通いながらメイクアシスタントをしていた友達だ。日本に一時帰国中に学校が赤字でクローズしていた。
NYに戻ってきても行く学校がない為、なくなく帰国を選んだみたいだ。
会えば、悩み相談。彼女なりにNYにいること事態潮時と考えていたのかもしれない。同じ時期にNYに来て、あたしよりも行動力もあり、英語も喋れてあたしからしたらいつも羨ましくてジェラシーを感じていた。そんな子が帰国の選択。
NYに来て一年が過ぎたあたりから
いきなりホームシックになりだした。
日本語喋りたい。日本食食べたい。
家族に会いたい。そんな風に思うようになった。自分は短期滞在ではないので、出費を抑える為に、遊びも行けないし、時間があればひたすら勉強かアシスタント。気づいたらあたしはアメリカ人が嫌いになっていた。
頑張っている人に対してのあの差別的な態度。あいつらは平気でうそをつく。
アジア人は、アジア人だから。とかそんなのよく聞いた。
あたしが日本人と関わらないようにしていた為、日本人以外とつるんでいた。
英語が堪能じゃないので、深い仲になれない。近づいてくるのは、興味本位のチャラい奴らばかり。
出口のない道をただひたすら歩いているみたいだ。
でも、そんなあたしを助けてくれる人達もいた。韓国人や、スパニッシュアメリカンやアジア系アメリカ人の人達だ。英語も喋れない女の子が一人で自分達のコミュニティーに入って来て最初はなんだあの日本人って感じだった。
でも、日本に帰りたくない事や、今の自分の状況を話すと理解してくれた。
頑張ることはやはり辛い。
まったく楽しくない。
悔しくて、逃げたくて、このどうしようもない苛立ちを全ての野心に変えてやる。
英語が喋れないなら日本に帰れ、チャイニーズはチャイニーズの所にいけよ。
浴びせられた言葉全て絶対忘れない。
此処からのし上がってあいつらより幸せになる、金持ちになる、そしてたとえ成功しても人を馬鹿したりするような人間にはならない。
そんな毎日だけど、見知らぬ土地でまた一人、またもう一人人の優しさに触れる事ができた。
家庭の事情で仕方なく学校を辞めた移民のドミニカ人の友達がみせた涙。
のりこは始めてのアジア人の友達だ、ベストフレンドだ。と言いながら自分の為に泣いてくれた。
自分の為に誰かが泣いてくれた。
そんなの何年ぶりだっただろう。

NYに来て自分は本当に人としてまともになったと思う。
日本にいた時は自分以外全ての人が敵だと思っていた。誰からのアドバイスも受け付けない。信じるのは自分自身。
そんな感じだった。
今もそこは変わっていないが、どんなに理不尽なことや、気に入らないことも我慢できるようになった。
ここでキレたらこいつらと同じレベルになる。第三者になって客観的に物事を判断しよう。と考えれるようになった。
毎日が理不尽で毎日が不公平。
そんな事ばかり。だけど、それも全て自分が選んで得てる事だ。
自分ならできる。そう信じるしかない。
ここには自分以外信じれるものはない。
必ず出口はある。そう在米15年くらいの人から言葉を頂いた。
今は存在しない出口だけど、ないなら作ればいい。今までもずっとそうしてきた。日本に帰る友達に次会う時はお互いプロのメイクアップアーティストになってようね。と言葉を交わした。
あたしはずっとここにいるから、
またNYで会おう。と約束した。








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