鬱病の心に響いた、たったひとつの言葉
でも俺が、周りの人に迷惑を掛けてしまうなら、外に居ても同じで、
友人も、旅先の人もきっとその時だけは楽しいかもしれない。
でも、後から嫌な思いをしてるに違いない。
もやもやした想いを抱え続けていて、旅をしていました。
旅先の、とある教会に僕は立ち寄る機会があり、
フラフラとその日も、何も予定もなくミサに参加してみました。
※第二次世界大戦で亡くなられた方のお墓と、教会の様です。
お金も無くなってきて、そろそろ最後の旅だから、
金目の物や、貴金属を教会に置いて、
誰かの役に立って終わろう、と心に決めてました。
英語も話せず、一人、周りの讃美歌を聞きながら、うとうとしていると
神父が僕に一言声を掛けてくれました。
海外で聞く、久しぶりの日本語、
どうやら日本語が解る牧師さんのようでした。
聖書を手渡され、一つの言葉を指に指して僕に説明をします
讃美歌と、牧師の解らない説明が心地よかったので、寝てしまうと、
起きると僕一人になってました。
不思議と、不眠だった自分が心地よく昼寝した事実に驚きました。
牧師は、ニッコリと笑顔で僕に
不思議と涙が出ました。
自分の心の重荷は、自分自身によって作られていた、ただの負の鎖だった事を、
たった一人のよく解らない牧師に、説得されたのでした。
その日から、僕は本気で死ぬことを辞め、鬱病の投薬を受け、自分自身と向き合うことにし、
社会復帰を目指しました。
そして、
旅にもいつか終わりがやってくる、でもそれは自分で終わりを決めないといけない。
僕自身、この瞬間に旅が終った事を自覚しました。
また、壁にぶつかった時に、「自分を許す事」これが、ひとつの心の重荷を軽くする方法だと、旅先の牧師から学んだのでした。
事実を受け止めるのは、非常に残酷で、そして労力がいります、
しかし自分を認めない事には、身体も精神も健康にはなってくれないのです。
「鬱病である事」「社会に接してない事」「死にたくても、死ねない事」
僕は、この事実からずっと逃げていた2年間でした。
色々な人に迷惑を掛けたかもしれない、心配させたかもしれない。
幾ら謝ってもいいから、自分の言葉でまた人間関係を作り直そう。
僕は自分を許して、生きて行こうと決心しました。
これまでの自身の行動や、罪や、行為、すべてをひっくるめて、
今度は、読者様が自分を見つめて許す旅をして貰えたら幸いです。
※実際に、筆者は外に旅に出ましたが、旅に出なくても変われると思います(笑)
御読了ありがとうございました。
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