思い出の扇子

家中のいらないものを処分しようと、押入れの掃除をしていた。
すると、どっさりと入れられた団扇の袋が出てきて、それを広げて見ていたら、物凄く思い出深い一枚が出てきた。
それは,TUBEのコンサート会場で配られていた団扇。

あれから14年になる・・・
「懐かしい・・・」
その反面、心が痛いのも事実だった。
なぜなら、一緒に行った相手であるAは、もうこの世にいないからだ。

私には、今の夫と出会う前に、心の底から信頼していたAという人がいた。
 
私が大学を卒業して、社会人になったばかりのころ、友人の主催する、BBQ大会で私たちは知り合った。
出会ったとき、彼は、とても辛い過去のせいで、鬱という心の病を抱えていた。
そして、その時は確か、精神科から退院し、仕事復帰してから、2カ月目ぐらいの状態だった。
友人は、それを気使い、彼を誘い、そして、その話し相手に私を選んだ。そして、必然的に二人は親しくなった。

何回目かのデートののち、彼から、過去を含めこれからちゃんと、付き合ってほしいと告白を受けた。
そして、私も、彼の壮絶な過去を含め、その病を一緒に乗り越えようと誓いを立てた。

しかし、その思いは長くは続かなかった。
私が、恋愛よりも、仕事に楽しみを見いだしていったからだ。
そんな中、何かにつけてひどく落ち込む彼の繊細さが、だんだん疎ましく思えるようになっていく。
小さなことでも、彼は事あるごとに、何かに執着して、その何かに妙にこだわりを見せた。
歳が5つも上なのに・・・私には、彼のその態度が頼りなく、情けなく映りはじめた。
そして、いつしか私は、彼に対する優しさを見失ってしまった。

愛がなかったのかもしれない。
愛と呼べるほど、彼の事を分かろうと努力しなかったからかもしれない。
 
結果的に、私は、彼を見捨ててしまった。
若かったという言い訳が一番無難で、真意だったと思う。


やがて、ステップアップを考える自分と、反対する彼との間に生まれた衝突を処理できなくなり、互いに距離を置こうと、二人は別れた。
そして、私は、一人日本を飛び出した。

それでも、連絡だけは取り合った。
彼が、別れた後でも、私の誕生日の一日前8月16日になると必ず電話くれたからだ。

「お前、今、幸せか?一日早いけど、誕生日、おめでとう。」

彼は、いつも、私の誕生日を一日前に祝ってくれた。

明日一つ歳をとるお前にとって、俺の存在は、必要か?
必要無ければこれ以上関係は続けない。必要なら、今まで通り。というのが、彼の考えのようだった。


彼は、自分が、心の痛みを経験している分、人にもっとも優しく出来る人だった。
しかし、それを理解できるようになったのも、彼との交際を終えてからのことだ。
おそらく、交際中よりも、その後のほうが、彼との距離は縮まった気がしている。
それほど、別れた後のほうが、お互いがお互いを労われる信頼関係が生まれたのも事実だった。

そんなころ、私の結婚が決まり、2006年の初めには、彼も、いい出会いをして再婚した。
これでほんとの友達になれた気がしていた。
お互い良い出会いがあり、よかったね。って言っていた矢先だった。

しかし、彼は、結婚して、たった半年もたたないうちに、自殺により、この世を去った。
しかもその日は、私の誕生日の一日前8月16日だった。

それでも、私は、その事実を、4カ月間、つまりは12月になるまで知らなかったのだ。
彼の奥さんが、実家に送ってきてくれた喪中はがきで、その事実を知ったからだ。
もし、その葉書を送ってきてくれなかったら、おそらく私は一生、その事実を知ることはなかっただろう。
彼としては、そのほうが本望だったのかもしれないが・・・・・。

なぜなら、あの日も、私と彼は、連絡を取りあったのだ。
あの日私は、確かに国際電話で、彼の声を聞いた。

「◯◯、お前今、幸せか??」
「うん。とっても。子供ももう大きくなったんよ~。見せたいわ~Aにも・・。
Aも、結婚おめでと。おいしいご飯ばかり食べて、太ったんちゃうの?」
「あ、うん。まあな・・・」
そんな会話をした。
至って普通だった。

だけど、あの喪中はがきが事実なら、彼は、その日、死を選んだことになる。

もしあの時、私が・・・・・
もっと、彼の気持ちの変化に気が付いていれば、どうにかなったんじゃないかって、今でも思う。

私は、自殺をする人間を肯定はしない。
なぜなら、生きたくても生きれなかった人たちを、今までたくさん見てきたから・・・。
だけど、そうしなければならなかった彼の心の弱さや、優しさも、分からなくもない。
だから、心が痛くて仕方がない。


人は私のことを、正統派で、まっすぐしか歩けないって、言う。
彼のような繊細な心の内を分かろうともしないで、○か×をつけてしまう。

そうかもしれない。
私は、きっと、そう言う人たちの心の痛みが、ちっともわかっていないと思う。

彼がこの世を去った理由は、今でも定かではない。
でも、死を選ぶ理由の何パーセントかに、私も含まれていたことは否定できない。

もし、若かりし頃の月日を遡って、あの時、私が、夢を選ばず、彼を選んでいたら…と、考える日が時々ある。
正直、「これも運命!」と言ってしまえるほど、私も強くはない。

子供たちの寝顔を見ながら時々、あのころを振り返るときがある。

私は、母親という立場上、おそらくこの事実を子供たちには、語らないだろう。
でも、あなたたちは、人の心のわかる人間になってほしい。

同じ過ちを犯さないでほしい。
それは、どちらにとっても、とても、辛いことだから・・・・。

なんで、みんな上手く生きられないんだろうね。
どうして、心を病むんだろうね。
生きてるって、ほんとは、もっと楽しいことのはずなのに・・・・・。
なんで、みんなそれを分かろうとする前に、諦めてしまうんだろう。

私は、団扇を袋の中にいれ、また押入れの奥にしまい込んだ。
良い思い出になるはずだったのに、とても苦い思い出になったこの思い出の団扇。
この団扇は多分、一生捨てられないと思う。

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