生かされている理由
何時間かして、テントが吹き飛びそうな勢いで、粉雪をまき散らし空からヘリコプターが下りてくる。
下りてきたレスキュー隊員に、名前と歳を聞かれ、私は、ベッドに固定されたまま、ヘリコプターに乗せられ、ウイスラーの病院に搬送された。
Hの捜索はスノーモービル6台とへリコプターを使って行われた。
私は、病院について、目の上に大きく開いた傷ぐちを縫う手術が行われ、15針縫った。そして、両手両足が、酷い凍傷になっていたので、薬をつけて包帯でぐるぐる巻きにされていた。
丁度、目の手術が終わったころ、Hが見つかったことを聞かされた。Hは、意外にも大した怪我もなく元気だった。
私とは反対側の山の中で、見つかったそうだ。
その時、嬉しい半面、会いたくないような、複雑な気分だった。
分かっていた。私を助けるために、そこを離れたということ。でも、あの頃の私は、それを理解出来るほど、まだ大人ではなかった。
私は、3日後車椅子のまま、日本に着いて、赤十字病院に搬送された。
体がかなり弱っているのと、左肩骨折、そして凍傷を完治させるために、約2週間入院した。
Hが、何度もお見舞いに来たが、私は、昔のように仲良く話が出来なくなっていた。
許せない。私を見捨てて、そして私に救われたくせに、今ベットにいる病人の私を平然と見下ろしている。
許せない。絶対許せない・・・・そんな感覚が、自分の中に長く、くすぶったまま消えずにいた。
長いわだかまりをずっと抱えたまま、私達は、大学を卒業して、お互い働き始めたことで、Hとはもう会う機会を失った。そこから私は、長い間、他人に対して、信じる心を失い、どこかで被害者面をして居た気がする。
いつだったか、そんな私を酷くなじった男がいた。
「そんな生き方つまんなくない?」
「おそらく君は、多分生かされてるんだよ。生きてまだすることが、いっぱいあるって・・・。そんな目にあっても、まだ生きてる。人を逆恨みする時間があったら、今のこの人生を楽しく生きるべき。裏切られることを恐れたら、人は誰とも分かりあえない。」
彼は、そう言って、私の心の闇を取り除いてくれた。
15年前の悪夢の出来事から、私は、確かに変わった。
その後も、病魔、テロ、友人の自殺・・・私のその後も、順風満帆とは言い難かった。
でもね、生きていることに、ありがとう。
遭難の後遺症もあり、子どもが育ちにくく、2度流産した。沢山目を腫らし、沢山心を痛めたけど、それでも、何とか、双子を出産した。
そう、これが、生きていればこそ、得られたもの。
自分が、不幸だと思った時、他人が偉く幸せそうに見えたりもする。
でもね、幸せそうにみえていても、その人の中にも、何かしらの不幸がある。
自分だけ…なんて考えるほうが、傲慢チキなこと。
天使たちがいつも言う。
「ママ、大好き!」
その言葉に私は、子どもたちを抱きしめながらささやく。
「ありがとう」
あなたたちの笑顔が、私の生かされていた理由かもしれません。
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