TOEIC350点、貯金無し、今までパスポートすら作ったことの無かった大学生が実費0円で世界一周した話。

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次話: 初海外で世界一周!初日にロサンゼルス空港でパスポートを無くした話
ユースケ
町おこしの取り組みについてお話を聞かせていただけないでしょうか。
商工会の方
実は納豆は秋田が発祥の地で、俺たちは納豆汁を大曲の郷土料理として全国に売り込んでいるところだよ。


故郷のために必死になって、大人が団結して盛り上げている姿を見て胸が熱くなった。僕もこの方達とともに故郷に貢献したい。そんな想いが込み上げてきた。

商工会の方のお話を聞いて、埼玉に帰りしばらく自分がどのような形で貢献出来るか一生懸命考えて、一つの企画食を作った。それをメールでお送りした。


ユースケ
お世話になっております。斎藤です。先日はお忙しいところ商工会青年部の取り組みについてお話をしていただき、誠に有難う御座いました。あれから自分なりにどう貢献出来るか考えて、企画書にまとめました。お時間のあるときにお読みいただけると幸いです。

そうすると返信が来た。


商工会の方
面白い!斎藤君の旅を大曲商工会青年部として応援していきたいと思う。納豆汁海外調査特派員に任命する!


そのメールを見た瞬間、感激した。地元に少しでも貢献するという夢が一つ叶った瞬間だった。企画書の内容は、世界一周中に納豆汁を各国で振る舞い、外国人が納豆汁を食べたときのリアクションを動画や写真で撮って、それをメディアで発信するというもの。納豆といえば、日本人でも好き嫌いが分かれる。そんなものが外国人に受けるのか。答えはノーかもしれない。例え受け入れられなくても、とにかく納豆汁を食べたときのリアクションを撮って、それをコンテンツにすることに価値があると考えていた。


世界一周前にもう一度地元に帰り、商工会青年部の会議に出席させていただいた。改めて、この度このプロジェクトにご協力いただくことへの感謝の気持ちを述べさせていただいた。商工会青年部の皆さんは温かく迎えて下さり、打ち上げでは決起会まで開いて下さった。


商工会の皆さん
今晩は世界一周に旅立つ斎藤君を送り出す会だ!乾杯!


目の前には、地元の郷土料理がずらりと並び、もちろん納豆汁もあった。思わずよだれを垂らしてしまうほどのごちそうを前に、テンションが上がった。美味い日本酒と美味いつまみと共に自分の親の世代の方々と杯を交わす時間はとても有意義だった。

そんなとき、一枚のざるがテーブルにやってきた。


商工会の方
斎藤君の予算が足りないらしい。みんなの気持ちをこのざるの中に!


なんと、時計回りでざるがテーブルを一周するとそのざるの中にはお札がたくさん乗っていた。


商工会の方
斎藤ってもしかして○○ちゃんの息子か!?
はい、そうですが、母さんのこと知ってるんですか?
商工会の方
知ってるも何も、小さい頃一緒に遊んでたよ!!そうか、そうか。それじゃあもう一万!


そう言って次々とお金がざるの上に乗っていく。

地元の方々がここまで僕にしてくれるのはなぜだろう。応援して下さる皆さんの表情はとても楽しそうだった。故郷への想いを伝え、それが届いたことが本当に嬉しかった。人生を持って恩返ししたい。大曲を日本一、世界一の街にしたいと思った。そんな温かい故郷の温もりを感じた素敵な夜を過ごして、地元の方々の多くの期待を胸に夜行バスで埼玉に帰った。




40万円のクラウドファンディングをサクセス!




クラウドファンディングというサービスをご存知だろうか?

クラウドファンディングとは、自分のやり遂げたいアイデアをネット上で不特定多数の人たちに発信して、それに共感した人々から資金調達をする仕組みだ。このサービスを少し前からよく耳にするようになっていたが、いざ自分が使うとなるとかなり抵抗があった。もし、全然お金が集まらなかったらどうしよう・・。失敗したときは逆に、出国前にネガティブなイメージを発信することになると思った。お金を集められて、より多くの人々にPR出来る手段なら何でもやろうというスタンスだったが、上記の理由で開始することに躊躇ってしまい、出国ギリギリになってやっと利用することを始めた。募集期間はなんとたったの3週間。それでもクラウドファンディングは最初と最後の一週間が重要だということを聞いたので、その期間でも充分いけると考えた。

ドキドキしながらいよいよ募集開始!公開開始から3日以内に25%を達成するプロジェクトは成功率がぐっと上がると聞いたので、当プロジェクトの場合40万円のうちの10万円を3日以内に集めることが条件だった。スタート同時に初日から支援してくれた方もいて、本当に嬉しかった。誰も支援してくれなかったら、本当にどうしようと不安だったから、少し安心。しかしながら、10万円に到達することが出来ず、8万円ほどで勢いが止まってしまった。そのあとも1週間が経過しても10万円ちょっと、2週間が経過した時点で半分の20万円もいかなかった。残り1週間で20万円ちょっと集めなければいけない現状にかなり焦りを感じた。どうやらweb上だけで呼びかけるだけではきついらしい。ほとんどの候補者はリアルな場でイベント等を開催して、支援してもらえるようにお願いする。ラスト1週間でイベントを開催するのは不可能だ。

そんなとき、一つのアイデアが浮かぶ。動画だ!!自分の想いやプロジェクトの内容が5分で分かる映像を作って、みなさんに発信したい。そう考えたとき、映像を作るのが好きな後輩にすぐさま連絡して、すぐに集まってどんな映像を作るか話し合った。なるべくシンプルに伝えやすく。そして、撮影を始めて編集をした。やろうと思いついてからその間たったの3日間。後輩に心の底から感謝した。


動画はこちらから見ることが出来ます。


facebookなどでその作った動画をリリースすると予想以上の反響があり、感動したという声を多くいただいた。その日から急に流れが変わり、追い風になった。ラスト3日間ということもあって、普段からお世話になっている社会人の皆さん、獨協大学のOBOGの皆さん、地元秋田の皆さん、大学の先輩、友人、後輩など社会人から学生まで身の回りの実に幅広い方々から支援をいただいた。中には学生なのに3万円支援してくれる友人がいたり、後輩が家に帰って家族全員でカンパします!と言って1万円支援してくれたりした。おかげさまで、締め切りの3時間前に無事に目標金額を達成して、最終的には50人の方々の支援をいただいた。サクセスした瞬間は、後輩達と居酒屋で乾杯をして密かに打ち上げをした。

本当に嬉しく嬉しくたまらなかった。この23年間の人生は間違いなかったと、僕は周りにこんなに恵まれているということを肌で感じることが出来た。みなさんの声援と激励で、自分の心が震えているのが分かった。




協賛活動期間中の大きな失敗。




順風満帆に進んだ協賛活動の中で、唯一悔いの残る失敗がある。それはインターン先とも関わりがある一人の社会人の方に失礼なメッセージを送ってしまい、二度と連絡を送ってくるな。二度と顔も見たくないと言われてしまったことだ。その方からデジカメを譲っていただくというご連絡をいただいたときに、舞い上がってしまいその方の気持ちをおざなりにするような態度を取ったことが原因だった。自分なりに丁寧にメッセージを送ったつもりだったが、全然甘かった。一人の社会人の方からの信頼を完全に無くしてしまい、僕はかなり反省して、二度とこのような過ちを繰り返さぬようこの甘ったれた性格を直そうと思った。このことから目上の人のこだわりに気を付けること。メールの文章から相手の意図を察することの大切さを学んだ。

ある日、いつものようにインターン先に出社するとテーブルの上に一つの紙袋があった。その中にはなんとデジカメとその社会人の方の手紙が入っていた。最初どういうことか理解出来なかったが、インターン先の上司の説明を聞くとどうやら、その社会人の方が先日デジカメを入れた紙袋を僕に渡すよう置いていったのであった。気が動転しながらその紙袋の手紙を読んだ。

「斎藤さんの甘ったれた性格がすっかり嫌いになってしまった私ですが・・・」という冒頭から始まり、カメラについてほとんど無知の私のために長文で説明書きと「どうせ美味い飯の写真くらいしか撮れないだろうから・・・・。」という少し挑発的な文章から感じるその方なりの激励の言葉があった。手紙を全て読んだとき、あまりの器の大きさに頭が上がらない気持ちになった。今の未熟な自分ではその社会人の方に謝罪と感謝の気持ちを述べることは出来ないでいる。僕はこの旅で自分の甘ったれた性格を直し、小さくても良いから一つの成果を残して、その方に自分の想いを伝えることがこの旅の目標になっている。




様々な方々の想いが詰まった150万円を集めて、いよいよ出国。




企業協賛、地元からの援助、クラウドファンディングの他にも、出国前にお世話になっている方に、最後にご飯に連れていってもらい、帰り際に餞別として1万円を20人近くの方々からいただいたし、金銭以外にも物品をいただいたりした。そして、気がつけば目標金額の150万円が集まっていた。

正月に先輩から叱咤されてから徐々に本気で協賛活動を始めて5月までの、この5ヶ月間実に色々なことがあり、僕自身人生で一番多くのことを学ばせてもらった期間でもある。この150万円という金額はただのお金ではなく、様々な方々の想いが詰まっているものだ。この協賛活動を始める前から決意したことがある。それは、自分だけのための人生を送らないこと。まずは親や兄弟や友人、地元や母校の人々、身の回りの応援して下さっている社会人の方々にとっても楽しいと思える人生。そして、僕が生まれることで自分が生まれた1991年5月5日の世界から、自分が死んだ日の世界を引いて、社会がより良くなる人生を送りたいと思っている。この多大なるご恩をお返しするにはもちろん、その方々からに対しての感謝の気持ちを忘れないこと、直接的な何らかのお返しをすることが最低限必要だが、僕が将来社会に対して貢献することが最大の恩返しだと考えている。

僕にとってこの「世界のおふくろの味を巡る旅」は、今までの生きてきた人生で得たことを最大限にアウトプットする旅であることと同時に、自分が今まで見たことの無い世界を見て、新しい人生が始まる旅でもある。失敗は許されない。そして、人々の期待に応えるだけの旅ではなくて、期待以上の成果を残してくるのが僕の使命だ。




2014年5月21日の昼過ぎ、僕は居候させてもらった後輩と成田空港にいる。まだ、自分が数時間後日本以外の国に立っていること、地球を一周することが全くイメージ出来なかった。多くの不安に胸が張り裂けそうだ。しかし、今はその感情の他に、なんとしてでも応援して下さっている方の期待以上の成果を残してやろうという気概に満ちあふれている。この旅で自分の新しい人生を切り拓いていくんだ。そう思いながら、僕はロサンゼルス行きのフライトに乗った。






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初海外で世界一周!初日にロサンゼルス空港でパスポートを無くした話

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