人材難時代に感じること。現場の視点から
介護業界はどうして人が集まらないのか?
老齢化社会を迎え、老人介護の問題が非常に大きくクローズアップされている。日本は老人大国となり、老人数が年々増加していく。それに伴い介護関連人材も必要となるが、実態は介護人材の需要に対し供給数は全くの反比例となっている。一般に介護施設へ採用された介護労働力の36%は1年以内に離職し、勤続3年以内に離職するものはなんと60%にも及ぶ。ほとんどの介護施設は人材を定期に採用出来る術を持っておらず「(面接に)きたものはよほど大きな問題がなければ100%採用する」というものである。その理由としては、低賃金、負荷の高い労働、人間関係の悪化、慢性的人材不足による求人難などがある。介護の仕事の現場は想像以上に悲惨なものらしい。当工場系人材派遣会社の面接官をしている筆者は多くの介護労働者が施設を逃げ出し、工場や物流系に求職している者を多く見かける。彼らに話を聞くと、介護業界はおおむね低賃金である事を転職の理由として挙げるが、さらに踏み込んで本音を聞くと「とめどもない労働の多さとひどい人間関係」を取り上げる。彼らにとって低賃金は何とか納得できる、きつい肉体労働も理解できる、しかしタイムカードレスの長時間労働と職員間の人間関係のひどさには耐えられないと異口同音に語る。職場環境がひどいのは、数施設に限った事ではなく、介護業界全体の問題だ。こんなにひどい労働が続くのなら介護の資格なんて捨てて、自動車工場のラインで油まみれになる方がまだましだと彼らは言うのだ。確かに工場はきつい労働こそあるが日々の労働時間が決まっている。人間関係も皆良品を作るという意思統一の下で一致団結している。ところが介護に至っては意思統一どころか採用しても次々に人が脱落し、辞めた人間の仕事を残った人間が負担しなければならないという有様だ。職員は疲れ果て職場の空気はどんどん淀んでいき、あちこちで苛めが起こる。これでは残った人間は退職届を出しても辞められない。施設の塀を乗り越え逃げ出し人材派遣会社の登録に行くしか方法がないのだ。
介護に限定せずどんな業種も人の集りの良さや定着は、賃金よりも働く環境の良さが要因として大きい。大抵の職場は管理職や経営職など金に目がくらむ人間以外は、職場の環境を働く重要な意義として捉えられるのだ。介護職はどの業界も低賃金でまかり通っているが、安い賃金でもやりがいのある仕事なら求人すれば応募は必ず来る。それが全く人が来ない業界である理由は、既に「介護は労働環境がひどい」と多くの人が認識しているからなのだ。職場環境が悪く、さらに低賃金、全く未来が見えなければ、老人社会を手助けする担い手として希望に胸ふくらませ介護の門を叩いた若者たちは一瞬に絶望しすぐに離職を考えるだろう。それが上記のひどく高い離職率に反映されていると思う。統計では介護事業者が自社介護要員を不足と考えているのは全体の50%に上る。要は募集をかけても誰も来ないのだ。(下記介護事業者の人材需要実態グラフ)
一方で老人は増え続ける。需要が増え供給が追い付かないどころか、介護事業というシステム維持すら今は難しくなってきているのだ。
ではこれからどうすれば良いのだろうか?政府は外国人人材を登用する計画を進めている。現時点で一番注目を浴びているのがベトナム人である。ベトナム人は日本人と同じ宗教、習慣、考え方を有しており、彼ら自身も日本での就労を希望している。
現在当法人はベトナム留学生の仕事斡旋を行っている。一般に派遣や職業紹介といった有料のサービスではない。ベトナム留学生が安心して日本での就学、就業ができるよう受け入れ先を探し、仕事のお膳立てをするだけの話だ。とはいえボランティアではない。企業から一定の管理費用を請求する。雇用主は企業側となる。いわゆる「外国人留学生のため、日本社会のための人材アウトソーシング事業」である。
提携先はベトナムに人材会社を経営するF氏の「Sワークスタッフ」である。ベトナム人留学生の殆どはズブの素人ではない。ベトナムの国営看護医療学校を卒業した生徒である。その彼らが日本を目指し、日本での介護資格取得に向けて来年来日するのだ。
この事業がどのように日本の介護事業フィールドに一石を投じる事が出来るかわからない。しかし、採用しても人が来ず、来ても入社に至らず、採用しても1年で辞めてしまうという負のスパイアルを続けていく介護業界に取って大きな救いの船になるのではないだろうか?
この話を私の友人である介護事業の専門家にお話した。すると彼は即座にこう言った。「こんな金の取れない事業をしてどうなる?第一ど素人(介護において)入れても介護報酬を国からむしり取れない事業者がびた一文無資格の外国人なんかに払えるだろうか?」
そうだ、お金の問題は大切だ。しかし、介護報酬が取れないからと言ってこのチャンスをうやむやにするつもりだろうか?介護報酬が取れなければ他の収益を考えるのが経営者だ。では、どこにも介護有資格者がいなくても居るまで探し続ければ良いと言うのか?多分介護事業者の半数以上は彼のような頭であると推察する。まるで戦時中の「大鑑巨砲主義」的な発想、だから相変わらず「30歳くらいまでのピチピチした有資格者」を地の果てまで追い求めるのだろうか?それは間違った考えではないのか?現に同じ人材不足で喘いでいる建設業はいかなる方法でも人を獲得しようとしているのだ。外国人がノービザでありおうと彼らは人を求め採用する。例えばプロ野球の某球団のように、有名プレーヤーが獲得できなければ我々は野球で勝てない、と言って有名プレーヤーばかりかき集めるチームは本当に常勝軍団なのだろうか?現に高卒プレーヤーしか採用出来ていない某球団でも、ちゃんとプロ野球クライマックスシリーズに残って戦っているではないか。理想の人材が取れなければ今ある人材をどう活用するか工夫をするのが本当のプロだろう。
みんな無いものねだりをしている。私は人材派遣会社にいて企業の採用スペックを見ていると相変わらず「30歳までの男子、健康で若くスマートな人」というオーダーを見かける。まるでモデル事務所の採用広告だ。こんな人が日本中にいたらなんの苦労もないだろうが、もう世の中は変わってしまった。今いる人材をどう起用するか、主婦でも高齢者でも、学生でも起用の方法はいくらでもある。上手に雇用する為に頭に汗をかいて考えてみる必要がある。十数年前までのように体育会系の学生さえ採用していれば企業は安泰、という時代では既にないのだ。
外国人雇用について思うこと
日本人は「タラレバ」が好きだ。何につけても最悪の事態を想像し、それを不安がる。例えば外国人ならば「強盗事件をおこしタラ」「逃げられタラ」「仕事が全然できなけレバ」
。外国人雇用をすると常に問題が発生すると考えている人が多い。だから「犯罪起こしたら、人を傷つければどうするのか?あなたは責任を取るのか?」という議論を持ち出す輩がいる。日本人であれ、外国人であれ社会にいれば何かしらの問題が出るだろう。今は小学生がナイフをもって殺人を犯す時代だ。
私も数十年前外国人派遣会社に努めていたが、問題は日常しょっちゅう起こっていた。しかしその問題の大半が日本と外国の文化摩擦によるものだった。問題が発生するとすぐに現場に飛び対策会議を開いていた。現場の通訳管理者に聞くと、殆どが日本人社員と外国人労働者との意見の食い違いだった。そこでまず私は外国人従業員の教育に踏み切った。十分日本の習慣を教え、そして彼らは理解し次から問題を起こさないようにした。一番厄介だったのが当の派遣先の日本人社員だ。何度言っても、言っても何も理解しようとしない。しまいには「我々は彼らを指揮する立場だから」と逃げ切ろうとする。間違っていないか?同じ人間だろうが。私が一番苦労したのは派遣先の日本人社員の意識を変えることだった。外国人労働者の気持ちを理解している社員もいたが、殆どは力関係で押し切り問題を解決しようとする輩ばかりだった。
その後外国人派遣会社を辞め、今度は日本人専門派遣会社に入社すると、問題は更に多くなった。
脱走、喧嘩、窃盗、強姦、しまいには麻薬まであった。外国人労働者よりはるかに問題が多かった。その延長上にあの2008年秋葉原の殺傷事件が起こったのだ。
現場の視点で見るとこのような感じだ。結局外国人労働者を雇用する危険を大声で言っている人間は現場の視点を欠いている。特に週刊誌やTVなどでしゃあしゃあと外国人批判をしている人間にこのタイプは多い。よく政治家で「・・・の税金の無駄遣いは許しません。私はこれに戦ってまいります」と街頭で声を上げてスピーチをする輩がいるが、実は君自身も税金の無駄遣いだということに気がついていないか。税の無駄使いを指摘するなら人前で何も言わず行動にでろ、ということなのだ。
「タラレバ」から生じる不安感が増長されれば今度は恐怖となり、妄想に走り犯罪につながる。タラレバ意識はどこかで断ち切らなければならない。
少しずつ改善の兆しが見えてきた
介護人材については本当に深刻だ。いや、介護だけではなく建設、サービス、物流、ITなど多方で人材不足に瀕している。なぜ人材不足なのか?理由は簡単だ。国も自治体も事業者もないものねだりに走っているからなのだ。今すぐにでも働きたいという人たちは無数にいる。50歳以上の人、主婦、学生、派遣社員、アルバイト社員そして外国人。その人たちを親身になって考え、受け入れようとする姿勢が今の社会や企業に本当に見られるのだろうか?私が思うに、従業員はお客様と同じだ。どこの企業もお客様を気持ちよく迎え入れるために様々な努力をしているだろう。商品をよくするとかおまけをつけるとかセールをするとか、それと同じことを従業員にすればよい。それを怠っているから企業や業界によっては人が集まらず経営に四苦八苦しているのだ。どうしてこんな簡単な理屈がわからないのだろうか?
最近ブラック企業と称される企業の業績が深刻なまで低迷している。過去のデフレの時代、従業員をロボットのごとく使用してきたツケが今回ってきている。従業員を月300時間も働かせ、成績があがならないと罵声を飛ばし中には暴力を振るう会社まであった。最悪の結果社員が鉄道に飛び込み自殺し、朝の通勤電車が不通となりそのツケを社会が負うという皮肉な結末が生じる。本当に本末転倒である。そんな従業員を大切にしない企業が長らく生き残れると思っているのだろうか?ブラック企業の考えや行動が社会をより貧しくしているのにみんな気づき始めた。こうした企業の業績が悪化するのは当然の報いだ。
もう一度いう。従業員を大切にしない企業は絶対にこの先生き残れない。経営者は襟を正して考え直すべきである。
介護業界も同様だ。人のせい、国のせい、社会のせいにするくらいなら、今ある人材資源をどう活用するか、真剣に考えてみれば良い。そしてプラス思考の中本当に必要な人の活用法を編み出し、同じ人材不足に苦しむ業者と共有を行えば良いと思う。自分たちに足りなかったものはなんなのか、何をすればもっとよくなるのだろうか?
いま人材業界は究極の「人手不足」に見舞われている。最近求人誌でも人材派遣会社の求人を見なくなった。掲載コストが高い上、アポイント数が伸びずコストばかり垂れ流ししている状況なのだ。今どこの派遣会社でも、「仕事ありき求人」から「人材ありき求人」へシフトし始めた。要は働く者目線で求人を始めたのだ。
今までの求人は「・・・組立、時給1、000円、2交代制、長期、男女30歳まで」という無機質な求人内容だったのが、ある派遣会社の求人を見ると、「広島宮島の風光明媚な台地に建てられた工場、社員寮の周囲にはショッピングモール、スポーツジムが建ち並び名物の牡蠣飯も味わえる素敵な場所です」とあり、時給や勤務形態は最後の方に少しだけ記載されている。働く人を意識した人材目線での広告である。これなら昼夜交替勤務が嫌でも広島に行ってみようかな?と考えてしまう。また、職場内でのサークル活動、社員旅行、スポーツ大会などを催す企業も出てきて、是非うちに来てくださいと言わんばかりにPRしている。デフレ時代の「仕事があるから来な」という企業目線の広告ではない。
時代は変わった。今までの派遣会社は「いつ切られるかわからない不安定業種。賃金をピンはねするだけで何も助けてくれない。まさに奴隷制度」という認識がリーマンショック以来定着し続けた。それが最近になり「正社員になるチャンスがあるし、仕事も選べる。引越し代もだしてくれるし、職場での社員は非常に面倒見が良い。」という印象に変わってきた。本当に働く人の目線での業界に変わりつつあるのだ。
これから人材難時代は続く。それでも人手が全ての業界には必要だ。企業にとっては「賃金はなるべく抑えたいが長く働いて欲しい。希望を言えばベテランになって後輩を育てて欲しい」という思惑がある。それを達成するためには低賃金、使い捨て、長時間サービス残業をやっていては何百年経っても達成は無理だ。人と人、人と企業、人と社会をどう結びつけるか、その為に今我々は何をすべきか真剣に討議する時期に来ている。
私は今後の人材派遣会社に大きな期待を寄せている。そして派遣会社が社会に大きな貢献を果たすために、自社の自助努力ばかりではなく、人材、企業、社会、政治、そして同業者を巻き込み改革をしていってほしい。どちらも相当な思惑があるが、基本達成したい目的はそう変わらない。人は気持ちよく働きお金をもらう、企業はお金を払い長く働いて企業に貢献して欲しい、社会は弱者を助け明るいムードにしていきたい。統一事項は「元気を得る為に皆で団結し頑張ろう」なのである。
介護業界も変革が出来るはずだ。3Kで人が集まらず日々の業務に四苦八苦している状況から一歩抜け出して見ないだろうか?高い山に登り頂上から人間社会を鳥瞰してみたらいかがだろうか?きっと良いアイデアが出てくるに違いない。
最後に地球の住民として期待したいこと
概ね辛口な意見になった。私はいま介護を人材不足の最も深刻な業界としては捉えていない。介護事業でも真面目に従業員に優しく、やりがいを常に考える経営者は山ほどいる。そのような人たちに我々の事業との接点を作っていきたい。もちろん上記のような状況も十分出て来ると予測されるだろう。こと外国人雇用についてはこの国は恐ろしく閉鎖的だ。事あることに「外国人に乗っ取られる」「外国人に(資本を)買い取られる」という意見が出ているが、現状は日本の株式の多くは既に欧米の投資家に買い取られてしまっているのだ。中韓企業も日本企業を買収し始めている。今更バタバタしてももう遅い。
そんな現象は日本だけではない。世界中全ての国々に共通する。今考えることは、そんな株式とか杞憂的な発想ではない。人間として人間らしく心地よい社会の基盤を形成することなのだ。日本人とか外国人とか一線を画すことは必要ない。皆地球の住人だと思えば良い。東日本大震災の際あれほど外国の人の優しい差し伸べがあったのを記憶しているだろう。日本が世界から尊敬される国だという理由からではない。皆地球の住民として困惑している被災地の住民に心から支援していただいた事なのだ。今度は日本が海外に恩返しする番だと思う。そこには中国とか韓国とか国境を隔てた議論は一切必要ない。日本に来たい人材は普通に受け入れれば良いし、海外に行きたい人は普通に海外に行ければ良いと思う。
憂うのは己の貧しい心だ。金になるかとか、会社のためになるとかそんな打算的な発想は捨て去れば良い。金から発想した結果は全ての貧困を生み出す。しかし人は一人一人が社会に貢献し、目に見えない最大の貢献を果たす。それが金であろうと、愛情であろうと、そんなことはどうでもいい。人はどんな形でも良しと思えば必ず全てに貢献してくれるのだから。
終
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