声を失った。歌いたかったのに。歌いたかったから、声を取り戻した。
このストーリーを別の視点で書いたものになります。
声を失った青年が歌いたいがために、葛藤し悩み苦しみ。そして、声を取り戻した物語
中学生の頃だろうか。変声期に男なのに声が変わらずじまいで、そのためいろんな人にバカにされた。それでも、それでも、歌が好きで歌が好きで。
変声期前の独特の高い声で歌い続けた。そういう環境にありなって周りを気にせず、歌いだけ歌っていた。
中学時代も会話していて、声を、とてもバカにされた。精神的ストレスで自分の声を出すのが嫌になっていった。
高校時代に入ってマーチングバンド部に入ること決めた。カラーガードという旗などを扱うパートだ。ものすごく体育会系で、とても辛かった。先輩の命令は絶対。仕事と変わらないくらいのとても、とても長い練習時間。脱落していった仲間たちもいた。そこで完全に声を失った。いわゆる心因性失声症。声帯を動かさない、英語で言えばkとかsみたいな声を出して周りとやりとりしていた。それはとても聞き取りづらいので、コミュニケーションがとりづらいのだ。とても苦難の日々だった。
どんなに馬鹿にされても、きつくても、つらくても練習に耐えぬいた。関東大会で金賞2位を獲得することができた。全国大会への切符を手にした。こんななかなかコミュニケーションなく、マーチングの才能がなかった。マーチングをすることに才能のない人をよく追放しなかったと思う。確信して言えるのは、それだけ、練習して練習したことだ。日によっては10時間以上練習したと思う。でも、成果は出なかった。練習場所を選ばなければならない。から、自宅でもできることはした。
そして、全国大会。場所は日本武道館。「歌う人」、「ミュージシャン」としての聖地。だが、私は声が出ない。私のマーチングバンドが入場すると割れんばかりの拍手と応援があった。上を見上げると国旗が堂々とある。それでも、悔しさがある。マーチングの才能がないのにそのステージに立ったことだ。
感動が体を包んだ、これが日本武道館という場所にたつということなのか。と。その感動は今も体の中に残っている。ずっと諦めず、複雑な家庭環境や上手くいかない人間関係があったのにかかわらず、音楽を続けた理由だと思う。
それ以後、性格的なところもあって、社会になかなか適応できなかった。試行錯誤し空回りばかりしていた。バカな自分だった。でも、それがあるから、今の自分がある。それはそのとおりなんだ。
アニメが好きだったので、なんとなく見ていたアニメがあった。Angel Beats!だ。岩沢というボーカリストがでてきて、歌が好きな少女だった。だが、不幸があり、声がでなくなる。Angle Beats上の世界では歌を歌うことを、とても楽しんでいる。それをみて、なんとも言えない気持ちになった。
また、アイドルマスターのアニメ版、如月千早にも共感した。トラウマが原因で歌えなくなってしまう。自分と同じだ。と思ってみていた。周りからの助けがあり、それを克服して、歌うことが出来た。
そんな人達に感化され、自分も努力した。努力して、努力して、心因性失声症を克服した。
心因性失声症を克服したら、すぐにボーカル教室に入った。歌いたくて仕方なかったからだ。でも、その間の癖によって、滑舌が悪いものだった、努力して。努力して、今もまだ十分じゃないかもしれない。それでも、気持ちは強かった。そのボーカル教室の事務所所属になった。歌う。でも、上手く慣れなくて辛くて。
とても、上手くなく、いや、下手で。ライブの機会もあまり与えられなかった。辛かった、今考えると自分に甘かったんだろうと思う。結局は、チャンスを手にすることができず、事務所を辞めることになった。
結局その時は、自分のために、自分だけのために歌ってたのだと思う。そこにいる聞いてくれる人を見ていなかったんだと。気づいた。
歌をちゃんと練習することをおこたってきたのだけれども、こんどこそは自分自身と向きあってと思う。今度は、人のための歌を。音楽を。作っていきたい。人間ぐさいかもしれない。だめなやつだと思われるかもしれない。それでもいいんだ。
歌で人を救いたい。希望を与えたい。そういう気持ちがある。
自分自身の中にも目標がある。もっと先のステージに立とうと思う。
現在、ボーカルなど様々な活動をしています!
<了>
HP
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