自分が自分でなくなる場所こそ、自分に必要な場所かもしれない。
日本の南にひっそりと浮かぶ小さな島。
何の縁もゆかりもない、その小さな島々はなぜか私に強い力や勇気、思いっきり深呼吸したくなるような穏やかで優しく、晴々した気持ちにさせてくれる。
初めて訪れたのはいつだったか。
一人で旅に出るなんて考えてもみなかったそれまでの私は、自分の行動力に驚いた。
ふと思い立ったその2週間後には、もう私はその小さな島の土を踏んでいた。
それまで何度も沖縄には訪れていたが、その場所もまた沖縄のなかに多くある島の一つだった。
むしろ、観光地化された沖縄の街に流れる沖縄民謡が流れることもなく、海が見えることがウリのおしゃれなカフェや、森の中で時間の流れをゆったり感じられるのがウリのおしゃれなカフェも少なかった。
何も知らずその地に訪れ、何も知らずにとりあえず海を目指した。
そして、息をのんだ。
今まで幾度となく、本当に幾度となく海を見てきた。
そして幾度となく、沖縄の地を訪れた。
だけど今、目の前に広がっているのが現実のものなのか
自分がその気になれば、飛び込み、潜り、その中に身をゆだねることができる「海」なのか
自分がいま立っていることすらも忘れるほど、引きつけられた。
綺麗とか、そういう言葉が出てこない自分に驚いた。
自分で自分が分からなくなるのは、こういうことなのかと身震いした。
確かにここにいるのになんだか夢の中にいるような、そんな感覚を身を持って感じた。
それから、私はその島に魅せられた。
通いたいとかハマったとか、そういう良い方が正しいのかどうかは分からない。
第二の故郷と言い方も違う。
でも、たまにその地を踏んで、その空気を吸って、あの美しい青さを目に焼き付けると
また明日から自分らしくいられると
安心できる。
そんな場所にやっとたどり着いた気がする。
「そんなに好きなら将来は住むしかないですね。」
なんてよく言われる。
でも、不思議と住もうとは思わないのだ。
住んでしまえば、その場所はもう「特別な場所」でなくなる。
現実となり、生活となる。
言ってみれば、結婚のようなものではないか。
結婚前は彼と過ごす一分一秒が夢のような時間だったのに、いざ結婚すると急に彼が「現実」になり「生活」になる感覚と似ていると思う。
自分が大切にしたい場所や景色は、誰のものでもない。
でも、自分の心がここだと決めれば、それは自分だけのものになる。
自分がのめりこむことができるものは、やがて自分らしさになる。
自分が大好きなものに触れているときは、それが自分らしい瞬間なのだと思う。
だからこそ私には、自分が自分でなくなるほどの大切な場所ほど、自分にとってとても必要な場所なのかもしれない。
著者のコマツ マヨさんに人生相談を申込む
著者のコマツ マヨさんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます