あんなに大嫌いだと思っていたマクロビオティックを気付いたら広めたいと思うようになっていた

物心ついたころには、母親が当時ハマっていたマクロビオティックの教えを毎日受けて、当たり前になっていました。
そこから料理に興味を持ち、5歳前後の私が母親の看病のために作ったお粥が食・マクロビオティックを続けている原点のような気がします。
母がマクロビオティックを始めたのは私が肺炎になり、「どうにか薬を使わないで治せないか」と行き着いた先だったとか。
そのお粥も、普段母親から聞かされていた『椎茸・大根・人参』が入っていたとのこと。
人参は自分で勝手に彩りを気にして入れていたみたいで、私は『色』そのものがとっても好きなんですが、その頃から『色』に関する彩りなどに意識が高かったように感じます。
何気なく過ごしていた幼稚園児代。
給食とお弁当持参を選べた幼稚園に通っていたため、あまり違和感なく通っていた気がします。
ただ「マクドナルドに行ってみたいのに、行かせてもらえない」「お子さまランチを頼ませてもらえない」という不満は当時かなりありまして、「マクロビオティックをやってなかったら食べられたのに…」と子供心に感じていた事を思い出します。
その反動なのか、小学校に上がるとともに父方の実家に引っ越し。
当時は祖父母ともに健在で、祖母は三味線の師範で美味しいもの大好き。
デパートで美食を買って来たり、外食も多く、おばあちゃん子だった私は、マクロビオティックで規制されてきたものを、ぷつん!と糸が切れたかのように祖母と共に母に内緒で食べまくり…
もちろんぷくぷく太るのでバレバレなのですが、約25年前のマクロビオティックは『病気を治すための食養生』。
まったく楽しみなんてありません。
あってカボチャとかやきいも?
元々料理が好きではない母の手料理ははずれも多く、
・食べたいものが食べられない
・美味しくない
・つまらない(子供なので体調がいい!とか感じません)
こんなが重なりどんどんマクロビオティックと玄米が嫌いに
なっていき、小学校1〜5年生まではお肉やお菓子も普通の家庭と同じ物を食べていました。
体重は小学校5年生、身長153cmで既に体重50kg超。
太り過ぎです。
本人は学校でいじめが増えたため痩せたい思いがありながら、そこまで痩せたいとは思っていませんでした。
そして、毎年「今年こそは痩せようね!」と痩せさせたい思いが本人以上に強い母が、小学校5年生の終わりに、いきなり私を連れて行った場所がありました。
そう、マクロビオティックの半断食道場。
当時の私はよくわからず大激怒!!!
「また食事に規制をかけるのか!!!?」と怒りながら、八王子の奥まで連れてこられ、帰る費用も持ち合わせてないので渋々従ってやることに…
(といっても、飲まなきゃいけない「蓮根湯(れんこんとう)」というものは『吐き気がする』と言って飲みませんでした笑)
小学生なのでお昼は給食。
しかし、半断食中なので決まったもの意外は食べられません。
周りの子達に「なんで一人弁当なのか?」と質問攻め。
先生にも理解が薄く、説明してくれるもこれが更にいじめちっくな環境を作ってしまうのです(笑)
小学校時代の半断食はこれ1回きり。5日間で5kg減。
大きいし、本人としてはうれしいけれど、また食事の規制をしなければと思うと、痩せる事よりも食べる幸せの方が勝っていて、またやりたいとは思っていませんでした。
中学校は受験をして八王子の私立へ。
お弁当い恐る恐る玄米を持っていくと、今までとは周りの反応が違いました!
「玄米って美味しいよね〜おばあちゃんが作ってる。私も好きだよ〜。」という子が多数。
嬉しくなって、マクロビオティックのメニューが入ったお弁当を持っていくのがむしろ楽しくなりました。
そして中学校1年生の冬、大好きだった祖母が亡くなり、介護で疲れたカラダを癒す為に母がまた半断食をスタート。
お弁当を友達に褒められていたので、興味を持ち、一緒に便乗したのを皮切りに、どんどんマクロビオティックの半断食にハマっていきました。
元々料理が好きなので、半断食を主宰している団体が経営している割烹の厨房でお手伝いをさせてもらうこともし、友達を連れて行くまでに変化。
当時の社長が優しくいろいろと教えてくれたり褒めてくれるのが楽しいというのもあったんだと思います。
半断食後のカラダの軽さや肌の変化、くせ毛だった紙がサラサラのドストレートになるなど目に見える変化も面白くなってきて止まらず、年間4回は5日または3日の半断食をしていました。
お金もかかることなのと、団体との関係もあり高校1年生に1回半断食をしたのを最後に、半断食もその団体との関わりも終わっていきました。
そして、食事もマクロビオティックの食事も入れながら、通常の食事に戻っていきました。
大学・就職の間も食には興味があり続け、某デパートの食品営業部に配属。
マクロビオティックとは無縁な場所で、いろいろな美食を口にしていきました。
その時期を振り返ると、病気になったときや友人が体調不良やお肌の悩みがあるときはすべてマクロビオティックを勧めている自分が。
しかもナチュラルに。
自分自身の肌がきれいなことが、友人達の興味を惹いていたようで、「普段なにしてるの?」からマクロビオティックトークというのが定番でした。
自分から勧めたりはしないけれど、マクロビオティックのお店もクシ・ガーデンを始め、おしゃれなお店も増えて来た事がポイントになって、友人との待ち合わせやお茶に利用するように。
20歳前後になると体調の変化も気になるもの。
自然と体調が悪くなると、マクロビオティックのお手当を症状によって使い分けていました。
当時つき合っていた彼の体調不良時には必ずお手当をほどこすとか・・・
矛盾したお手当もかなり多かった気がします(笑)
肉を食べて、大根おろしを食べてながす!とか
ショートケーキに梅醤番茶(梅干しと生姜、醤油に番茶を注いだもの)
など、極端なものが多かった記憶がアリマス。
通常の食事をしている間も、母が「調味料だけはマクロビオティックで使う本物を」とこだわってくれていたおかげで、カラダが自然と良いもの悪いものの区別や、体調の変化を敏感に感じさせてくれるようになっています。
これを感じられて、お手当までできるようになると、便利なんです(笑)
美味しい物が分かるし、体調不良は原因さえ分かれば自分で回復できる。
インフルエンザと気管支炎を一人暮らしになって併発した時には、お薬と併用で必死に自分に手当を施して、5日で完治というミラクルまで起こしました!(絶対真似しないでください)
そう、一人暮らしになって親のありがたみとマクロビオティックの威力を感じます。
風邪の予兆に敏感に気付き、食を正せば軽く済みますし、症状を軽くする方法が分かっているから、良ければ風邪を防げます。
そして、「これを食べると今は風邪ひきそうだからやめよう」とかも分かるんです。
食の仕事をするからこそ、舌と体調は敏感で常に良いコンディションでいたいと思うのです。
『お肉やお菓子だって食べても、その後のカバーができたらいいんだ』
と思うようになってからは、よりマクロビオティックを勧めたくなりました。
特に3年前からよくお世話になっているマクロビオティックのサロンの先生方には、たくさんのサポートを受けました。
更に、仲良くなったマクロビオティックの講師をしているまどかちゃんのひたむきに頑張る姿を見て、「自分も含め、マクロビオティックを勉強している人たちが活躍する場所をたくさん増やし、マクロビオティックを広めて、多くの人の健康に貢献しよう」という思いも持ち、4月からはイベントやワークショップ、セミナーを通じてマクロビオティックやベジライフを伝える仕事を始めます。
玄米が出て来て地団駄踏んで、リアルちゃぶ台返しをしたこともありました。
マクロビオティックが始めは受け付けられなかった父も、今や率先して「食べたい!」というまでに変化しました。
約20年、反発を受けながらも続けてくれた母に本当感謝としか言いようがありません。
このストーリーが何かのお役に立てる事を願っております。

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