17歳のある日に出会った女性について

1 / 3 ページ



17歳のある日のこと、新宿をぶらぶらと歩いていると知らない女性に声を掛けられた。

美術関連の仕事をしているというその女性は見たところ24,5歳だろうか。当時も今も女性の年齢は皆目見当が付かないが、17歳の僕からすれば十分に大人に見えた。

「何してるの?」「何処に行くの?」たわいもない会話をしていると、ふいに彼女は「君に会わせたい人がいるんだ」と言った。

あまりにも唐突な話だったので一瞬間が空いた。

誰に?とはあえて聞かなかった。僕は、面白いことになってきたぞ、と思った。今考えると無謀にも程があるが、若かったせいか怖さよりも興味が勝っていた。唐突に始まったこの事件は17歳の僕には何よりの刺激だった。僕は促されるままタクシーに乗り彼女の家に向かった。


タクシーに乗りこんだ彼女は、何故か一言も話さなくなった。僕は流れる街並みを眺めながら、今日の終着点はどこになるのかをずっと考えていた。怖い人たちが待ち構えているのか?それとも彼女のちょっとした気紛れの相手になるのか?いや待て、そもそも僕は童貞じゃなかったのか?初めての人は好きな人とじゃないとちょっと••••••そんな事がグルグルと頭の中で巡っていた。

こんな時、いつも祖父の口癖を思い出した。

「正吾。この世はケ・セラ・セラだ。なるようになるんだ。」

これが祖父の座右の銘だった。お酒を飲んでは暴れていたのに何故か皆から好かれていた祖父。僕も祖父のことは大好きだった。家族にも相当に迷惑を掛けていたはずなのに、今でも皆笑いながら他界した祖父の思い出話をする。人は苦しいことや悲しいことがあっても、心に残るのは楽しいことばかりなんだろうかと不思議に思った。

辛かった事や苦しかった事は記憶の彼方に消えてゆき、幸せだった思い出だけが残ってゆく。それはそれで幸せなことだろうな、と思った。

「まあ、なるようになるよ。ケ・セラ・セラさ。」

祖父の口癖を心の中で反芻していると、タクシーは目的地に到着した。


彼女の自宅は新宿から20分程の場所にあった。ごく普通のマンション、と言えばよいのか。外観からは特に特徴も無いどこにでもある住宅街のマンションだった。

「どうぞ上がって」

彼女は鍵を開けると僕を招いた。

今も昔も、知らない家にお邪魔をする瞬間のあの独特の感じが僕は好きだ。この時は格別だったように思う。今日、この場所で何かが起こるのだ、という期待と不安が入り混じる中、緊張を隠すように涼しい顔をして奥へと進んでいった。

リビングは特段可愛く飾られているわけでもなく、質素というわけでもなく、マンションの外観と同様にごく普通の生活感のある内装だったと思う。緊張していたせいか、ここに関する記憶は曖昧だ。

「座って」

彼女に言われるままにクッションに腰を降ろした。彼女はバッグを置くと隣の部屋に向かった。

「カルピス飲む?」

隣の部屋から声がした。いきなりカルピスか、と僕は心臓が跳ねた。僕は自分がカルピスという単語だけで驚愕するほど緊張していた事に可笑しくなった。

今では「うんこ食べる?」と言われても「ウェルダンで頼むよ」と真顔で返答出来るくらいには汚れた大人になっているのだが。

とにかくも、僕は平静を装いながらうん、と返事をした。


――何故、今この瞬間にカルピスなのか。

メッセージ、或いは暗号なのだろうか?暗号と言う割にはストレート過ぎではないか。僕は17歳の頭をフル回転させて不毛な解読を試みていた。

暫くすると台所から二つのカップをお盆に乗せて彼女がやって来た。

「はい、どうぞ」「ありがとう」手渡されたのは普通のカルピスだった。僕は肩透かしを食わされたような気分だった。

僕はカップに浮かぶ氷をクルクルと弄びながら、カルピスなんて飲むのはいつ以来だろうかと考えた。当時はまだカルピスウォーターが発売される前だったので、お中元やお歳暮で目にする以外、カルピスを飲むことなどは少なかった。カルピスウォーターが発売された時は、これが公式の薄め方なのかとひどく感心したものだった。

「よく来たね」同じくカルピスのカップを持ちながら彼女が言った。自分で呼んでおいてよく来たもないものだと思いながら「うん、面白そうだったから」と返答する。

「会わせたい人がいるって言ったでしょ。今、呼ぶから待っててね」

トクン、と鼓動が少し高くなる。いよいよ本日のメインイベントだ。彼女は立ち上がると自宅の電話を掛け始めた。この当時、携帯電話はまだ殆ど普及していなかった。

「もしもし? うん、私。あのね、ちょっと会わせたい人がいるんだけど。••••••うん。うん、そうなの。じゃあ待ってるね」

電話自体は1分くらいだっただろうか。ロクな説明もないまま電話の向こうの相手は了解していたようだ。この事態を相手は理解しているという事なんだろう。突発的な事件ではない、それはつまり••••••やはりこれは美人局だったのかもしれない。

「すぐ来るって。ちょっと待ってて」

今更ながら、少し面倒なことになるかもしれないなと思い、非常事態に備えて玄関と窓の位置を確認する。幸いなことにこの部屋は一階だった。最悪、靴さえ諦めれば何とかなるな、と僕は楽観的に考えていた。

「そういえば、名前まだ聞いてなかったね」「秀人だよ」偽名である。当時の僕は、外の友達用と中の友達用の二つの名前を使い分けていた。外とは地元ではない場所で知り合った友達で、中とは地元や学校などの友達だ。中二病真っ盛りだった僕は、そのようなルールを自身に設定する事を好んでいた。電車に乗る際は尾行の確認のため扉が閉まる直前で降りる、というような類だ。その一つが鳴神秀人という偽名だった。

みんなの読んで良かった!