2度絶望を味わい、見えてきた世界 ~年収2000万円に到達するまでのMY STORY~ Part1

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2年生

ワープロ検定1級、パソコン検定1級を最速で取得

だが、プログラマー志望のオタクを見て自分には出来ないと思いプログラマーと言う道は諦める。

部活は椎間板ヘルニアにより筋トレだけをする生活を秋から続けていた。


3年生

インターハイに出場するのが当たり前の高校のため当たり前かのように目指し始める。

また、大学は推薦で行こうと思ったので内申書を良くしたいという思いもあった。


進路を考える時期になり当時CGの火付け役のデジタルハリウッドに体験入学をしに行く。

そこの校長にゲームソフト会社に入りたかったら美術大学に行ってたほうがいいと言うことで美大を目指し始める。


インターハイに出場し部活を引退後、夏期講習で新宿美術学院にて石膏像デッサンを学ぶが、

部活を引退した開放感から彼女が欲しくてたまらなく、その予備校で彼女を作る。


夏期講習下期は代々木ゼミナール造形学校に通う。

冬期講習も代々木ゼミナール造形学校へ。


自分の出来なさ加減に人生初めての挫折を味わい2日で行かなくなりひきこもりへ。

受験の申し込みはしたが受験には行かず引きこもり生活を続ける。


冬期講習が終わり3学期、専門学校や就職などの選択肢はあったが

ゲームソフト会社への夢を叶えるために浪人生活を選ぶ。


浪人生活が決まりつつも姉が日光江戸村で役者をやっていたと言うこともあってか芝居に興味がわき

2月頃にオーディションと言う雑誌に載っていた事務所のオーディションを受けてみる。


君は爽やか過ぎるから色々経験した方が役の幅が広がるよ。


と言われて色々経験したいと何となく思うようになる。


卒業後の3月、人生初のアルバイト。

フルキャスト、グットウィルなどで引っ越しなどをやる。


冬季休みの時の引きこもりで体脂肪率が一桁だったのが一気に20%を超えていたが引っ越しの仕事で元に戻る。


浪人一年目


埼玉の予備校にて一日中絵を書く生活を送る。


受験失敗


東京藝術大学デザイン科一本しか受けてないので

みんなの読んで良かった!