女優デビューから20年の今、生まれ変わった

1 / 3 ページ

今 この時だから伝えたいことがある。


わたしは15歳で幼少の頃から夢だった女優デビューを果たし、そして今年でちょうど20年を迎えます。現在は一児の母であり、そして潜在意識開発のセラピストとしても活動をしています。なぜ女優からセラピストに活動をシフトしたのか。それは、現在10歳になる娘が生まれたことがキッカケでした。幼かった娘はわたしがある時、舞台のお稽古から帰るとこう言った。


「ママじゃない・・・アナタはだあれ?ママはどこへ行ってしまったの?」


舞台のモノガタリは過去に閉じ込められた真相、子供時代の純粋な残酷さを浮き彫りにする

『子供の無邪気が罪になる』をテーマに繰り広げられるモノでした。

わたしが演じたのは主演の女子児童の母。その役柄は精神異常をきたしていて、自らが娘の前で生命を断ってしまいます。わたしの演じた母、そして少女との間には空白がありました。それは言語化するのだとしたら「無知」互いが互いに対して無知であるが故、永遠に埋まらないでろう非言語の世界へと逃亡するのでした。


わたし自身、神経が擦り減るほどにその役柄に没頭していましたし、家に帰ればそこには本当の娘がいる日常があり、自分の中でスイッチの切替が上手にできる方ではなく、どうしていいのか分からない時間を過ごすことがあったのです。そんな時に娘の一言。わたしが役者であることを理解していない彼女が、わたし自身が精神を病んでいるのだと思い込んでしまったら、彼女の潜在意識にどんな影響を与えてしまうのだろうと思うと、怖くなりました。


「ママはお芝居をしているんだよ。ほら、この映画やこれだって、ママは色んな役を演じているでしょう?ぜんぶ違うから不思議だね。ママはね、絵本のような世界をコトバと体を通して実際に伝えることを仕事にしているの。」


娘が理解したのかしていないのか分かりません。ただ、今現在はそのことがやっと分かったようです。そのころ、いくつかいただいた舞台や映画のお話を断りました。これ以上は公私ともに、を両立させることなど無理だと思い込んでいたのです。しかし、わたしから体を張った表現という世界が遠ざかることは地獄をみるような苦痛でしかなかったのです。15歳からずっと関わってきた世界です。そして地味ながらも、わたしにとっては大好きな映画の世界から一時的にでも抜けることは自分のアイデンティティが崩壊することを意味します。でもある時にわたしは決意しました。そして20年弱、お世話になった事務所を辞めたのです。


そしてわたしはこの時、

同時に本当に壊れることを経験したのです。


それは大切な友人を失ったことがキッカケでした。そこから怒涛のように今までの灰汁が全精算されるかのように溢れ出す痛みが襲ってきたのです。自分の不甲斐なさ、情けなさ、そして弱さを人生ではじめて直視した瞬間だった。それまでは自分の正しさこそが自分というアイデンティティを保つ手段の一つであると思い込んでいたのです。誰にも侵入されないように、誰にも土足で踏み入れさせないように、わたしは弱さを悟られないように虚勢を張っていたように思います。人としてはしあわせを受け取るのが下手であり、ただの大馬鹿者。けれど、それを愛してくれた人もいました。なぜなら、それがあるからこそ、演じられる役というのはあるのです。そうです。だからわたしは役者でいられたのです。あの世界は、こんな自分でも役割を与えてくれる場だったのです。今ではそれが自分都合の甘えでしかなかったのだと思います。しかし、その時にはそれが全てで、他の世界は見えていなかったのです。



わたしは事務所を辞めたことをキッカケに壊れ、そして人生ではじめて、自分の根源にふれてしまう体験をしました。痛みの奥の奥の奥に降りていったその先で、わたしは体感したのです。私たちはどこまでもひとつの意識がつながっているということ。そして、全ては自分で描いたストーリーを歩み、何もかもが上手く行っていること、それを全体を通して悟ったのです。


それはとても幸福な時でした。コトバにするなら、全てが祝福であり、また感謝と愛の中に居たのです。この時、わたしは人間の本質はコレなのだと知った。誰もがかけがえのない生命であり、全ての人の人生はどんなにも苦難の中にあろうとも、それは超えるために自ら用意したシナリオであり、大丈夫としか言いようのない事実を知ったのです。


その時、わたしは壊れたことに心底感謝しました。そしてそこから、とにかく自分が体験したことをブログという媒体を通して伝え続けたのです。すると奇跡のようなことが次々に起きていったのです。わたしを応援してくれる人がひとり、またひとりと増えていき、いつの間にか今の潜在意識開発のセラピストとして活動している自分がいます。そうなろうと思ってなったわけではなくて、その時、その時に最善だと思ったことをただひたすらやり続けての今です。


ここまで来る中で、様々な孤独や葛藤を経験もしました。セラピストといえば、人間性が優れていたり、また弱さなど無く、無償で愛を届けているのだから、全てがうまくいって当たり前なのだろうと思われもしたし、人間としての痛みや苦労など、どこにもないのだろう、そう思われがちです。発信しつづけている内にいつのまにか、読者の人にとっては特別な存在に映ることがあったようです。そして今現時点でもそれはあり、ブログのメッセージ上で返信をすれば、生きているんですね!すごい!という返答があったりします。わたしはその瞬間、目が点になります。


「え?今までなんだと思ってきたの(・∀・)ウケる。生きてますけど何か・・・」


はい、こんな姿をさらけ出すのは、とても勇気がいります。笑



わたしは、セラピストである前に一人の人間です。これを読んでいるアナタと何一つ変わらない日常を過ごしています。表面に見えることだけを見ていたら、誰かを特別だと思っている意識はアナタを特別ではない世界へと誘います。それはどういうことかというと、アナタ自身が主人公である世界ではなく、誰かに主導権を明け渡した人生が続いていってしまうのです。


だからどうしても人は

思い通りにいった現実は自分のモノ

思い通りにいかなかった現実は誰かのモノ

この2つの現実に対して、迷子になってしまう。


みんなの読んで良かった!