【Part 5】「とりあえず、統合失調症患者になった自分が語る、26歳の人生。」~大学4年生編~

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 自分が、大学四年生の時、意気揚々と卒論の中間発表をしたとき、




 「くわばらくんが、この論文で何を言いたいのか、全く分からない」


 と、言われた。


 自分は、茫然自失となった。


 今まで、ゼミでは一番に発言をしていたし、怒られると言うか、叱られた経験が無かったので、挫折を味わった。


 


「自分は、この論文で、何を言いたいんだろう?」




 モヤモヤした気持ちを持ちながら、ゼミ合宿を迎えた。


 自分は、宿泊先で一歩も動けなくなってしまった。




 「うまく卒論が書けなくて、ごめんなさい。ごめんなさい。」




 そう、自分で自分の首を絞めて、身動きが出来ない状況になっていった。


 その異変に気が付いた天野先生が、近くの大きい病院に連れて行ってくれた。

 そこでも、原因が分からず、結果、何もしないまま、合宿先から部屋に戻ってきた。




 この時のことを、先生に話すと、


 「あの時、実家に早く帰らせてあげていれば…。」


 と、相当悔やんでいたらしい。




 でも、大丈夫です。今も、生きています。










・救急車から救急車






 ゼミ合宿が終わっても、症状が良くなるばかりか、逆に悪化の一途をたどった。卒論が書ける状態ではなかった。




 症状が悪くなったので、部屋から病院へ向かおうと思っても、その場に蹲り(うずくまり)、一歩も歩けない状態だった。それを見かけた、通りすがりのおじさんが、近くの診療所まで車で運んで行ってくれた。




 しかし、自分は、「違う病院に行きたい」と、段々と語気が強くなり、いよいよ、「ワーーーーーー!!」と叫ぶと、その運んでくれたおじさんに、首元を絞められた。それに対し、自分は、




 「殺ーろされる!!!殺ーろされる!!」と、のたうち回った。






 もう、救急車が呼ばれていた。




 その場に、携帯電話を落とし、その携帯を再び送ってもらうために、紛失届を交番にもらいに行かなくてはいけなかった。




 そんな余裕は、自分にはない。






 街中で奇声をあげながら、交番へ行った。交番へ行って、誰もいなかったので、置いてある電話に、怒りの丈をブチまけて帰っていった。




 もう、限界だった。






 ある時は、救急車で運ばれた後に、異常なしと診断され、また体調が悪くなり、救急車で運ばれている。






 お金もなくなり、やっぱりもう、限界だった。










・奇声から帰省。規制通り、卒論制作へ。



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