【Part 7】「とりあえず、統合失調症患者になった自分が語る、26歳の人生。」~祖父の死~

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 「あ~、暴れているな~。」


 と、頭では冷静であった。


 メガネがぶっ飛び、持っていた荷物もぶっとび、声を一切出さずに、その場でダンシングをしていた。


 車に乗って、帰らなくてはいけない。と思い、車に乗った瞬間に、体が暴れだし、もう限界だなと、そこで改めて気付かされた。


 朦朧とする、しかし、体が暴れまわる。頭と体のバランスが、ふっちゃかめっちゃかになっていった。


 ろれつが回らないなか、救急車を呼び、自宅に、救急隊員が連絡し、母親が迎えに来た。


 自分は、間もなく、コンビニのアルバイトの道も閉ざされてしまった。






・通帳残高〇円の恐怖


 通帳残高を〇円にしよう。それから、考えていこう。と思った。今思うと、無謀な出来事だが、それぐらい、追い詰められていた。新婦側(新郎側からではなく)からの結婚式の招待があり、必ず、スピーチを任されると思いこみ必死に練習するようになったり、就職活動を必死にやるようになったり、MOSの資格を取ろうと、電話をかけまくったり、慣れないカメラマンのアルバイトをしたりと、ただですら、キャパシティオーバーなのにもかかわらず、動き回っていた。這いずり回っていた。


 無論、身体はゲームオーバーとなっていった。




・パニックパニックパニック!!


 「母親と銀座の博品館劇場に行きたい」と、突拍子もない事を言ったり、「『手芸部』っていうのがあるから、行ってみたら?」と、支離滅裂なことを言ったりだとか、とにかく、パニックになっていった。なかでも、一番パニックに陥ったのが、自分が言った内容が、ミクシィニュースになっていたことだ。


 2009年のモデルのガラケーをお店に持っていき、


 「これを、英語バージョンにしてください。」


 と言った。


 すると、一通り操作を教えてもらった後、店員さんが、


 「どうして今になって、英語バージョンにしようと思われたのですか?」


 、と聞かれた。


 自分は、


 「10年間で、一番長い時間触っている携帯が、英語バージョンになったら、英語の勉強になるのではないかと思って…。自分には夢があって、将来は筑波大学の院に入って、英語で授業を受けるから、今の内にやっておきたい。人生を100年としたら、25歳の自分は、もう、4分の1も過ごしてしまった。これからは、一分一秒が大事なんです。」


 と、答えると、


 「くわばらさん、4分の3も!あるんですよ!」


 と言われて、ほっと胸をなでおろした内容が、そのまま翌日のダ・ヴィンチニュースに掲載されていた。


 自分はそのころから、「世界中に監視されている」という妄想にとらわれるようになった。






・スタバ大好き青年に昇格


 2014年1月26日、自分は、「You Tube」で、エレ片のコント太郎を聴いていた。放送を聞こうと思った5分前に、携帯が鳴り、起こされ、何となく、パソコンの電源を入れ、You Tubeで聞くことにした。そうすると、また信じられない、放送内容が流れてきた。


やついいちろう
「絶対にやってはいけない行為が、発覚したんですよ!とある人のツイッターを、私たち、監視しておりました。そうしたところ、『これ、ほしいな~』と、パソコンの画面に載っている、我々のグッズのTシャツを無断転載したんですよ!言語道断です!!」



 そのTシャツを無断転載したのは、紛れもない自分だった。


 「やってはいけない事をやってしまった」と、罪悪感でさいなまれていると、パソコンのメール欄に、驚くべきメールが届いていた。 


 自分が、携帯電話にメモをしていたネタ帳、ネタメールが、すべて自分のパソコンに転送されていたのだ。自分は、ますますわけがわからなくなっていった。


 そこの一文に、


 「これからは、君は、『スタバ大好き青年』と、名乗ってください。」


と書いてあった。


 パニックを通り越して、わけがわからなくなっていった。



そして、僕は、入院生活を始めることになる。




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